幼少期からずっと感じていて、でも言語化出来なくて、本にもネットにも何処にも書いていなくて、故に「私がおかしいのかな」で片付けて来た感覚があります。それが、「見えているものと感じていることの相違」です。
例えば、前の職場を退職する時に、色んなことを話したり、笑い合った人とは、最後の挨拶もなく、最後の勤務を終えました。一方で、あまり話したことのない人からはお菓子や感謝の手紙いただき、貴重な時間を割いて挨拶をいただいたりしました。
こんな感じのことは結構昔からあって、仲良くなったと感じた人ほど、最後が呆気なかったり、厚かましいことを考えているとは思いますが、感謝や熱意を貰えることが少ないなと感じることが多いです。
もちろん、誰かに任せきりなニヒルな姿勢にはなりたくないので、自分から積極的に動くようにもしています。しかし、私ばかりがたくさん動いていると思う時も、正直少なくないです。データにした訳でもないし、私が気付かずやって貰っていることもあるだろうことは、承知の上ですが、いつもそれで自分を納得させるのは、難しいなと思っています。
こんなことから、「私は仲良くなればなるほど、嫌になる存在なのかな」と思うようになりました。
「親しき仲にも礼儀あり」は大切だと思いますが、自分はこの言葉を肝に深く命じていないと、安心出来なくなりました。
誰かと深く仲良くなることが、怖いです。上手くいって、深く踏み込んだ途端、私が自覚していない私の醜さを感じられてしまう気がして、怖くなりました。それは、過去恋人になった人にも向けられてたなと、今書いていて思い出しました。
自分が見えているものと、感じるものの差に、疲れました。そこに鈍感な人や、自分なりに答えを出してスルー出来る人が羨ましいです。
つい最近、こんな風に被害者意識を持つことも、自分を不幸にする一旦かなと思うようになりましたが、長年感じていたことを整理したく、記させていただきました。
このような場を下さり、ありがとうございます。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
見えていることと、感じることの相違
感想2
どことなく私自身の感覚に通ずるところがあるように感じ、感想を書いています。私自身、学生時代に突然態度が変わった友人がいたり、全くそんなつもりは無いのに無礼を指摘されたりする経験があり、そのたびに「どうしてズレるんだろう…」と、不安な気持ちになってきました。親しくなったと思ったけどあっけなかった、というのも個人的にはとてもよく起きる現象です。「何かしてしまっただろうか」という恐れは、どうしてあんなに絶え間なく自分を襲うのでしょうね…と、勝手ながら深く分かり合ったような気持ちになっています。
自分自身が予測・想像したものと実際に得られた結果や感触がズレる経験を繰り返すと、次第に自分の感覚を信じるのがむずかしくなっていくような気がします。ズレることを「仕方ない」と割り切れるかどうかは「自分と他者の境界線」の話という感じがしますが、自分の振る舞いに疑心暗鬼になることは、そもそも落ち着かないという辛さに加え、自信やアイデンティティの部分にまで影響するように思います。そしてそれがさらに自信を無くさせ他者との境界をあいまいにする…そんなイメージが浮かび上がってきました(書きながら半ば自己分析しているようなところもありますが…)。
あなたは鈍感になれたらいいのにと思いつつも、鈍感になったことで他者を傷つけたり、嫌な面を見られてしまったりしたら(それに気づかずにいられなかったとしたら)ますます自己嫌悪になりそうな恐れも抱いているのかなと感じました。そうだとすれば、「見えているものと感じていることの相違」により敏感になり、そのズレをなくすことに必死になってしんどくなっていそうだ…と思いました。長く自分の中で感じてきたことを改めて外に出すことは、事象と感覚、自分の価値観や何に辛さを抱いているのかを知るきっかけになり得ると思います。よければまた死にトリを訪れてみてください。
感想1
タイトルにもなっている興味深い感覚について、たくさん考えさせてもらいつつ、投稿を読ませていただきました。
例に挙げていただいた出来事の場合だと、「見えていること=関わりの多さ、客観的にも親しく思える関係(あまり話さない関係性)」「感じること=そっけなさ、疎外感(感謝や熱意)」というようなことになるのかなと、私は読み取りました。
例の場合はお別れをするタイミングですが、仮に長く付き合っていく関係性であってもこの図式が成立するようであれば、あなたが人と深く仲良くなることに対して抱いている怖さもうなずけると、私は思いました。
私には、あなたにとって親しく思えた人たちが何を思ってそっけなく感じる態度を取ったのかわかりません。わからないからこそ、ただ単に人とお別れすることにあまり感慨を抱かない人だった可能性も、お別れのムードが苦手だったという可能性もあるんじゃないかと、勝手に思ったりしました。長く書いてしまいましたが、あなたと関わった誰かの態度は、全面的にあなたが生じさせたものとは限らず、その人自身の性質や、その人しか知らない事情に由来する部分も大きいのではないかということを、私は言いたかったのです。
だから私は、あなたが感じている恐怖について、その気持ちは受け止めたいと思うと同時に、誰かの態度によって生じた負の側面をあなたばかり背負わされているような気がしたこともあり、背負っているものを降ろしてもらえたらいいなと勝手に思ったりしました。
「差」に疲れてしまうことがしばしばあると思います。その整理に役立てられそうだったら、また気軽に投稿してみてください。この度は投稿してくださりありがとうございました。