経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

乗り越えたはずなのに

小6の頃に仲が良かった友達に殺害を仄めかすようなメッセージを書いた犯人だと疑われていじめが始まりました。あの子たちのせいで学校を休むのは癪だったので毎日休まずに登校しました。すれ違うたびに舌打ちされたり死刑になれば良いのにと言われたり、靴に切り込みを入られたり道を塞がれて雨の中走るしかなくなくなったりした事もありました。どんなに辛くても、友達がいなくても、クラスメイトが助けてくれなくても、気にしていないふりをして毎日通い続けたあの頃の私に会って花丸をあげたいです。(家族や先生方にはたくさん迷惑をかけてしまいましたが。。)
今は高校一年生。4年ほど経ちました。いじめられた時のことを忘れた日は1日もないのではないかと思います。もうあの子たちのことは忘れたいと願っていても忘れることなんてできなくて。なぜいじめられた側がこんなに苦しめられ続けるのでしょうか。同じ小学校だった子に会うと思い出してしまうからと、志望校をかえ自分が苦しまなくて済むようにずっと逃げ続けています。
そんな逃げ続けている人生ですが避けられないこともあります。いじめた子の一人が芸能界を目指していることです。SNSで流れてくるあの子の笑顔にイライラしてしまいます。なんで自分だけ幸せになろうとしているのか。地元のテレビやお祭りの司会もしているようで避けては通れなくなってしまいました。本当にいつまでこんな思いをさせるのか。いつまで私が苦しめば済むでしょうか。あの子の本性を世界中にばら撒いてやりたいとすら思ってしまいます。こんなこと思う私も嫌いです。もしもいじめに遭わなければ、こんな酷いこと考え無かったのにと悔しいです。あの時の楽しく過ごす予定だった一年を返して欲しい。私のいない所で勝手に生きていて欲しい。私は許したいです。でもなぜか許せない。私を疑ったことを後悔させてやりたいと復讐心までも出てきてしまいます。
将来はあの子達よりも絶対に幸せになります。この気持ちの紛らわせ方を知りたい。辛い過去をもった方々を救えるような素敵な大人になりたいです。今はただ将来の自分に向けて努力するべきだと言い聞かせながら毎日精進しています。あの時いじめられたおかげで自分を高められたと、思いたいです。

ただ私の話を聞いて欲しくて勢いに任せて書き込んでいます。上手くまとめられなくてごめんなさい。

感想1

乗り越えたと思っていたのに相手の気配を感じた途端に恨みや復讐心が噴出した、良き自分でいたいと思っていたのに、とっても醜い自分にまた出会ってしまった。とてもショックで愕然とした思いに苛まれていたと思います。一方で、自分を傷つけた相手を恨み、ひどい目に合わせてやりたいという気持ちが拭いきれないのも仕方がないことのように感じ、むしろ自然なことにも思いました。

辛い状況の中でも気にしないふりをして毎日通い続けていたあなたが踏ん張り切った裏では、しっかりと傷つききっていたあなたもいて、その傷つききっているあなたが疼いているような気がします。あなたの複雑な気持ちの表れなのか、自分が苦しまなくて済むように志望校を変えたことを逃げ続けていたと書かれていました。もちろん悔しい限りのことなのですが、自分を守るために別の選択をするということは賢明で必要なことだったように思います。痛みを抱えながら努力や精進を自分自身に言い聞かせることで、時々しんどくなることもあるのではと気になるところでもありました。

許したいのに許せない、猛烈に怒りの気持ちが止められない、絶対に幸せになってやる、勢いに任せて書き込んでくれたそのままのあなたが何だかとても身近で人間らしい気持ちです。フラフラになりながらでも物事や状況を乗り越える力があなたにはあって、きっと絶対に幸せになるのだと思います。なのでそんな自分を信じるように、しんどかった思いやドロドロとした思いも吐き出しきってみても大丈夫のように思いました。痛みはすぐには飛んでいかず辛いところではありますが・・投稿いただきありがとうございました。

感想2

投稿ありがとうございます。いじめの発端となる出来事、クラスメイトの無関心、相手とのかかわりを避けるべく選ぶ進路、目に付くいじめた子の華やかさ…そこにどれだけ違和感や苦しさがあっても「助けて」も「どうして」も届かない(言えない)孤独感を想像しながら読みました。あなたはずっと、自分の思っていること・言いたいことを、多かれ少なかれ我慢する日々を強いられてきたのではないでしょうか。文末の「ただ私の話を聞いてほしい」その言葉がスッと心に入ってきて、「受け取りました」と目を見て伝えたくなりました。

乗り越えたはずなのに、というタイトルを読んで、いじめに遭ったことに「まだ囚われているのかもしれない」という感覚があなたの中にあるのだろうかとイメージしました。これは私の勝手な考えですが、許さないことと、乗り越えることは共存するのではないかなと思いました。なぜなら、あなたは相手への怒りを抱えながらもそれに飲み込まれず「自分」がどうしたいかを考えているように感じるからです。過去が自分を作っている以上、その部分が完全に消えてなくなることは難しいのだと思いますが、そのうえに何を形作っていくか、どの部分にスポットを当てるかはあなたの手の中に握られていると思います。
とはいえ復讐心や苦しさに襲われるタイミングは不意打ちで訪れると思うので、そんなときには心の内をまた吐き出しに来てほしいです。

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