経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

「子供部屋おばさん」

私はとても幸せで恵まれているのだと思います。両親と姉がいる4人家族。父と母は恋愛結婚で今でもとても仲が良いです。父は仕事人間ですが、私たち姉妹には好きなことをさせてくれました。母は厳しい時もありましたが、愛情をたっぷり注いで育ててくれました。姉も私も大きな怪我や病気をすることなくここまで生きてこれました。
就職活動が上手くいかず、やっと入社できた会社も合わずに試用期間で辞めてしまい、働ける自信を無くしてニートになっていた時期が4年ほどありました。働かず引きこもっていた時も父は無理に働けと言うこともなく、母は私を気分転換にと積極的に外に連れ出してくれました。姉は家を出て一人暮らしを始めていましたが、時折帰ってきては励ましてくれましたし「いつまでも親に甘えるな」と私を叱ってくれました。半年ほど就職活動をして正社員で採用された時は「やっと恩返しが出来る」と嬉しく思いました。
もうすぐ36歳になります。今の会社に入社できて9年も働くことが出来ています。職場が実家から近いので、両親と暮らしながら毎日働いています。なんて恵まれているだと自分でも思います。
私は将来の夢がありました。それはなりたい職業ではありません。「自分も両親のような家庭をもつ」ということでした。いつか好きな人と結婚して、子どもを産んで、両親に孫の顔を見せて、私が両親にしてもらったことを自分の子にしてあげたいという漠然とした夢です。いつか素敵な人と付き合って、いつか結婚して、いつか、いつか……。
そのいつかは来ませんでした。
恥ずかしながら、今まで好きな人は居ましたが誰ともお付き合い出来たことが無いのです。なんの努力もせずに好きになってもらうのを待っていただけなのです。結婚がどういうものなのか、子どもを産むと言うことにどんな責任が伴うものなのかを考えていなかった。子どもを産めるタイムリミットも。
先日、父が倒れました。幸い何事もなく今は家に戻り暮らしています。ですが父も母も高齢ですので今後何があるかわかりません。両親といつまでも一緒には暮らせない。いつか必ず別れる時がくる。その時は遠く無いのかもしれない。私は何をのんびりとしていたのか、孫の顔どころか結婚も、お付き合い出来た人もいないというのに。父と母は順番的には私より先に亡くなります。姉は家を出て、結婚はしていませんが自立して1人で生活をしています。でも、私は?36年も両親とずっと暮らしてきて、その暮らししか知らないというのに1人になったときに生きていけるのか?怖くなりました。1日も早く自立して、良い人を見つけて結婚しなければ、早く子どもを産まなければ。そんな考えが出てきました。大馬鹿です。そんな自分本位な考えで上手くいくはずなんかないのに。
何かをしなければと焦り婚活について調べると、女性の35歳以上は子どもを望める可能性が低いことから市場価値が無い、実家住まいは地雷なので避けるべき、まともな人は30までに相手を見つけるという言葉ばかり出てきます。家庭を持つ夢があるならもっと早くに気づかなければいけなかった。20代は「今が楽しければいい」と友達と遊んで趣味に没頭して、自分の好きなことばかりやってきました。そのツケを今払わされているんだと毎日後悔ばかりしています。
自分の人生のことなのに人生設計もせず何となく生きて、自分の趣味に没頭し、親に甘え、働いて自立していると勝手に思い込んで、その実全く自立できていなかった「子供部屋おばさん」なのです。
大好きな両親と暮らしている今がとても幸せで、こんなにも恵まれて甘やかされて育ってきたというのに。いつか終わってしまう幸せが怖くて、自立のできていない娘になってしまって申し訳ない気持ちもあって、一体自分は何をしてきたんだろうと毎日つらいです。私よりつらい思いをしている人はたくさんいるのに。
婚活なんてする場合ではなく、両親と過ごせる時間を大切にしなければいけないのではないか、将来1人でも生きられるように資産形成や資格の勉強をしなければいけないのではないか。でも自分の家庭をもつ夢も、子どもを産む夢も消えない部分があって…何をしたらいいのかわからなくなって考えるのが疲れて何も考えずただ眠りたい、存在を消したいという気持ちばかりが毎日浮かんできます。こんなことを思うこと自体両親に申し訳ないのに。考えがまとまらず不安で眠れなくて薬を出してもらって無理やり眠る日々が続いています。この歳にもなって本当に情けない。
死ぬのが怖い、それなのに生きるのも怖いです。全てを投げ出したい気持ちと毎日戦っています。こんなことを言うのも甘えだと分かっていますが疲れました。

感想1

経験談を読ませていただきました。
経験談全体から、生きることや人生に対してとても真面目に考えている方だなぁ…という印象をあなたに対して抱きました。あなたは両親に恩返しをしたいという気持ちを持っているところや、自立したい(自立ってそもそも何だろう?)と思っているところなどからそう感じました。
また、「存在を消したい」ということに対して「こんなことを思うこと自体両親に申し訳ない」と書いてありますが、私としては悩んでいるあなたも含めてあなたなのでは?と率直に思いましたし、そう思うこと自体を私は否定したくないなと思いました。経験談を通してあなたのご両親への愛と感謝が溢れているなぁ…と感じました。

素敵な人と結婚して、子どもと仲睦まじい家族をつくりたいという夢についてもよく読ませていただきました。お父さんが倒れたこともあり、「このまま生きて、将来大丈夫なのだろうか」という不安がよぎったのかなと思いました。

経験談を通して、「〇〇しなければ」という表現がよく出てくるなぁというふうに私は感じました。「〇〇しなければ」を抜きにして、あなたは何をしたいのかな…と思いました。
個人的には恋愛はある程度自分本位でいいのではないかと思っています。自分がどう思っているか、何がしたいかということを踏まえて、自分に合う人を見つけることで、結婚という現実の生活が営まれるのかなと私は思うところです。素直に恋愛をして結婚することに自分も以前憧れていましたが、人のことをシビアな目で見極めたほうが自分の場合は上手くいくのかもしれない…と最近自分は思っています。私の知り合いで50代になってから結婚相手を探して子どもと3人で家庭を築いている人がいて、その人の話を聞いてそう私は感じました。
ただ、私も「〇〇しなければ」と思ったり、自分の気持ちを後回しにしたりすることが多いですし、周囲の目が気になることもあります。「〇歳までに」というインターネット上での情報を真に受けて悩んだり、「自分は結婚できるのだろうか…」と考えたりすることもあり、あなたの気持ちに勝手ながら共感した自分もいます。人にはそれぞれの事情があって、時には苦しんだり悩んだりする中で生きているのに、「〇歳までに結婚しないと」とか「実家暮らしはあまり良くない」というふうに評価を下されるのは私もあまり好きになれないなぁ…と思いますし、そういう評価を下すのはちょっと傲慢じゃないかな…と私は思うところです。

経験談からあなたという人の姿を確かに私は感じ取りましたし、あなたにはあなたの気持ち、考えがあって、それは一つひとつがとても大切なものなんだと私は思いました。
経験談を投稿してくださり、ありがとうございました。

感想2

投稿ありがとうございます。突然あなたの目の前にたくさんの圧力がさまざまな方向から襲いかかってきていて、目眩のしそうなほどの状況なのかなと思いました。父親さんが倒れたのは、あなたにとっても家族にとってもとてもショックな出来事だったのかなと思います。それから、自分の人生、親の人生、それから夢だったことなどが急に降りかかってきたことを想像しました。

理想を持つことで、それが力になる面もあるように思います。ただ、もし理想の在り方以外はNGですべて失敗や間違いみたいに見えたら、それはとても苦しいだろうと思いました。個人的には私たちの親世代がすごしてきた時代と、いまの時代はかなり違っていると思います。結婚する人も減っているし、子どもも減っているし、不況も続いているし、あるいはワークライフバランスが重要視されるようになり、女性もひとりでさまざまな場所に行ったり、好きなことをしたり、自分なりの選択をしたりすることの可能な幅も増え、昔よりはセクシュアルマイノリティや、ジェンダーの多様さがあることを知られてきて……この数十年の中でも変化したことはたくさんあるのだと思います。

タイトルの「子供部屋おばさん」もそうですし、「市場価値」「地雷」などのことばがあなたに突き刺さったような状況を読んで、勝手に、悔しい気持ちになりました。あなたは自分を卑下したり、否定したりする必要はまったくないのに……と思ったからです。
世の中に「こうであるべき」「こうではいけない」というような無責任で他罰的な圧力がたくさんあることを私はあらためて感じていました。私も含めてですが、そういうものをいつのまにか無自覚に自分の中に取り込み、私たちは生きているのだと思いますが、インターネットはそういう力を強くしてまうという側面があると感じています。

文章を読んで、あなたはこれまで家族関係はよく、その中であなた自身として大事にされてきたのではないかと思いました。市場価値といった言葉は、それとは真逆で、人を道具ととらえるような考え方だと私は思います。また人生設計や資産形成というものも、たしかに必要な部分はあるのかもしれないですが、そういう言葉が世に出回るのは、それが人にとって大事だからではなく、むしろ人を焦らせて注目を集め、時間とお金と注意を吸い取っていくような力があるからではないかとさえ思ってしまうことがあります。(そう考えて、ミヒャエル・エンデの『モモ』という児童文学に出てくる「時間泥棒」の手口を思い出していました)

経験談を読んでいて、あなたにとって一番ショックなのは、このままずーっと家族と同じように暮らせるわけではない……ということなのかなと思いました。それは大切な両親との暮らし、そして人と共に生活する暮らしが失われるということへの恐れなのかもしれません。ずっと暮らしていたい相手がいることは素敵なことだし、一人での暮らしは経験がなくて、だからこそ失うと感じたときに、それがあまりにも未知で、恐ろしくも感じるのかなとも想像しています。(ちがっていたらごめんなさい。)
私も30代半ばで、これから結婚するつもりもなく、この先どう過ごしていくのだろう、と不安になることもあります。でも結婚したからなにかが確約されるわけでもなく、世の中には変動も大きく、先読みしきれないことの中で未来に「投資」して現在を失うことを選ばなくてもいいとも感じています。また、結婚してだれかと生きること以外にも、本当はさまざまな充実した生き方が存在するはずだとも感じています。文章から、あなたは趣味や仕事や友達関係など、自分の感性や生活を豊かにする力を持っている人なのだと思います。あなたにとってどういう生活やどういう時間の使い方がいちばんいいのかは私にはわかりませんが、あなたの現在が落ち着いて過ごせるものになることを願っています。あなたの率直な思いを教えてくれてありがとうございました。

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