経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

弱いだけ

全て自己満です。不快な気持ちになったらごめんなさい。

私は小学生の頃にいじめをしました。
みんなに「かわいい」って愛でられて、「助けて」ってちゃんと言える、そして言えば助けて貰えるあの子に嫉妬していました。今思えばその子が羨ましくて仕方がなかったんだと思います。
末っ子として甘やかされてきた私は、自分以外の子が可愛がられてると「なんで私じゃないの?」と思うような子でした。よく揉め事も起こしたし、自分は周りよりも賢くて偉いんだと勘違いしていました。
その結果、無視をする、冷たくする、脅迫する内容の手紙を渡すなどのいじめをしました。
そんなことをしても尚、助けてもらっているあの子に嫉妬していました。

先生と親に呼び出された後、だんだんと冷静になっていき、今はこのざまです。
周りに「あの子はいじめっ子」と言われ、睨まれたり仲間外れにされ、怖くて怖くて、教室に行けなくなり、ひっそりと保健室で過ごすようになりました。
「ずる休み」「いじめっ子」「性格悪い」などの言葉がずっとぐるぐると頭をめぐりました。
そして、自分は生きていてはいけない存在だということに気づきました。自分が実際にされて、自分のしたことがどれだけ相手を傷つける行為だったかに気づきました。

相手の子は、謝罪を受け入れてくれて、今でも話しかけてきてくれます。
でも、今でも私が信じれないだろうし、本当は話しかけたくないんじゃないかと思います。
それでも話しかけてきてくれる相手の子は、本当に優しくて、私と違い性格も良いからみんなに囲まれ、尊敬される存在なんだと思います。

いじめをした日から何年もたちました。
いじめっ子という札をかけながら、生きてきました。
でも、本当にごめんなさい。正直辛いです。
その子の心にはずっと残ってるし、癒えることはない。
わかってます、わかってます。でも、もう辛いんです。
それ相応のことをしたんだから、死ぬまで背負い続けること以外私にはできない。
それが私にできる最大の償いだって、わかってるのに。
学校でも、ひっそりと良い子で過ごして、家でも良い子で、いじめっ子だから辛いなんて言わないし、自分が可愛そうだなんて言わないようにして…。
でも、心のどっかでもうやめたい、このまま生き続けるなら死にたいって思っちゃうんです。
いじめで亡くなった方も、ずっとずっと苦しんで病気になった方もいるのに、加害者側はのほほんと生きるべきではないのに。本当にごめんなさい。
いじめっ子じゃなくて、普通の子に戻りたいって思っちゃってごめんなさい。
誰かに応援して貰える立場になりたいとか思ってしまってごめんなさい。
もう自分を責めるのもやめにしたいって思っちゃって、死にたいって思って、終わりにしたいって思って、逃げたいと思ってしまって…。
結果、自分が一番可愛いって思っちゃうんです。

私はこのままいじめっ子の札を掛けながら生きていけばいいでしょうか。
ずっと、ずっと自分を責め続ければいいんでしょうか。
誰かそうじゃないと言ってと願っている自分は最低ですね。
もう色々わからなくなってしまいました。

文がぐちゃぐちゃになってしまい、すいません。

感想1

経験談を投稿してくださり、ありがとうございます。
「自分を見てほしい」という気持ちがあって、いじめをしたのかな…と経験談から私は読み解きました。きっとあなたにとって「自分を見て」という気持ちはすごく大事なものだったのだろうと思いますし、あなたのその気持ち自体はまず否定しないでほしいな…と私は思いました。そして、自分自身の気持ちやしてしまったことについて振り返る力がある方だなぁ…というふうに私には見えました。

実は私も人にひどいことし続けたことがありました。自分の場合は相手から嫌なことをされたり精神的に追い詰められたりでひどいことをしました。背景となった気持ち自体は否定されるものではないと思いつつ、同じ状況でもひどいことをしない人もいるしひどいことをしていいわけではないので自分の行いを許せていないし、自分も十字架を背負って生きるのかなぁと思っています。今でもその人やその人の周りの人にはとても嫌われています。なので、あなたがおかれている状況に共感する部分がありました。自分がひどいことをしたことは事実であるとはいえ、やはり周囲から後ろ指をさされるのはしんどいですよね。

生きていく中で人を全く傷つけないのは、非常に難しいことだと思います。時には自分の未熟さや自己中心さで人のことを傷つけるだろうと私は考えています。傷つけたことを棚に上げたり、何も反省しなかったりっていうことを私はしたくないなと思うんですけど、「誰もが未熟なのかもしれない」と思うことで、甘いかもしれませんが自分のことをちょっとは救えたし、人に対しても寛容になれたと思うところです。相手が望むなら謝って、それから「次はしないようにしよう」と思ったり、自分の心と向き合ったりすることが大切なのかな…と感じています。自分と向き合うことで、同じことを繰り返さないように工夫したり、自分を変えていけたりするのかなと思っています。そういった姿を見てくれる人が近くにいたらいいな…と思いました。変わっていくあなたをちゃんと見ている人がいてくれたら…と願いたい気持ちになりました。

また、自分を責め続けるかはあなたが決めることだと私は感じます。人から「もう責めなくていいよ」と言われたら楽な気持ちになるかもしれませんが、最終的にはあなたがあなたの過去についてどうケリをつけるのかという、あなたの心の問題だと感じます。「いじめっ子の札をかけて生きなくていい」「自分のこと責めなくていい」って言われたい気持ちは十分あり得る気持ちだと思いますし、それを最低だと私は思いませんでした。

また何か投稿したくなったらぜひ投稿してください。お待ちしております。

感想2

「自己満足」と書かれていましたが、「書いてすっきりするから投稿した」という印象は無く、人を傷つけてしまったことへの後悔と、相手への申し訳なさ、その後の生き難さなど苦しい心の内が伝わってきました。後悔や反省とどのように付き合っていくかは年齢を問わず難題な気がします。そして他人ごとでは無く誰もが自分事だと感じます。

残念ながら誰かを傷つけてしまったことは不可逆的でどう頑張っても取り返しはつきません。ただ、つけてしまった傷の深さ、大きさ、手当てをしたか、体質によって体にできた傷と同じように、その後の相手の傷跡も変わってくるような気がします。ジュクジュクと傷口から液体が出ている状態なのか血の塊が乾いた状態なのか、かすかに傷跡の線が残っている状態なのか皮膚が再生しきっている状態なのか。相手の傷の状態に合わせて、自分の罪を測るということでは無く、どこかのタイミングで傷つけた相手の懐を借りて自分自身も立ち直る(更生すると言ったりもしますが)、そんなことも求められている気がします。

謝罪を受け入れ今でも話しかけてくれる相手は、あなたの書いている「普通の子」になることを禁じているのでしょうか。いじめっ子の札の置き場所はあなたが自分で決めれることです。ありのままの、様々な気持ちを率直に綴ってくれてありがとうございました。

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