私の今までの人生には、生きててよかったと思えるようなことが少なかったように思う。何も知らなかった、純粋な気持ちで過ごせた幼少期はそれはそれは幸せだった。でも、私の周りでは沢山のことが起きていた。父からの身体的、性的虐待。その経験から普通が分からなかった私は隣人から性加害も受けた。小学生低学年にも関わらず新生児の面倒を押し付けられ、親は8時間くらい出かけて帰ってこない。足の踏み場も無いほど散らかった部屋。そんな生活が私の普通だった。
中学生の頃、自分が受けていたのは虐待だとやっと気付いた。でも外面だけはいい親。身体に痣なども無く、周りの大人に相談することを諦めた。感情を上手く処理出来なくて、自傷に走った。辛い感情は全部自分にぶつけた。そんな生活でも、クラスメイトと学校の先生、そして弟妹の存在に救われていた。
高校生になった。中学のクラスメイトはそれぞれの道を歩み、新しい学校で悩みを相談できるような友達は出来なかった。それでも、夢ができた。将来は管理栄養士になりたい。小さい頃から好きだった料理を仕事にしたい、という思い。そのためには大学に進学しなければならない。金銭的に親は頼れず、バイトを頑張ってお金を貯めた。
ある日、親にお金を貸してほしい、と言われた。すぐに返すと言われたのもあり、貸してしまった。大金だった。親は毎月少しづつ返すと言った。が、催促すると今月はお金が無い。来月まとめて返す。そんなことを言い、今でも貸した金額の20分の1も帰ってきていない。
最近、弟妹の金遣いが荒いな、と思った。お年玉はとっくに使い切ったはず。確認してみると、財布から万札が消えていた。問いただしても全く悪びれた様子はなく、今現在謝られてもいない。大学に行くために頑張ってバイトをして貯めたお金。ふざけるな、と思った。
親への信頼という感情は、中学の時には無かった。でも、弟妹のことは好きだった。お姉ちゃんの私が守らなきゃ、と思っていた。まさかこんなことが起こると思っていなかった。裏切られた気持ちになった。もう何も信じられなくなった。また自傷に走った。心が苦しいより、体が痛い方が楽だった。
小さい頃から、いい子だね、と言われて育った。いつしかそれは義務のようなものに変わった。いい子でいなきゃ。それは鎖だった。弟妹は、甘やかされて育った。そんな簡単なこともできないのか、と呆れてしまうほど。今は、夢のために頑張っているだけで、弟妹にも私と同様の努力を求めたりはしない。弟妹の人生がどうなろうと私には関係の無いことだと思っている。だか、私が勉強を頑張っていても全く遠慮などせず、引き戸を1枚隔てた先からは無駄に大きいテレビの音、笑い声、話し声が聞こえてくる。それには腹が立つ。うるさくて集中できないと言うが、気を付けるのは最初だけですぐに元に戻る。誰も私を尊重してはくれない。
私が高校を卒業するまであと半年もある。あと半年も、この家で過ごさなければいけない。誰も信じられる人がおらず、気を張って過ごさなければならないこの家で。大学生になったら、親と縁を切ろう。自由で楽しい大学生活が待っている。そんな希望だけを胸に受験勉強を頑張っている。しかし、時々、この人生はなんの罰なんだろう?と考えてしまうことがある。私はなにかそんなに悪いことをしたのだろうか?何故こんなに苦しまなければならないのか?と。とてもやるせない気持ちになる。
それでも私は、こんな所では立ち止まらない。誰より幸せになって家族を見返さないと気が済まない。だからこれからも将来のために頑張る。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
この人生はなんの罰?
感想2
経験談の投稿ありがとうございます。理不尽な家庭環境の中で、どうにか自分の「生」をつなぎとめてきた様子が切実に伝わってきました。幼少期に“いい子”として生きることを強いられ、暴力や性的な侵害、放任、そして家族からの裏切りを重ねて受けてもなお、あなたの中には“それでも幸せになりたい”、“自分の力で未来を掴みたい”というような、揺るがない決意のようなものを感じ、ただそれだけ過酷(とだけでは表現しきれないですが…)な状況を生き抜いてきたということでもあると感じています。
「いい子でいなきゃ」という思いが、褒められたいという気持ちよりかは、“生き延びるための戦略”だったのではないでしょうか。大人たちが守るべき存在を守らず、暴力や放置を繰り返した家庭の中では、“怒らせない”とか“褒められるように振舞う“ことが、自分の安全を確保する数少ない手段だったのではないかと私は思います。それを鎖のように感じながらも、あなたは必死にその中で生きる術を身につけてきたことを思うと、私がそう思ったところで…という感じではあるのですが、何だか勝手ながらもどしさというのか大人を代表して申し訳ない気持ちになってしまっている自分がいます。親からの金銭的な裏切り、弟妹の無理解、誰も自分を尊重してくれない環境…そのすべてが“信頼”の土台を崩していき、心の中に深い虚しさと怒りを残しているように私は感じました。
それでも、あなたは“誰よりも幸せになって見返したい”と綴っていて、この言葉に、単なる復讐ではなく、「自分の人生を取り戻す」という強い願いが込められているように私には映りました。虐待や貧困、家庭内での役割の押し付けなどそれらは決して個人の問題ではなく、社会が支えきれなかった構造的な問題でもあって、本来なら、あなたが背負わされてきた責任は大人たちのものであり、子どもが自分の力だけで背負うべきものではないのだと声を大にして伝えたいです。
今のあなたが感じている「やるせなさ」や「罰のような人生」という思いは、決して弱さではなく、理不尽さに気づいてしまったがゆえの痛みのようにも感じました。それは、自分の人生を“自分のものとして生きたい”と願う人間のまっとうな感情だとも私は思います。
社会は、家庭での虐待や経済的搾取のような問題を個人の努力の問題などで片づけようとしまいがちですが、本来は、そんな理不尽な環境に子どもを閉じ込めてはいけないはずだし、あなたに対して“ここまでよく耐えてきたな”と感じるのは、あなた個人の頑張りだけでなく、社会が果たすべき責任を一人で背負ってきたことへの痛みに対する共感でもあるなと感想を書いていて思っていたところでした。あなたの「頑張る」という思いに決して無理をしてほしくないなという気持ちもありつつ、応援しています。また死にトリがあなたにとって何か役に立つようであればいつでも声を届けてください。
感想1
私は、周りの誰かと人生を比べて、自分の人生を嘆くとき、これは前世かなにかの罰やツケが回ってきているのか、と思ってしまいます。「運が悪い」だけでは受け入れられず、「罰」だと思えばまだ折り合いがつけられそうな気がするのです。投稿文のタイトルを見て、なんの罰なのかと見えない何かに問いただしたいくらい、今この瞬間まで、苦しみが続いていたのではないかと感じました。
親に頼られるくらいの大金、貯まるまでにすごく時間がかかったでしょうし、放課後や休日に、遊びに行ったり欲しいものを多少なりとも我慢したのではないでしょうか。進学費用は親に頼れないからとお金を貯めていたのに、その親に貯めていたお金まで実質取られてしまう形となり、そしてその後の親の態度も、コツコツ貯めてきたその苦労を軽視しているように感じました。
さらに、守らなければと思っていた弟妹からの裏切りは、何もかもがひっくり返るくらいの衝撃やショックがあったのではないかと想像します。「心が苦しいより体が痛い方が楽だった」という言葉からも、その苦しみが切実に伝わってきました。信用できない相手に囲まれながら、今を生き延びる努力、未来のための準備、どちらも併走させていかなければならないというのは、もう一瞬も気が抜けないし、ものすごい疲れるんじゃないかと思いました。
私の知り合いにも(当時)高校生で、親子関係に問題があり、大学進学で家を出るまでどうにか頑張ろうと思って受験勉強を続けていた子がいましたが、冬が近づくある日の週末、いよいよ限界を迎え、児童相談所に電話したようです。金曜日の夜だったので、行政ですから「月曜の朝まで待って」と一度はその子をなだめてみたけれど、その子は絶対に引き下がらず、「もう本当に無理。少しも待てない。」「とにかく今すぐじゃないと無理」「限界なんだ」と言って、どうにかその日のうちに児相職員に迎えに来てもらい、そのまま自立援助ホームに入所しました。
高校卒業というタイミングは、区切りがつきやすいとは思いますが、もしあなたが望むのなら、家を出るのはどんなタイミングでもよく、今日だって明日だってよいのだと、お伝えしたいなと思いました。
最後の一文以外にも文章の節々から、苦しい経験の連続があっても消えない、あなたの中にある強いエネルギーが伝わってきています。そのエネルギーは怒りや悲しみ、失望だったりするかもしれないし、「いい子でいなければ」、「自分の足で立たなければ」というある種の強迫観念からくるものだったかもしれませんが、どんな背景があったとしても、事実あなたは自分の足で立ったり歩いたりする力を持っているし、その力は誰にでもあるわけではないはずです。(決して、その経験があったからこそだ、と言いたいわけではないです)
あなたの頑張りたいという気持ちを支持したいと思いましたし、あなたが安全と思える場所にたどり着いたとき、今まで頑張ってきたぶん、思い切り休めるように、ふかふかのベッドやソファでゆったり脱力できる瞬間があってもよいのではないかなと思いました。それが本物のベッドやソファなのか、空間や誰かの存在なのかはわからないですが、そんな何かがあなたの将来に在ったらな、と勝手に思いました。