我が家には子供が2人います。どちらも女の子です。
私の旦那はどうしても男の子が欲しくて人生においての優先度がとても高い人です。
しかし私は旦那の男の子が欲しいという熱量を理解できていなかったので、産み分けなどをせず私の誘いで2人授かってしまい結果女の子でした。
旦那は私に騙されたと思っています。
その後3人目の話が持ち上がり、私は私の年齢的にも精神的にも2人が限界だと思っていて話しましたが理解してもらえず離婚まで持ち出されました。
そこから離婚になるのが怖くてどんどん病んで行きました。3人目の妊活をするものの授かりたくない私は排卵検査薬の時間を少し早めたり遅くしたりという、小さな抵抗をしてしまいました。
なかなか授かれなかったら諦めてくれるかもしれないと思ったからです。
でも旦那にそれがバレてしまって旦那は大激怒。
離婚の話がまた出てきました。
俺は本気だと。
今いる子どもたちもかわいそうだとは思うが、家事や食事を満足にこなせていない私よりしっかり面倒見てくれる新しい母親のほうが幸せなんじゃないか?と思ったりもしているとまで言われました。
確かに家事も育児も満足にできていません。
そもそもが得意な方ではないことと、精神的に辛いと体が全然動かなくなるタイプで、今もずっと仕事を休んで寝たきりになっています。
「理想だった結婚生活からかけ離れている、セックスもできない、男の子も産めないとなると離婚して新しい生活したほうがいいと思っているが、今何とか踏みとどまっている」そうです。
もう、3人目を産むのは産むしかないのかな…と諦めつつあります。私もあと1ヶ月で38歳になるのでリミットも近いです。
それでもまた生まれた子が女の子だったら?
今度は4人目と言い出す?今度こそ離婚?
私って一体なんだろう。
子どもたちの世話も正直私がほとんどやっています。もちろん満足にこなせているとは思えていませんが、ほぼ私が世話をしています。辛くて手伝ってと言っても手伝ってくれないことのほうが多いです。私が子どもの勉強をみたりしていますが、子ども的には宿題は嫌いなので私に宿題を促すことや内容をチェックされたりするのも嫌のようです。
ご飯も遊んでしまってなかなか食べなかったりすると私は怒ります。怒る役目は私ばかりなのもあって、子供たちは旦那がいい、ママは嫌だと言います。
旦那に見限られている、子どもたちも旦那がいい。母親としても主婦としても女としても欠落してる私は生きている意味がないとずっと思っています。
子どもたちがこんな私でも死んだら悲しむだろう、生きづらくなるし、心に傷を負うだろうと思うと何とか踏みとどまれている気がしています。
ただ人生は苦しく消えたい気持ちはずっと持っています。
結果離婚になった場合私は迷わず生を手放すつもりで、楽に死ねて、周りに知られず密かに死ぬ方法がないものかと調べてしまったりもします。
旦那と前みたいに仲良くするのはもうきっと無理で、でも私の精神状態がここまで来てる事を伝えたら旦那は更に離婚の意志を強くしていくと思います。旦那に怒られるのが怖いということまでは伝えていますが自殺を考えていることまでは言っていません。
言葉がうまくまとまらずにすみません。
私は以前見たいとは言わずとも家族で仲良く過ごせたらそれだけでいいのですが、私が小さな嘘をついたのもあって信用はゼロです。
修復不可能ですが、どうやって気持ちを切り替えて生きていけばいいのかがわかりません。
誰か教えてください…。
感想1
文章全体として、あなたがとても自信を失い、怯えながらどうにか持ち堪えているような雰囲気が伝わってきました。今の環境を積極的に手放したいわけではないけれど、今の環境に留まることもつらい、という大きくて自分で制御しきれないほどの葛藤を抱えているように想像しています。
率直に、あなたが不安や自己否定にさらされているのは、夫さんの発言や態度によるところがかなり大きいように感じたことを、まずは伝えたくなりました。あなたが引け目に感じている部分を理由として「離婚」や「新しい母親」というワードをちらつかせることで、あなたに罪悪感を抱かせて自分の主張を正当化しているようにしか思えないのが正直な感想です。客観的に見て夫さんの言動や行動には疑問を持たざるを得ないところが多く、これを書きながらも非難するような言葉が溢れそうなところをぐっと抑えている感覚があります。
同時に、あなたの生活をもう少し具体的に想像すると、日常的に「耐える」瞬間がものすごく多いのではと感じました。不調の中で家事をして、子どもを見つつ、3人目の妊活に応じないといけない…しんどくてもそれらをどうにかやってきたあなたを「欠落している」とは全く思いませんでしたし、かなりぎりぎりのメンタルで踏みとどまっているのではないかなと。実感としてあなたが必死にやっていること、消耗していく心身に対して、夫や子どもさんからは非難されてしまう、そんなギャップがより一層あなたを苦しめているように見えました。
今あなたが「これができていない」と数えている引け目は、きっとどれも属性や役割に対して世の中が要求しているものだと思います(家事、出産や育児、仕事まで…)。個人的には、1人がそんなにたくさんのことを一度に出来なくても当然で、それらを分け合うためにも家族というチーム制を取る選択肢が存在しているのではないかなと思っています。役割を果たすために個人が存在しているのではなく、みんなで必要な要素を分担して、個人が個人として存在できるために「役割」という考え方があるんじゃないかなと私は感じます。母親として、主婦として、女性として、あらゆるアイデンティティが揺さぶられ、簡単に放棄できないのにその属性や役割に縛られる苦しみの中で、「自分は欠落しているんだ」という結論があなたを取り込んでしまったのかなと想像しました。
強い力で押し切られそうな場面こそ、あなたの小さな抵抗や、こういった場所で気持ちを表現することがとても意味のあることだと感じます。書く中で、あなた自身の言葉や思いが出てくる感覚があれば、また死にトリを訪れてみてほしいと感じました。