小さい頃は幸せだった。健康なら良いと両親に言われ、高望みされなかったので大学進学や専門職に就くような道は考えずただまじめに生きてきた。22歳で結婚し、3人の子供に恵まれた。しかし結婚した相手はモラハラやDVをくり返す人だった。話し合えば分かり合えると言われて育った私は、いろんな本や情報を集めて改善する方法を探した。提案するたびに、ひどい暴言で遮られた。子供だけは幸せにしたいと思いお金の為に我慢した。家事育児全て私がこなし、パートでも働きに出た。気に入らないと離婚だと言い出ていくから、本当に離婚になった時を想定し必死に節約し、子供のために貯金した。そんな生活だからパート先の仲間のランチや美容の話にはついていけない事が多かった。自分の収入を増やそうとフルタイムで働くと俺との時間を省くなと言われ、フルで働くのを諦めるしかなかった。いつしか相手を憎むようになった。子供が大きくなり、離婚を前提に別居をはじめた。将来を見据えて正社員になった。離婚前提と会社に伝えると採用されにくいだろうから、誰にも伝えず日々を過ごしている。朝は3時半に起きて弁当を作る。家事をして子供を送迎しながら仕事に行く。職場では私は新人だから、年下の子にも気を遣う。誰からもあてにされないけど一生懸命勉強してるつもり。人に会うと無理して笑っている。ホントは誰にも会いたくない。誰もいやな人は居ないし良い職場だと思う。資格を取るためにも勉強を続けなければいけないのは辛いけど。休日も家事、送迎、来週の弁当準備で終わってしまう。TVも観る時間も無いからニュースや経済の話についていけない。なんか、どこに行っても話についていけない、面白くない人だと思われてるだろうな、と卑屈になる。主婦が子供が手が離れたから働きに来たのだろうと思われてるだろうな、と勝手に想像し自己不憫に陥る。結婚した相手が悪かっただけでなんでこんなに不幸なの。1つの選択を間違っても、一生リセットされないの?消えていなくなりたい。けど、子供の為に死ねない。みんな私の事を幸せな人だと思ってる。誰も本当の私を知らない。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
誰も知らない本当の私は生きるのが辛いです
感想2
周囲からはわからないあなたの人生の深さと歯を食いしばるような地道な努力が伝わってきました。苦しさや頑張りを理解してほしいとまでは思わなくても、幸せな人だと気楽に思われたくない…紛れもない本音だと思いましたが、その本音を誰かに伝えることは簡単ではないと思うと、こうして思いのたけを書いて送ってくれたことを含めて、あなたのここまでの日々の積み重ねに対してねぎらいの気持ちをお伝えしたいです。
日本社会でおよそ3組に1組がDV状況にあると聞いたことがあります。それだけDVは社会の大きな課題になり、大きな人権侵害であり、支援策も増えていますが、あなたのように子どもの存在や経済的な問題、その他それぞれの事情で離れることができないことも多いように思います。長年、暴力や暴言に晒されていると本来の力が奪われて自分を守るための行動ができなくなることもありますが、あなたの場合は自分の置かれた状況をとらえたうえで、理不尽さも分かっていながら、これまでの道を選択し、自分の力を尽くしてきたのだろうと思います。家事も育児もこなし、仕事をしながら、DV環境をしのいで毎日生活することは並大抵のことではないと思いました。あなたにはそれをこなせるだけの底力があったからこそできたのだろうと思いつつ、力があること、耐えられることは実は孤独と隣り合わせなのではないかと思いました。努力をすれば現状を何とかすることはできても、同時にあなたの中には孤独が大きく重くたまっていったことが感じられました。
すでに別居もしているとのことで、日常的な暴力や暴言からは距離がとれたとしても、心身の疲労やダメージは相当だと思います。そして日常は毎日訪れますが、今までのように頑張り続けるのでもいいし、ひと休みをするのでもいいし、または誰かを頼るのでもいいと私は思いました。そして、一人で抱えるのがしんどいときにはこちらにまた声を届けてください。ささやかですが、分かち合いたいと思います。
感想1
子どものために実務的な家事や育児をこなしながら、同時に先を見据えて社会人としての自分もキープし続けている様子が伝わってきました。その両面を乗りこなすべく懸命に生きる一方で、他者からの見え方、社会からの評価も織り込んで行動・判断することは、ものすごく大変なことだと思いました。目の前の状況を受け入れ、「今自分が何をすべきか」を冷静に考える力がある方なのだろうとイメージしていますが、だからこそ抑え込んだ感情が蓄積され、じわじわとあなたを削っているような想像も浮かびました。
「~と思われているんだろうな」という表現が何度か登場したのが印象的でした。「実際に周りの人がどう思っているかはわかりませんが、あなた自身の中にある「本当の私」像や「本当はこうしたい」という思いが、周囲の人が持つまなざしへの想像に含まれている部分もあるのでしょうか。今の生活を続けていく間、「誰にも会いたくない」という願いは思うように叶わないのかもしれませんが、その願いと、こうして自分と対話しながら心の内を語ってくれる行為が、誰にも奪われない「あなた」自身を確立する一助になっているのかもしれないと私は感じました。