私が育った家は両親と私、そして妹の四人家族だった。
妹は自閉症で、精神的に不安定なところがあり「どうしよう」が口癖の子だった。毎日のようにどうしようどうしようと母親に泣きつき、母もそんな妹をとても可愛がっていた。今にして思うと共依存だったのだと思う。
私は根本的に妹と合わず、仲の良かった記憶はほとんどない。
父は神経質で怒りっぽい人だった。
直接的な暴力こそなかったが、一度怒ると何時間も相手を拘束し、私たちが泣いて謝るまで怒鳴り続けた。
怒りのきっかけはさまざまで、ひどい時には「電源スイッチを押す音が大きい」という理由で怒り出すこともあった。
家の中はいつもどこかピリピリしていた。
母は父に逆らうことはほとんどなかった。父を恐れ、子どもが怒鳴られていれば父の味方をして加勢するような人だった。
妹を支える一方で私には父への不満を毎日のように吐き出し、カウンセラーのように扱っていた。そして悪口が好きな人でもあった。他人に対しても、家族に対しても。
特に容姿いじりが大好きで、自分が細身であることを引き合いに出して、やや小太りだった私をしょっちゅうからかった。
そんな環境の中で育った私は幼い頃はそれを「普通」だと思っていた。けれど、成長するにつれ、少しずつ違和感を覚えるようになった。
初めてはっきりと親に抵抗したのは中学生の頃だ。
母の容姿いじりがあまりに常習化していたため、「私の容姿をいじるのはやめてほしい」と訴えた。
すると母はごにょごにょと言い訳を並べたあと、「親子なのに冗談も言えないなんて悲しい…」と、目を潤ませながらまるで悲劇のヒロインのような顔でそう言った。
私はショックを受けた。
今までのあの言葉の数々は“冗談”で、“親子のコミュニケーション”だったというのか。
仮にそうだとしても、言われている私が嫌がっているならやめるべきではないのか。
私は反省してくれてもう言わないと約束してくれればそれで良かったのに、母の口から出たのは「私は傷ついた」という被害者のような言葉だった。その瞬間心の底から思った。
この人に何を言っても無駄だ。
あのときの絶望感は今でも鮮明に覚えている。
少し時が流れ、高校二年生になった。
田舎育ちだった私は高校を出たら就職するものだと思っていたが、父の一言でイラスト系の専門学校に進学できることになった。
幼い頃から絵を描くのが好きだった私にとってそれは夢のような話で、この件に関しては今でも心の底から感謝している。
喜びながら学校を調べる私に対し、母はなぜか見たことも聞いたこともないような質の悪い学校ばかり勧めてきた。
結局どれも突っぱね、自分で選んだ片道2時間の学校に進学した。
すると、母は私に対して不機嫌になることが増えた。
友人の家に泊まった際に充電が切れて一時間ほど電話に出られなかったときには、「電話に出ないなら学校を辞めさせてやる」と怒鳴られた。
「お前が進学したせいで家にはお金がない。妹は進学させてやれない」と罵られた。(けれど、のちに妹も専門学校に進学している。)
極めつけに母に言われたのは、
「私だって絵の学校に行きたかった。けど兄ばかり優遇されて、女の私は行かせてもらえなかった。お前は長女だから学校に通えて羨ましい。イライラする」
ああ、そういうことかと思った。
でもそれは私が生まれる前の話であり、母と祖父母との問題だ。
それでも母は、自分の叶わなかった夢や怒りを私にぶつけ続けた。
やるせなかった。
卒業後、努力して希望職種に就職が決まったと報告すると、母の第一声は「ええっ、急に困る!色々準備しなきゃいけないじゃん!」だった。
おめでとうの言葉は、一言もなかった。
就職し実家を離れ、様々な人と触れ合う機会を得た結果、「薄々感じてはいたが、うちの家は何処かおかしいのではないか?」
その答え合わせが次々となされていった。
父の暴言と支配はDVであり虐待だ。
母が子どもに父の悪口を言い、感情のはけ口にするのもおかしいことだ。
昔から感じていた家族への違和感。それを訴えても「おかしいのはお前だ」「お前が悪い」と押さえつけられた日々。
あのとき感じた違和感は、やっぱり正しかったのだ。
この辺りから私は精神的に病んでしまったのかもしれない。
遠くへ逃げたい。家族と縁を切りたい。
そんな事を毎日のように夢想するようになった。
やがて家族への違和感と仕事のストレスが重なり、私は心を病み休職した。
報告に実家へ帰ると、母は優しく慰めてくれて、涙が出そうになった。
が、最後に「あんたでもメンタル病むんだね」と、そう笑った。
この家ではメンタルを病むのは精神的に繊細で可哀想な妹と日々の暴言に耐える健気な母の私達の担当!お前は好きな学校に行って好きな事をしてその上でメンタルを病むのか?
そんな風に聞こえた。
実際私はガサツ、妹は繊細、ずっとそんな扱いだったのだからあながち妄想では無いはずだ。
その後父が帰ってきて、「会社の部下がちょっと強く言ったら休職する事になった。信じられん」という話を捲し立てていた。母は苦笑いしてるだけで何も言ってくれなかった。
死にたくなった。
休職中は、後に夫となる人と暮らしていたため生活には困らなかった。心から感謝している。
けれど収入が減った不安と、家族の記憶のフラッシュバックで、毎日のように泣いていた。
そんなある日、母からLINEが届いた。
「おばあちゃんがお前のことで心配して毎日電話してくるから、お父さんがイライラしている。なんとかして」
つまり、“父を怒らせないように、お前が何とかしろ”という意味だ。
プツンと何かが切れた様な気がした。
「私が病気だと知っていて、なおそんな要求をしてくるんですね。
もう無理です。それでもなんとかしろというなら、私を殺してください。今から実家に帰ります。包丁の用意でもしておいてください。」
そんな返信を殴り書いて泣きながら荷物をまとめていたら、母から電話がかかってきた。
記憶は曖昧だけれど、呆れるような口調で何かを言っていた気がする。
その時、「そんなわけないでしょ」と言われたことだけ覚えている。
そんなわけあると思わせたのはそっちじゃないか。
そう心の中で思った。
その数年後、父はガンで亡くなった。発覚から半年、あっという間だった。
あれほど父を怖れ愚痴をこぼしていた母は、葬儀で静かに泣いていた。
そして葬儀が終わったあと、漫画のヒロインのような顔で
「あなたには普通の家のような、安心出来る家庭を提供できなかった。ごめんね。」
などと宣った。
あっ、知ってたんだ。
うちの家が“普通じゃなかった”ことを、ずっと分かっていたんだ。
それでも私が必死に訴えてきた時は、「うるさい」「黙れ」「お前が悪い」と押さえつけてきたのに、今さら良い母面するのか。
この人を一生許せない。そう思った。
その後、妹は自ら命を絶った。
その頃妹は職場でうまくいかず精神を病み退職し、毎日のように父の暴言を浴びつづけ、さらに父が死に、もう限界だったのだろう。
死んだ妹を発見した母親が、電話口で泣きながら「助けて…」と呟いていた。
「私は助けてもらえなかったけどな」とぼんやり考えていた。
それから五年、母とは会っていない。
葬式の件以来日に日に嫌悪感が強くなり、連絡を取るのも辛くなり、ついに1年前から連絡も絶ってしまった。
今は夫が間に立ってくれている。
母を許せない自分と、年老いて独りぼっちになった母を見捨てた親不孝者という罪悪感の間で、今も毎日苦しんでいる。
私は今きっと幸せだ。
結婚し、家を持ち、ありがたいことに新しい仕事にも恵まれている。
それでも心はずっと実家に囚われたままで毎日が苦しい。
楽になりたい。消えてしまいたい。存在がなかったことになりたい。解放されたい。
いつかこの苦しみから抜け出せる日は来るのだろうか。
感想1
整然と並んだ言葉の1つ1つを受け取る中で、その”間”に激しさや抑揚を感じながら読ませていただきました。表向き淡々と語っているようで、「許さない」や「悲しかったのに」という心の声(叫び)が漏れ出ているような…大人として昔を振り返るあなたと、子どもの頃に子どもらしく心をを表現することが叶わなかった幼い日のあなたが共存している文章に感じました。
全体を通して、家庭内のあらゆる不満や不足感があなたに押し付けられ、早々と大人になることを強いられてきたことが想像できました。特に母親さんは風見鶏のようで、(父親さんを恐れる感覚はやむを得なかったとしても)その場その場で自分だけが助かることを優先した振る舞いを重ねてきた様子が伝わってきました。「自分を守ってくれなかった」という事実に子どもは気づくものなので、縋られても許せない、助けてと言われても心に響かないのは自然な反応ではないかなと私には思えます。同時に、感情や理屈で整理しきれない情のある相手に「守られなかった」という事実が残ることもまた、あなたの消化しきれない苦しみになっていると感じました。「親子だから」という理由で振りかざされた理不尽を浴び続けたからこそ親を許せないのに、その理不尽と関係性の歪さが、結果的に親に対する思いを切り捨てにくくさせているというジレンマとどう付き合えばいいのか…私自身も迷っています。
また「許せない」という感情を抱えているあなた自身に対しての自己否定感もあるのかなという印象を受けました。許せないことが許せないというか…。「親だから」というのもありそうですが、加えて、そもそも自分自身の感覚や感情を肯定しきれない部分もあるのかなと。物理的な距離や思考の中での非難では解放されない所以が、自己評価や自己像の面にもあるように感じました(それもまた家庭内での影響だとは思うのですが)。
今になって「許せない」という表現になるよりも前に子どもとして感じてきたであろう不安や悲しみ、恐怖や絶望を、まずは受け止めたいと思いました(子どもとしてのあなたがまだ癒されないまま存在しているように感じたからです)。抜け出すには時間がかかるかもしれませんが、あなたがあなたとしての言葉や表現を出していく場として、よければまた死にトリに声を置きにきてください。