私の敵は母親でした。母親は精神疾患もちでちょっとしたことでも爆発してしまえば暴言や暴力でこちらを攻撃してきます。そんな母親との一番古い記憶は5歳とか幼稚園のときに泣きながら母親に土下座をして、謝っていたものです。うまく部屋の片付けができなかったかなにかで母親を怒らせてしまい、ごめんなさい、許してくださいと謝ったことを覚えています。他の記憶も怒って蓋の間お醤油のボトルを投げつけられたり、入浴中に脱いだ服を湯船に投げ捨てられ洗えと命じられたり、時には私の友達にまで干渉するほどでした。そんなことをされても私が真っ当に生きようと思ったのは弟のおかげです。弟は生まれつき障害もちですが、ひたすらに明るくて、私に寄り添ってくれる子です。10歳近く離れてるから喧嘩はしないし、ほんとうにかわいい弟です。
忘れもしない冬の日。その日は父は友人と夜出かけていて、家には私と弟、母親しかいませんでした。母親はずっとイライラしていて、私や弟にあたっていました。でもその日はいつもより怒り方が激しく、ラーメンなどをいれる丼で頭を殴られたり、みそ汁を頭からかけられたり、本当に酷かったです。はじめて、あぁ私たち殺されてしまうかも、と思い、なけなしのお小遣いと母親の車の鍵を持って、弟と家を飛び出しました。そして、弟と一緒に死のうと思いました。しかし、私のせいで弟の未来まで潰してしまう、そんなことは一番してはいけないと友人の家に転がり込んで、父親に連絡を取ってもらい、その日は祖父母が迎えに来て、祖父母の家で一夜を明かしました。
祖父母と父親は母親と話をしたのか、その後会った母親は落ち着き払っており、私を抱きしめてごめんね。と謝りました。しかし、自分を殺そうとしてきた相手に今さら愛情なども感じません。その日から私の心は完全に閉ざされてしまいました。
そんな私ももう成人。誕生日にはおめでとうの言葉なんてありません。でもそれでいいんです。関わらない、相手に相手を怒らせるようなきっかけを与えないのが一番です。高校生の間も大変なことがたくさんありました。父親は母親とは対照的で優しい人でした。私を守ってくれる存在であったし、私の頼みごとをすんなりと聞き入れてくれたりと、寄り添ってくれる人でした(母親は頼みごとをすると機嫌を悪くしたり、必ず文句をいうので、頼みごとをしませんでした。)しかし、父親も追い詰められており、高校1年生の冬頃に抑うつに。その時期母親は諸事情で入院していたので、学校から帰ったら父親の消えてしまいたい気持ちを延々聞いた後、夜ご飯を作り、朝起きて自分の分の弁当を作り、そんな生活でした。
母親は歳を重ねるごとに落ち着き、私に対してなにも喋ってくれない、つめたいーーーなんて言うようにもなりました。しかし、爆発すると手が出るのは変わらずお前なんか産まなきゃよかった、お前のせいでさんざんな人生だ。と叩かれながら言われる時もあります。辛いです。
私はオトナになんてなりたくありません。夢もある。いろんなところに旅に行ってみたいし、大好きな人と家族にだってなりたいです。
でも、オトナになったら、いろんな責任を自分で負わなきゃいけません。
親がなくなったら、障害もちの弟の面倒は私一人で見なきゃいけません。オトナになったら、私を散々な扱いしてきた親に親孝行をしてあげなきゃいけません。でもはやくオトナになって、この家を出ていきたいという気持ちも、夢だった医療従事者になりたいのも諦めたくないです。ムズカシイですね。
正直家に居場所がないように感じるんです。家族の中で私だけ、母親から名前を呼ばれません。家族の中で私だけ抜きで、いろんなところへ出かけたりしています。今日だって、模試があって、迎えに来た親にお疲れ様って1言言ってほしかっただけなのに、来るのが遅いって言われちゃいました。電車が遅延してたから、模試も時間を遅らせて始まったから、終わるのが遅かったんだよって言いたかった。でも、言えなかった。言う気も失せちゃいました。
オトナになりたくなかったなって感じる瞬間があります。それは、周りのオトナが本当は私の味方じゃなかったんだってこと。
祖父母はいつも母親が爆発したとき、母親と話してくれました。でも、いつも私は お前が我慢するんだぞって とも言われました。小さいときはよくわからなかったけど、今ならどんな意味だったのか痛いくらいに分かります。
小学校の先生。爆発状態の母親と喋ってくれました。その後、君のお母さんは精神科に行くべきだと言われました。先生なら、状況の異常さに気がついて、どこか然るべき機関へ連絡してくれたのかな、とか今になっちゃ思うけど、でも先生も、忙しかったのかもですね。
父親もそうです。私に非がなく、一方的に当たり散らされた時も、でもお前にも悪いとこあったからな。直せよ。って言ってきました。母親が自分が一方的に責められてると感じると、怒り狂う性格だからだったのかな。でも、私はそう言われて、どこにも味方がいない気持ちになりました。
きっときっと、ふみだせば私を守ってくれるオトナがいるんだと、わかってます。でも、怖いんです。身内だって私の味方じゃなかったのにって。それに、母親は執念深い人です。下手に刺激をしたら何百倍にして返してきます。この18年間傷つけられた私の心では、それに耐えることはできません。だから、家でも何も話さず、できるだけ接触を避ける形で、息を殺して生きています。
学校の先生と話すときとかも自然の力が入っちゃうんです。とくにお母さんと同じ年齢層の女の先生とは。授業の質問をするだけでも、涙が出そうになるんです。進路相談の時なんかは先生の前では涙をこらえるために、ほとんど何もしゃべらなくなって、うまく受け答えができずに、なにも伝えられないまま職員室をでて、廊下で一人泣いちゃいます。先生に打ち明けたい、踏み込んでほしい、でも踏み込んでほしくない、今の息を殺すだけで最低限生きられる生活に変化を生じさせることが怖いんです。
いきるのへたっぴだなあ、ってじぶんでも思います。親を変えることも、じぶんの傷をなかったことにすることもできません。だから、自己否定をやめる、自己否定しちゃう自分を愛してあげようと思います。まだまだ、だめだめで、月に1週間くらい、限りなくメンタルがマイナスになって消えてしまいたいとおもちゃうけれど、必ず立ち上がるんです。やっぱり諦めたくない、自分を大好きで居たいって。
今だって、隣の部屋で母親が暴れていて、トラウマからか涙と鼻水が止まらない状態でこれを書いています。未来の自分が、そんな時期もあったけど、乗り越えた先、夢をかなえた先にいる自分は自由だよって笑って楽しんで生きてることを信じて、しなないでいようと思います。
オトナになってしまった自分。未来の自分が幸せなことを祈って、受験勉強がんばります。
感想1
あなたはどんなことがあっても自分自身を手離さずここまで生きてきたんだと私なりに深く考えさせられ、敬意を感じました。
最も頼りたい母親が幼少期から敵として身近にいたことがどういうことなのか少し考えただけでも想像はできますが、それはあくまでも私の想像でしかありません。あなたは幼少期から毎日リアルに過酷な生活を強いられていたのですから、心が壊れてしまってもおかしくなかったと思います。それを支えた弟さんの存在は本当に大きかったですね。きっとあなたを偏見で見ることなく、あなたの寂しさや苦しさなど感情をスーッと吸い込んでくれるような存在だったのかな…あなたも大切な存在だったでしょうからお互いに支え合っていたのかな…そんな印象を持ちました。人は発達する中である程度安定した他者との関係(意思を尊重されたり、感情をケアされたり)を土台にして成長すると言われています。弟さんの存在があったとは言え、不安定な土台の中で自分の生き方を見つけようとするあなたの意思を感じました。あなたの中に備わった倫理観や感性、価値観があなたを一人の大人に成長させたのだと私はすごく感じます。すでにあなたはあなたが見てきた“オトナ”とは別の真っ当な「大人」に成長しようとしているのではないでしょうか。怖いと思うこともあなたが先に進みたいと思うから現れる自然な感覚でしょう。
読み終えた時に「あなたにはひとつも責任はないし、悪いところはないよ」と伝えたくなりました。身近な大人が一人でもいいからあなたの言葉を1つも否定せずに、ただただ聴いて欲しかったなって私は思います。
今もまだ不安や危険と隣り合わせの生活の様ですね。自分だけで何とかしなくてもいいんだ、頼りたいってあなたが思える社会になっていないのが悔しいところですが、あなたが言うようにきっとあなたを助けようとしてくれる大人はいると私も信じています。死にトリの仲間にもいると思います。受験勉強をがんばるあなたも、そうでない時のあなたも応援しています。