私はADHDと診断された母子家庭の大学2年生です。
小さい頃から家庭に違和感がありましたが、「母も障害を抱えているし、うちは特別なんだ」と自分に言い聞かせて過ごしてきました。特に高校の頃は地獄のようでした。母が何度も再婚しては、相手と大声で喧嘩をしていました。更にそれ以外でも昔から中の悪かったおばあちゃんとは頻繁に「早く出ていけ」「死ねばいいのに」と言い争っていました。その言葉や、食器の割れる音が聞こえてくるたびに、耳を塞いでも何も変わりませんでした。
大学に入ってからようやく、自分の家が「普通じゃなかった」と気づきました。自由になりたくて、一人暮らしをしたいと母に話したところ、「あんたが家出るなら私がどうなってもいいんだね」「今まで一緒に生活してあんたが出たらどうなるか分かってるのにそんなこと言うんだ?」と言われました。その言葉が怖くて何も返せず、その日を境に半年ほど無視されました。食事は出されず、キッチンもお風呂も自由に使えない生活で、アルバイトと奨学金でなんとか生き延びていました。
そんな生活が続くうちに、何かが切れたように、気持ちの糸がぷつんと切れてしまいました。お金の管理もできず、衝動買いが止まらなくなり、消費者金融に借金まで作ってしまいました。大学の授業には出られず、どんどん現実から逃げるようになりました。気持ちを落ち着けようと音楽を聴いたりもしましたが、もう以前のように救われる感覚はなくなっていました。
努力したいのに体も心も動かず、自分でもどうしていいか分かりません。
「障害があるんだから人一倍頑張らなきゃ」と思うほど、自分が情けなく感じてしまいます。
大学にも行けず、母ともまともに関われず、借金のことでさらに迷惑をかけてしまって。
何もかも空回りしていて、なぜ今生きているのか、どう立て直せばいいのか分からなくて、もう何も考えたくないです。休みたいです。どうしたらいいんでしょうか。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
存在意義
感想2
最後の「もう何も考えたくないです。休みたいです。」が、切実な願いとして伝わってきて、「何も考えずに、休んでください」と伝えたくなりました。あなたは幼い頃からずいぶんと頑張ってきたし、相当な我慢をしてきたのだろうと思いました。率直にねぎらいの言葉をかけたいと思いましたし、あなたが後ろめたく思うこともないと思ってしまう私がいます。確かにお金の管理ができず借金問題を起こしてしまったことで、母に迷惑や負担をかけてしまったという気持ちがあるかもしれません。しかし、経験談を読んだ第三者としての私は、それ以前にあなたが本来は守られケアされるべき時期に暴言が飛び交う緊張した家庭で過ごした負担を考えると、借金の迷惑ぐらいでは割に合わない、まだまだ貸しはある…と思えます。第三者にはそう思えても、あなた自身は強く自分を責めています。多分、自分を責めるのはあなたの生存戦略の一つなのではないかと思いました。母を責めたり、恨んだり、家庭環境を嘆いたり、言い訳にしたりしてもいいはずなのですが、あなたはそうは思わず、厳しく自分を律してきたように見えました。それだけ苦しい状況で孤独に生き抜いてきたのですから、気持ちの糸がぷつんと切れても無理もないと私は感じます。
たた、こうして自分の苦しい気持ちを率直に書いて送ってくれたことに注目しています。これまでは一人で孤独に生き抜いていた状態から、自分以外の人に対して自分の苦しみを開いたと思えるからです。最後に「どうしたらいいんでしょうか」とありますが、あなた自身はすでにどうしていいか何となく分かっているのではないかと感じました。ここにあなたの気持ちを届けてくれたように、気持ちを伝える人を増やし、解決のために家族以外の人を頼ってみることであなた自身の力が引き出されると私は思いました。すぐに頼ることは難しいかもしれませんので、こうして書くことが何かの力になるようでしたら、またいつでも声を届けに来てください。
感想1
怒鳴られるのも否定されるのもつらいですが、同じ場所で暮らしていながら無視され続けるのもとても苦しいですね。その中であなたなりに日々の生活を続けようと努力してきたことを感じました。
私もADHDの診断があり、お金の管理にはいまだに課題が多く、衝動買いなどとても共感しながら読みました。とくにメンタルがしんどい状態のときには金銭含め生活のコントロールがとてもむずかしいと思っています。心身が動かないときに、自力で立て直すのはとても大変だし、まず休むことが必要と感じていても、自分が休んでいいと思えない部分もあるのかなと思ったりしました。
「休みたいです。」というあなたの訴えは真っ当で、あなたがちゃんとゆっくり休めるべきだと思いました。人間もまず休息と補給があるから動ける生き物ですし、この社会には、(私も含めて)自分自身の心身の調子よりも「こうあるべき」「これが普通」という思考の強制的な指令で体を動かすことに慣れてしまっている人がとても多いと思います。
私は学校でもっと休み方とか、自分の感覚への気づき方を教えてくれたらいいのになと思います。休んでいるつもりでも、たりていなかったり、うまく休めていないことはとても多い気がするからです。
ただ、今の環境で休むといっても家族との関係性の中で消耗してしまうことも少なくないのかなぁと想像しています。あなたが心身を落ち着けられることが最優先としたら、どんな方法なら休めるだろう……と考えていました。
ADHDの診断があるということですが、いまも通院はしているのでしょうか。もしそうであれば、この投稿内容を含め主治医に伝えてみるのもひとつなのかなと思いました。また、大学で相談できる窓口があれば、それもひとつなのかなと思います。
「存在意義」というタイトルを見返して、存在意義なんて、わかるものなんだろうか……と考え込んでいます。私は本当は人は生きているだけでよくて、意義とか意味とか価値みたいな商品みたいなものをつけられる必要はなにもないと思っています。だれかが人に価値を見出したり、価値がないと判断したりすることはあるでしょうが、それはその人が勝手にいっていることであって言われた側に紐づく何かではないと思います。
私はあなたが経験談を投稿してくれてうれしいです。あなたと言葉を交わす機会をくれてありがとうございました。