経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
ゴミ屋敷から人生再生って難しい
6年前のある日、仕事に行こうとするとベッドから起き上がれなくなりました。
夜になると起き上がれてお酒を飲まないと眠れなくなりました。
また朝が来ると、起き上がれないのです。
何ヶ月か後に仕事をクビになりました。
色々な支払いができなくなりました。
電気とガスが止まりました。
それから段々と家が汚れていきました。
セルフネグレクトと呼ばれるらしいですが、当時は気付けませんでした。
最後に水道が止まりました。
流れないトイレに用を足し続けました。
異常な行動だと気付けませんでした。
足の踏み場もなく、暖も取れない家に居られなくなりフラフラと街を彷徨いました。
ネットカフェに寝泊まりしました。
ネットカフェ代を払うためにチャットレディ というものを始めました。
貞操観念が人と違っていたのか抵抗なく続けていけました。
しかし、その日暮らしで常にお金がなくて不安でした。
心が壊れている状態ももちろん放置してしまいました。
友達や離れて暮らす家族には嘘をつき、普通の人に見えるように取り繕うことに必死でした。
その結果、パニック障害になりました。
これまでの間に、おそらく軽い鬱病と会食恐怖症が現れていたと考えられますが、
さらに新たな困難が増えました。
パニック障害だけは周りの目から隠すことができず、さらに生きにくくなりました。
10分以上の交通手段を使うことが難しく、実家に顔を出すことも辛くなってきました。
現在、放置してしまったゴミ屋敷を元に戻すためのお金を稼ぐために奮闘していますが、
最近チャットレディの収入が思うようにもらえずに貯金が出ない状態です。
変わらず、ネットカフェや健康ランドで生活しています。こうやって文字にするととことん底辺ですね。
ゴミ屋敷がいつバレるか、スマホ代などの日常の出費すらいつ稼げなくなるか、大切に育ててもらった親にいつ全てバレるか、
この大きな不安が常に頭にあり、常に消えたい死にたいと思っています。
不可能なのに、元気だった頃に戻ってやり直したいと何度も願ってしまいます。
一番恐れていることは、親を悲しませることです。
なので、「今死ねたらどれだけ楽か」と思う度に、死ぬことが最も悲しませる行為だと思い知らされます。
誰にも相談できないことなので、この気持ちだけでもここで吐露させていただけて嬉しいです。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
これを読まれた方も一緒になんとか生きていってみましょうね。
感想2
あなたの心身のエネルギーがほとんど尽きて、予備電力も尽きかけながら、ぎりぎりのところで自分の形を保とうとしながら生きてきたことを感じました。6年前のある日に至るまでのあなたも、きっとずっと頑張っていろいろなことをつないで生きてきたのかもしれません。でもそれが自分にはっきりと見える形になったのがその「ある日」だったのかなと思いました。
「セルフネグレクトと呼ばれるらしいですが、当時は気付けませんでした。」の一文に「そう!わかる!」と思いました。自分語りになってしまいますが、私もセルフネグレクトという言葉を知るまで、なにかうまく行かないと思ってはいても、そんな状態になっていることにしっかりとは気づけなかった記憶があります。
私の場合は、もともと片付けも得意ではなかったのですが、働く用になってから部屋の足の踏み場がなくなり、ベッドの上にもペットボトルや酒の缶やら様々なものが積み重なり、まさに「ゴミ屋敷」状態でした。同時にさまざまな支払いができなくて、督促状がきて、どれがなにかわからなくて、毎日死にたくなりつつも会社を休んでは行けないと思って会社に通っていましたが、毎日体が重くて、だんだん行けなくなって求職・退職になる……ということを繰り返していました。
今思えば、私はそうなる前の段階から、「普通に会社に行って過ごす」だけに見えた中でもたくさんの無理を重ねていたのですが、「このくらい当たり前」を呪文みたいにして、自分のつらさを無視するのに慣れてしまっていたのだと思います。そうしないとやって行けなかったということでもあると思います。
あなたの文章を読んでいると、友達や親に悲しい思いをさせたくないという思いがあって、なかなか自分の苦しさを言えない部分があるのかなと思いました。また、世の中では様々な「こうで当たり前」という考えがまだまだたくさんあって、それはそうでない者たちにとっては攻撃にもなるものだと思います。あなたがなんとか「普通の人」に見えるようにしたいと願うのは、ある種の攻撃から身を守る側面もあるのかもしれません。それはあなたなりの自分の守り方であって、でもそれによって苦しくもなっていくむずかしいところがあるように感じたのでした。でもそれは、あなたのせいということではなく、世の中の問題だと思いました。
パニックの症状も抱えながら、さまざまな不安や苦痛の中で、本当に大変な日々だと思います。それでも、誰かに頼ったり、自分を休ませることがあまり選択肢にないように見えるのが個人的には印象的でした。休息や回復のためのケアは、あなたにとってはありえないことだったり、ダメなことだったりしているのかな?と気になりました。
私自身、長らくしっちゃかめっちゃかな生活をしていて、重たいうつ状態になり「動けなくなっている」ときが、唯一「立ち止まる」とき、みたいな感じだったので、本来であれば、人は日々十分に休んで、回復するから動くことができるのだと気づいたのはここ数年です。
自分で休んだり、自分のためになることを一番に考えたりできるためには安心して過ごす必要があるのですが、そもそも幼少期からそんな過ごし方をほとんどしたことがないまま大人になっている人は死にトリにきてくれる人の中に少なからずいると思います。
ここに書いてくれたのは、苦しい状況が眼前に突きつけられた「6年前のある日」からのことですが、語られていないこれまでのあなたの生活の中でも、あなたはあまり休まることがなかったのではないかと思いました。「軽い鬱病と会食恐怖症」を以前から抱えていたのだとすると、あなたの人生の多くの時間は、緊張し続けるような時間だったのかもしれないとも想像しています。
気持ちを吐露することも、なかなかハードルの高いことだったかもしれません。その中で死にトリを見つけ、あなたの思いを率直に書いてくれたことをとてもうれしく思います。経験談の投稿ありがとうございました。またよかったら、あなたの言葉や、あなたの気持ちを書いて送ってください。
感想1
日々不安の中でなんとか暮らし続けている状況を想像すると、とにかく今やり過ごすことで精一杯かもしれない姿が思い浮かび、こうして自分のここに至った経過やこれからのことを考えて言葉にするのはそれだけでも大変だったような気がしました。心の深いところで何とかしたい、この状況から抜けたいという願いがあることも伝わってきました。
同時に、誰かに頼ることができない強い孤独のようなものもあると感じています。「誰にも相談できないこと」と書いていましたが、私は心の中で何度も「誰かに相談してほしい」と思いました。何故なら、誰かの力を借りることで部屋を含めて掃除や生活に関する物理的な課題は比較的解決がしやすいと思うからです。ただ、おそらくあなたの悩みや苦しみはそうした物理的な解決で何とかなることではないだろうとも思いました。私は何らかの生きづらさを抱える若者たちの生活に関する相談を受けたり、暮らしのやり直しを手伝ったりする経験があるのですが、あなたと同じように部屋がゴミ屋敷状態になる人は珍しくないと思っています。世間ではゴミ屋敷という言葉で表現し、半分面白おかしく話題にすることもあり、そうした扱いが当事者を苦しめたり、本質を理解することを遠ざけているような気がします。実際にそうした状態にしてしまったり、その状態から脱出できない人たちと一緒に話して、考えていると、物理的な問題の背景には根強い心の問題が潜んでいるのではないかという仮説があります。
あなたが貞操観念が人と違っていたとも書いていたことや、セルフネグレクトと書いていること、そして経験談全体から流れている自分を卑下するような言葉などから、自分をケアしたり、心地よい状態にすることにどうしても意識を向けることができない大きな見えない壁のようなものがあるように感じました。ひょっとしたら、自分よりも周囲に気を遣い続ける子ども時代を過ごしたのかもしれないと思ったりします。いずれにしても、私はあなたが抱えている課題はあなただけの問題ではないので、どうか誰かを頼ってほしいと思います。知っている人に頼ることは難しいかもしれないので、第三者的な人はどうだろうかと思ったりしています。こうして経験談として誰かに吐露していることは、あなたが自分を助けようとする貴重な一歩でもあると私は感じています。その勇気ある第一歩に敬意をお伝えします。投稿、ありがとうございました。