経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
負のループに陥った人生を変えたい
現在24歳フリーターの男性です。
今年の4月に2年間通っていた専門学校を卒業し、社会人になりましたが精神的に病んでしまい、3ヶ月で退職してしまいました。会社を辞めてしばらくしてからは、絶望感に苛まれ、死にたいと思っていました。
今は少し頭が冷静になり、アルバイトから社会復帰をしようと必死にもがいています。
僕は幼い頃から、心の奥底に虚無感や絶望感を抱えて生きてきました。
初めてこの感情になったのは幼稚園の頃です。
周りの人が普通にやっていることができず、自分は他人とズレているのではないかと思い詰めてしまい、精神的に不安定になっていました。
ひどい時にはストレスで便秘になってしまい、通院をすることもありました。
ストレスや不安感から全くご飯が食べられない経験もしました。
小学校に上がってもいじめや差別を受けてきました。
小学校3年生の頃に何の前触れもなく、クラスの男子に虐められたり、
担任の先生と共謀して僕を虐めてきました。極め付けは、とあることがきっかけで僕は虐めをしたという冤罪をかけられてしまい、教室の真ん中でクラスの人たちに囲まれて土下座をさせられました。この時に僕は人間の汚さや人生への絶望感を再認識した気がします。ただ、土下座をするときに何故か謝ってはいけないと感じ、謝ることはしませんでした。このような日々によく耐えたなと今でも思います。周りに相談することもできませんでした。そして今に至るまで、自分が生きることに対してブレーキがかかる原因になっている気がします。
中学校に上がり、サッカー部に入部したのですが
周りと馴染めず、クラスでまたしても虐められました。
特に、幼稚園からずっと一緒の男の子がいるのですが、何故か自分に対して異常に執着してくるのです。僕は何も悪いことをしておらず、何なら中1で初めて同じクラスになったのですが、この時を待ってましたと言わんばかりに僕の容姿や声変わりの時期なので裏声になってしまうことに対する暴言、コミュニケーションが苦手なことへの暴言など人格否定をひたすら繰り返してきました。
卑怯なのは自分一人では何もできずに、周りに人を置いて複数人で虐めをしてくることです。
中3の後期になり、高校受験も意識し始めた頃、海外から自分のクラスに転校生が来たのですが、なんとその子は、小3の頃に担任と共謀して僕を虐めて、土下座を強要してきた張本人だったのです。しかもクラスメイトにも小3の頃に同じだった子が複数人おり、卒業するまで苦しい思いをしました。
高校はサッカーの強豪校に入学しました。
ですが、サッカー部でパワハラや暴力、理不尽が蔓延しており、3ヶ月で部活を辞めてしまいました。辞めてからは学校にも居づらくなってしまい、保健室登校を繰り返すようになり、1年で定時制高校に転校をしました。
僕が通った定時制の高校では、校則らしいものがなく主体性を大事にする高校で、大学進学の実績もあるしっかりとした高校でした。
ですが、前の高校から解放された気分になり、何もしない生活を送り、受験期になっても勉強に身が入らず、何もやりたいことがないのに何故大学へ行くのか?何故自分は生きているのか?などと、周りからの目線や抑圧を感じ、自分が分からなくなり、精神的に病んだまま高校を卒業しました。
高校を卒業してから、海外に留学に行くことになるのですが精神的にパニックになり、1ヶ月もしないうちに帰国することになってしまいました。
帰国してからは完全に引きこもってしまい、心療内科に通うようになりました。
そこからは、自分の心にマグマのようなものを抱え、どこか持て余すような感覚を持ちながら、消化不良の日々を過ごすようになりました。
周りは大学に進学して自分の人生を謳歌しているのにも関わらず、
自分の人生は何一つ変わらない。そんな現実に深く絶望しました。
4年かけて何とか自分のやりたいことを見つけて専門学校に入学しますが、
自分のやりたいことのはずなのに、孤独感や焦燥感、虚しさは消えませんでした。
趣味や同い夢を持った仲の良い友達もできて、それなりにコミュニケーションも取れているはずなのに、何故か気が遠くなるくらいの絶望感に襲われます。
皆こういう思いを抱えながら生きているのだろうと受け入れて、就活をして無事に内定をもらいました。そこから無事に卒業をすることができて、昔味わった孤独や挫折を克服できたものだと思っていました。
ですが、根本的な自分の気質は変わらなかったのです。
入社して3ヶ月が経った頃、ふとした瞬間に「これが後40年間も続くのか」と絶望してしまい、衝動的に辞めてしまいました。
これが僕の24年間の人生です。何をやっても続かず、どの環境にも馴染めない日々を送ってきました。年齢を重ねていくにつれ、表面上の会話はできるようになり、人間関係でトラブルを起こすことは無くなりましたが、圧倒的な孤独と絶望を現在進行形で体全体で感じています。
1人の時ではなく、集団でいるときに何故か圧倒的な孤独を感じます。
仲間外れにされているわけでもなく、他人から見れば普通に空間に馴染めていると思われていますが、本当に息苦しくて自分も持て余すような思いになります。
とにかく自分を爆発させたいという不思議な感覚があります。
僕はこの不完全燃焼な思いを抱えて、どのように生きていけばいいかアドバイスをください。よろしくお願いします。
感想1
経験談への投稿、ありがとうございます。
読み進めていくうちに、私の過去と近しい部分がいくつか見つかり、親近感のようなものを勝手に感じていたところです。幼い頃から絶望感に苛まれていること、物事が続かないことなど、私も似たところや思いがあるし、学生時代にいじめを経験したことからか集団でいる時に疎外感を感じることに関しても、大きく頷きながら読ませていただきました。
小学生時代の「虐めをしたという冤罪をかけられてしまい、教室の真ん中でクラスの人たちに囲まれて土下座をさせられた」という出来事に、驚きで顔がすごく変に引きつった感覚がありました。何より、生徒よりも長い時間を生き、いろいろな人を見てきたであろう教師が共謀している事実に、驚きと憤りの感情が激しく渦を巻いているような感覚を覚えました。私自身、いじめはいい行為ではないと考えているからこそ、生徒よりも多くの経験をしている教師含む大人がしっかり対処してほしかったと思いますし、気づいて尚生徒と共謀していじめをするなんてもってのほかではないかと思います。そういった教師がいる学校となると、そりゃあ信用できる教員も見つからないし相談できる人も見つからないよな…と、あってほしくない事実に読んでいる私も胸が苦しくなりました。
そんな苦しい時間も進学すれば…と淡い期待を抱いていた時間もあったのではないかと勝手な想像をしたのですが、幼稚園からずっと近くにいる男の子、小3の時に土下座を強要してきた張本人の転入、それ以降のトラウマを繰り返しているかのような生活…いろいろなことが重なりすぎて、読んでいる私ではそのつらさが測り得ないものだと想像しました。
それらを乗り越え進学されたときは、中学までの経験から湧き上がってくる不安があったのかなと思います。同時に、クラスメイトだった人たちはそれぞれ違う高校に行くということもあって、小学→中学の時と違ってほんの少しだけ気持ち的に楽だったのかな、とも思いました。(違っていたらすみません。)
高校の部内の雰囲気は投稿を読む限りとても居続けられる場所ではないのでは…と私は感じたので、辞めることに関して何も後ろめたいことはないよって思うし、投稿者さんにそれ以上の被害が及ぶ前に辞める決断をされたことは率直に良かったなと感じました。部がそういった雰囲気だったこともあり、辞めてから学校に居づらくなる気持ちもわかる気がしますし、不安と同時に恐怖心もあったのかなと思ったのですが、そんな中でも保健室登校という形で1年間登校し続けたことは素直に自分をほめてあげて!!って思っちゃいました。
定時制高校では、それまで緊張し張りつめていた精神が少し解けたのかなと感じ、その点(精神のお休み期間ができたという意味)では良かったのではないかなと個人的に感じましたが、その精神がほどける前と後でのギャップに思考がまとまらない感覚はとても煮え切らないものだったのかなとも感じました。
また、そういった想いで臨む海外留学は、一層目的や意味が分からず不安が募る思いだったのかなと思います。海外への留学は投稿者さん自身の意思で決断したものなのか、また親御さんの決断で臨んだものなのか私には読み取れなかったのですが、それによっても気の持ちようだったり、それこそ目的や意味であったりが大きく変わってきそうだなと感じました。
私は投稿者さんが「マグマ」と表現しているものを「エネルギーのようなもの」と認識しました。そのエネルギーを割く先が定まらず、行き場がなくモヤモヤと心に滞在するそれが投稿者さんに「消化不良」を実感させているのではないかと感じました。また、そういった消化不良を感じている時には、焦りやそれに類似した感情を併せて感じているのかなと思いました。焦りを感じるとどうしても周囲の情報は気になるし、周囲が変わればそれだけ今の自分と比べてしまうよなって思います。(私の場合はこの時が一番つらかったように思います。)
入社して3カ月で衝動的に辞めたのは、投稿者さんがこれまで経験してきたものが本能的に自己防衛として訴えかけてきたからではないかと個人的に感じました。会社のどこに対し「これが後40年も続くのか」と思ったのか私には読み取れませんでした(申し訳ありません…)が、当時の投稿者さんの本能が将来的な心身の危険を察知した結果だとしたら、一概に辞職したことが良くないとも言えないのではないかと感じました。
(実は、私もあまり周囲に馴染んでいる、という感覚になれない、というか、そういった感覚を感じ取れないでいます。集団でいる時は、楽しそうに話しているその人たちを後ろから眺めているような感じでしょうか。でも私はその立ち位置が嫌いではないんです。孤独感を感じる気持ちはすごくわかるので、あくまでこんなひともいるんだ、と聞き流してもらえたらと思います。)
自分を爆発させたい、というのは持て余すマグマを消費しきりたいという思いからくるものなのかな?と勝手ながら想像しました。
そういった思いを抱えながらどう生きていくのが投稿者さんにとっていいことなのか、申し訳ないですが私には道筋を伝えられません。ただ、読んでいて個人的に似た思いを持っていると感じた私はその日その日のエネルギーは常に持て余して翌日を迎えているし、明日のことすら何もはっきりしていない、言葉がよくないかもしれませんが適当な人生を歩んでいます。何かを成したいという思いは必要かもしれないと思うけれど、ずっとそれを持ち続けるのは大変に感じるかもしれないなって思いました。
また吐き出すことで気持ちが軽くなるのなら、いつでもここに書きに来てください。
投稿ありがとうございました。
感想1
経験談への投稿、ありがとうございます。
読み進めていくうちに、私の過去と近しい部分がいくつか見つかり、親近感のようなものを勝手に感じていたところです。幼い頃から絶望感に苛まれていること、物事が続かないことなど、私も似たところや思いがあるし、学生時代にいじめを経験したことからか集団でいる時に疎外感を感じることに関しても、大きく頷きながら読ませていただきました。
小学生時代の「虐めをしたという冤罪をかけられてしまい、教室の真ん中でクラスの人たちに囲まれて土下座をさせられた」という出来事に、驚きで顔がすごく変に引きつった感覚がありました。何より、生徒よりも長い時間を生き、いろいろな人を見てきたであろう教師が共謀している事実に、驚きと憤りの感情が激しく渦を巻いているような感覚を覚えました。私自身、いじめはいい行為ではないと考えているからこそ、生徒よりも多くの経験をしている教師含む大人がしっかり対処してほしかったと思いますし、気づいて尚生徒と共謀していじめをするなんてもってのほかではないかと思います。そういった教師がいる学校となると、そりゃあ信用できる教員も見つからないし相談できる人も見つからないよな…と、あってほしくない事実に読んでいる私も胸が苦しくなりました。
そんな苦しい時間も進学すれば…と淡い期待を抱いていた時間もあったのではないかと勝手な想像をしたのですが、幼稚園からずっと近くにいる男の子、小3の時に土下座を強要してきた張本人の転入、それ以降のトラウマを繰り返しているかのような生活…いろいろなことが重なりすぎて、読んでいる私ではそのつらさが測り得ないものだと想像しました。
それらを乗り越え進学されたときは、中学までの経験から湧き上がってくる不安があったのかなと思います。同時に、クラスメイトだった人たちはそれぞれ違う高校に行くということもあって、小学→中学の時と違ってほんの少しだけ気持ち的に楽だったのかな、とも思いました。(違っていたらすみません。)
高校の部内の雰囲気は投稿を読む限りとても居続けられる場所ではないのでは…と私は感じたので、辞めることに関して何も後ろめたいことはないよって思うし、投稿者さんにそれ以上の被害が及ぶ前に辞める決断をされたことは率直に良かったなと感じました。部がそういった雰囲気だったこともあり、辞めてから学校に居づらくなる気持ちもわかる気がしますし、不安と同時に恐怖心もあったのかなと思ったのですが、そんな中でも保健室登校という形で1年間登校し続けたことは素直に自分をほめてあげて!!って思っちゃいました。
定時制高校では、それまで緊張し張りつめていた精神が少し解けたのかなと感じ、その点(精神のお休み期間ができたという意味)では良かったのではないかなと個人的に感じましたが、その精神がほどける前と後でのギャップに思考がまとまらない感覚はとても煮え切らないものだったのかなとも感じました。
また、そういった想いで臨む海外留学は、一層目的や意味が分からず不安が募る思いだったのかなと思います。海外への留学は投稿者さん自身の意思で決断したものなのか、また親御さんの決断で臨んだものなのか私には読み取れなかったのですが、それによっても気の持ちようだったり、それこそ目的や意味であったりが大きく変わってきそうだなと感じました。
私は投稿者さんが「マグマ」と表現しているものを「エネルギーのようなもの」と認識しました。そのエネルギーを割く先が定まらず、行き場がなくモヤモヤと心に滞在するそれが投稿者さんに「消化不良」を実感させているのではないかと感じました。また、そういった消化不良を感じている時には、焦りやそれに類似した感情を併せて感じているのかなと思いました。焦りを感じるとどうしても周囲の情報は気になるし、周囲が変わればそれだけ今の自分と比べてしまうよなって思います。(私の場合はこの時が一番つらかったように思います。)
入社して3カ月で衝動的に辞めたのは、投稿者さんがこれまで経験してきたものが本能的に自己防衛として訴えかけてきたからではないかと個人的に感じました。会社のどこに対し「これが後40年も続くのか」と思ったのか私には読み取れませんでした(申し訳ありません…)が、当時の投稿者さんの本能が将来的な心身の危険を察知した結果だとしたら、一概に辞職したことが良くないとも言えないのではないかと感じました。
(実は、私もあまり周囲に馴染んでいる、という感覚になれない、というか、そういった感覚を感じ取れないでいます。集団でいる時は、楽しそうに話しているその人たちを後ろから眺めているような感じでしょうか。でも私はその立ち位置が嫌いではないんです。孤独感を感じる気持ちはすごくわかるので、あくまでこんなひともいるんだ、と聞き流してもらえたらと思います。)
自分を爆発させたい、というのは持て余すマグマを消費しきりたいという思いからくるものなのかな?と勝手ながら想像しました。
そういった思いを抱えながらどう生きていくのが投稿者さんにとっていいことなのか、申し訳ないですが私には道筋を伝えられません。ただ、読んでいて個人的に似た思いを持っていると感じた私はその日その日のエネルギーは常に持て余して翌日を迎えているし、明日のことすら何もはっきりしていない、言葉がよくないかもしれませんが適当な人生を歩んでいます。何かを成したいという思いは必要かもしれないと思うけれど、ずっとそれを持ち続けるのは大変に感じるかもしれないなって思いました。
また吐き出すことで気持ちが軽くなるのなら、いつでもここに書きに来てください。
投稿ありがとうございました。