経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

私を私たらしめるのは

私は幼いころから不器用です。幼いころから他の人ができることを私は少し時間をかけなければできません。それに気が付いたのは中学2年生の頃でした。そしてこれが今の今迄まで続いています。そして社会人一年目の時死のうとしました。未遂に終わってしまったあの時の絶望感と言ったら言葉にできません。何かを始めるにしても他の人の倍の時間がかかってしまう、あまり気が付きたくなかったけどそれを受け入れて生きています。常に死んでもいいように生きています。生きながらえています。そしてその時から私は「明日は私を私たらしめるために嫌なことがありませんように」と願いながら眠りにつきます。
 私を私たらしめるのは何なのでしょうか。それに気が付くのには時間はかかりませんでした。この死にたくなる気持ちや幸せになりたい気持ち、そして嫌なこと自分自身で迷惑をかけてしまうことこの全てを抱きしめて生きることでした。言葉にすると聞こえはいいように感じますが、この死にたくなる気持ちと二人暮らしするのは中々に大変です。
そして、ここにいる皆様が私と同じように「何かを託して言った言葉、その先の運命を疑わなければいけなかった時、そしてそれが間違っていなかったという為のいつかの日」それぞれの人生をどうか挫けることなく光へ進んでいきましょう。

感想1

タイトルを見て、「私を私たらしめるのってなんだろう?」と、率直に疑問を抱きました。私なりに考えてみましたが、パッと浮かぶのは「〇〇の子どもであること」「〇〇と友達であること」など、なぜだか周辺人物のことばかり…。徐々に私自身の趣味や好きな物事が浮かんできて、ようやっと私という存在のぼんやりとした輪郭を捉えられたような気がします。ですがまだ、自分の深層にある「私を私たらしめるもの」にはたどり着けていない感じがします。
私を私たらしめるのは何なのか、その問いに対しあなたなりに気付いたことを読んでいて、私も感じることがたくさんありました。私の中でもあなたと同じく「死にたくなる気持ち」と、一見対極にありそうな「幸せになりたい気持ち」が同居していること。私の場合は死にたくなる気持ちを隠そうとしたり、目を逸らしたりしようとする傾向にあること。だからあなたが、自分のさまざまな思い全てを抱きしめて生きることを「私を私たらしめる」何かとして捉えていることに驚きつつ、確かに大変ではあるだろうけれど尊重したい気持ちにもなったことなどなど。
これ以上書くとキリが無いので区切りますが、人それぞれにその人たらしめる何かがあり、その内容は似ていることも全く異なっていることもある。だからこそ話したり聞いたりすることで、「私を私たらしめる」何かのヒントを得られることもあるのかも、などと感じました。

感想2

「ありのままの自分」や「等身大の自分」を受け入れること、それらはいいことであってもわるいことであっても中々出来ることではないと思いますが、「自分たらしめる」もとのしてそれらを受け止め、相反する気持ちも折り重なっている中で肯定も矛盾も含んだ自分に生きづらさを感じつつも、どこか自分も他者も大きく柔らかく包み込むような希望を秘めた気持ちが込められているように読ませていただいて感じていました。

幼い頃から不器用だと感じながら生きていく中で、嫌でも周囲との違いを自分で受け止めながら生きてきたことには大変な苦労があったことと想像しています。それは「不器用」と一言で済ませてしまえば楽なのかもしれませんが、おそらくそうでない状況や場面に幾度となく出くわし、投稿者さんにとても苦労を強いるものであったのかなと思えました。

しかしながら、それらの苦しさは確かに投稿者さんを生きづらくさせてきたのだとは思いますが、人と比べて「少し時間を要すること」、何かを始めるにあたって「人の倍時間がかかってしまう」ということは、常に人より倍以上の努力を以って、自分の目の前のことと自分自身に投稿者さんが真摯に実直に向き合ってきたことの反証のように私には思えました。

もちろんそれらは今に至る投稿者さんの生きづらさと地続きになっていたり、「あまり気が付きたくなかったけど」とあるように、それがなければもっと今とは違う生き方や自分でいられたのかもしれませんが、自覚したうえでそれを受け入れることは容易ではない気がしますし、誰にでもできる容易いことではないと思わず伝えたくなった私がいます。

生きていると様々な辛さや自身の持ち合わせている苦しさに直面する中で、それらを「見たくないから見ない」「気がついても言わない」「言っても聞かない」として生きることは簡単なのかもしれません。ですが、それらに気づいた自分をおざなりにせずに正面から相対することは、たとえそれが死にたい気持ちに繋がる矛盾をはらんだものだったとしてもとても大切なことのように私個人としては思えます。

「私を私たらしめるもの」として投稿者さんが受け入れたものやことには、同時に、生きづらい自身も受け入れるという苦しさを伴ったものともなっているのかもしれません。しかしながら、自身の苦手や弱さも認め、「自分たらしめる」ものとして、決して自分の一部を否定せず捨て置かずに向き合おうとしている投稿者さんのこれからが(投稿者さんが他の誰かに対して向けているのと同じように)挫けることなく進めるものであってほしいなと勝手ながらに願いたくなりました。投稿ありがとうございました。

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