経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

成れの果ての人生

将来に全く希望が持てず、自分自身にも全く自身が持てず、もう消えてしまいたいです。
新卒で入社した会社の2年目でうつになり、1年間の休職ののち、退職することになりました。復職できるほど精神状態が回復しなかったこともありますが、復職してもおそらく短期間でまた潰れてしまうだろうという懸念、職場の人たちに対する不信感もあったため、退職すること自体は気持ちとしては良かったと思っています。

しかし、不安なのはこの後のことです。主治医によればうつは回復傾向にあるというのですが、自分ではそんな実感はなく、薬の量が増えるばかりで苦しいのは変わりません。次の仕事など当然決められる状態になく、せめてアルバイトをしたいのですが、なかなかいい条件の求人を見つけられません。正確には1件とても良い募集があったのですが、掲載終了になってしまい、早く応募すればよかったととても後悔しているところです。そもそも休職期間の終了日、つまり退職化復職を決める期限はずっと前からわかっていたのだから、もっと早くから行動するべきだったと思うほど辛くなります。

思えばずっと計画性もやる気もない人生でした。実家から出るのが面倒だという理由で近くの国立大学に入学したはいいものの、勉強する内容にそこまでやる気を持てなかった上、友達ができず辛くなって半期通学できなくなり、1年留年して卒業しました。サークルの友達と仲が良かったのですが、自分がした失敗で後輩から嫌われてしまい、担っていた係も投げ出して行かなくなってしまいました。短期間だけやっていたアルバイトも、しばらく休みをいただいたきりきちんとやめる連絡をせず飛んでしまいました。就活も卒業年の秋ごろまでほとんど何もしておらず、将来について考えるのも苦痛だった中で、適当に見つけて応募・面接した求人で初めて内定が出たので、もうそれでいいやと安易に決めてしまいました。その結果、人手不足かつパワハラの蔓延る職場で働くことになり、その上人間関係を築くのが苦手で失敗し、仕事でもミスばかりして、ひとりで勝手に追い込まれていきました。

自分の将来のことを自分ごととして真剣に考えることができず、何一つ自分の力で達成したこともなく、いつもギリギリになって焦って行動し妥協した結果失敗して、その結果が今の惨状です。過去のことを思い返すたびに情けなくて死にたくなります。

この気持ちを相談できる友達もいません。自分から話かけるのか苦手で会話下手、友達を作るのが下手な私にも、友達でいてくれた子は数人いたのですが、自分の不義理や連絡の少なさで疎遠になってしまい、今友達と呼べる人はひとりだけです。その子にも、自分がしょうもないだけの愚痴を聞かせて時間を奪うのが申し訳ないため、何も言えないです。

家族にもあまり相談したくないです。母は優しく正しい人で、これ以上苦労をかけるのが申し訳なく、また、私が辛いと相談しても「自分の選んだ結果でしょう」と正論で突き放されるのを恐れています。父に対する信用はゼロです。私が小学生の頃から父は毎日のように酩酊するほど酒を飲み、時々物に当たったり大声で怒鳴ったりしていて恐怖しかありません。働いて養ってくれていることには感謝はしていますし、シラフならまともに話もできることもありますが、酔っている時の言動が本当に嫌すぎて話したくありません。ここ数年で一気に父親が嫌になり家を出たいという気持ちが湧いてきましたが、お金もなくうつも治っていない状況では難しく、母と妹をおいていくことにも不安があります。

とりとめがなくなってしまいましたが、とにかく将来にも自分にも絶望が深く、焦りだけが募るのに何かを変える気力もない、そんな状態です。気分が塞ぎ込んで寝転がることしかできないことも多く、「記憶を持ったまま赤ちゃんからやり直してもっとマシな人生にしたいな」と夢想して、そんなことできるわけ無いだろう馬鹿じゃないのか、ああ早く死にたい、と自己嫌悪に陥るのの繰り返しです。死んで全てから逃げられたら一番楽なのにと思いつつ、痛いのも苦しいのも嫌で死ぬ勇気がないので、だらだらと生き続けているだけです。早く救いがくればいいなと願うことしかできません。

長文、乱文大変失礼いたしました。このような場を設けていただきありがとうございます。

感想1

経験談へ投稿いただき、ありがとうございます。

読ませていただいて、ご自身のことを綺麗に整理して書かれている様子から、普段からご自身のことについて考えている時間が多いのではないかという印象を受けました。
しかしながら、大半がご自身を否定する言葉が多いようにも見えたので、1人で休んでいる時に、ついつい否定的な言葉が自分の中に湧いてきてしまうのだとすると、それはとてもしんどいことなのではないかと私は思いました。そして、そんな状況下では、ゆっくり休めたという感覚は得られにくいのではないかとも感じました。

ただ、なんとなく、自分に対して、そういう否定的な言葉を投げつけてしまうのも、もともとあなた自身が、容易に社会から望まれる行動を推測できてしまうこと、そしてその行動を“しっかりとこなしたい”、もしくは“こなさなければならない”という責任感があるからこそならではのものではないのかと私は考えました。これは私の気のせいなのかもしれないですが、知らず知らずのうちに人の表情を見て、これしたほうがいいなとかを考えて、それ通りに動こうとするんだけれども、結局途中でできなくなってそこからガタガタを崩れ落ちていくイメージが頭に浮かんできました。

私自身,そもそも、その何か行動を起こすということには、その行動について得意不得意の度合いも関係するとは思いますが、前提としてエネルギーを消費するものだと思っています。だからこそ、そのエネルギーを消費するためのエネルギーがなければ、動けないというのは自然なことなのではないかと思いました。

そこで、私が言いたいのは、そもそもあなたが、子どもの頃から、いつ怒るのか分からない父と、優しいけれど正論を言う母親との間で生活していたのであるならば、日常的に周りを観察する、そして正しい行動をとらなきゃということで気を張っていたのではないか、すなわち、日常を歩むことでさえも、あなたにとってはだいぶエネルギーを消費していたのではないかということでした。

しかしながら、これはあくまでも仮定で、ご両親のせいにしたいとかそういうことではないですし、あなただけが悪いとかではなく、ただ、あなたが「何かを変える気力がない」ということも様々なことが複雑に絡まりあって、起こっていることなのではないかと伝えたくなってのことでした。

もしかすると、これを読んでみても、「なんで自分は…」と思ってしまうこともあるかもしれないのですが、よかったら、またここに吐き出しに来ていただけたら幸いです。

改めて経験談への投稿いただき、ありがとうございました。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。文章を読んで、“自分の人生をどうにかしたい”と思いながらも、何をどうすればいいのか分からず、過去の選択の一つひとつが重くのしかかっているような、心の疲弊と自分への不信感が伝わってきました。
“怠けていた”、“やる気がなかった”という自己評価の裏には、本当はずっと無理を重ねてきたのではないかなと私は感じました。行動できなかったことを「怠け」と呼ぶより、エネルギーを削り取られるような環境と、「自分の心を守るために止まらざるを得なかった時間」と呼ぶ方が感覚的には近いのではないかなと。(そこまで詳細に書かれているわけではないのであくまで私の推測でしかないのでもしかしたら全然違うよって思われたらすみません…)
うつを患い、仕事を手放したあとに感じる空虚感は、「次をどうするか」だけでなく、「自分が何者なのか分からなくなる」という感覚を伴うものだったりするのではないでしょうか。働くことが「社会とのつながり」であり、“自分の価値”と強く結びついている今の社会では、休職や退職がそのまま“存在の不安”に直結してしまうのも無理のないことだと私は思います。私も一時、動けなくなり働けなくなった時、不安と動揺が強かったことを思い返しています。それに加えて、家族の中でも安らげる場所が限られ、友人との関係も遠のいてしまう中では、支えを求めること自体がきっとあなたの中ではハードルがすごく高いと感じてしまっているのだろうなと感じています。
自分のせいとか自業自得に感じているところも強くあなたには根付いているように私は感じますが、それは同時に、「本当はもっと良く生きられたはずなのに」と思う裏返しでもあるのかなと考えていました。どことなく、例え形を失っていても、その奥には“まだ何かを取り戻したい”というかすかな願いがあるように私には見えました。
それにしてもこの社会は、立ち止まる人に優しくない構造を持っているなぁと改めて思うところです。病気で休むこと、失敗すること、先を見通せないこと…そうしたある種人間らしい時間を許さないスピードで進んでしまうことに、そりゃそんな中で生きていたら本当疲れてしまうよなぁとつくづく感じました。あなたが感じている絶望感は、単なる個人の弱さではなく、その速度についていけないほど疲弊させられる社会そのものの影響が大きいと私は思います。
文章の最後で「救いがくればいいな」と書かれていて、あなたにとっての救いはどんなことを想定して書かれたのかなぁと気になっています。私的には救いとは、もちろんこれだけが全てではないですけど、誰かが突然現れて解決してくれることでもなく、ゆっくりと“これでもいいのかもしれない”と思える瞬間の積み重ねが一つ救いとしてあることかもしれないなと思ったりしました。先の見えなさや常に漠然とした不安があなたを取り巻いている状況かもしれませんが、そうしたものを抱えながらも、せめて無理なくあなたの心の声や叫びをありのままに安心して外に取り出せる場として死にトリがあれたらな…なんてことも思いました。こうして言葉にすることがあなたにとって何か役に立つようでしたら、またいつでも訪れてください。

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