私は、学生のときに先輩たちや同級生や、先生から何度も何度もいじめられて、PTSDや精神疾患になり現在も治療中です。精神疾患が起こる最後の1手は、大きなストレスが原因でおこります。受けた本人は、人生を左右される出来事で、その人の人生を変えてしまいます。精神疾患になれば一生忘れられない出来事です。私は毎日死にたくてたまりません。毎日、病気の症状で思い出し、忘れられないからです。そしていじめた本人達は、いじめたことを忘れることができ、普通に生活ができます。しかし、私は普通に生活できません。いじめた人達を許したくても許せません。毎日本当に苦しくてたまらないです。いじめは絶対にだめだと思いますし、なぜ犯罪にならないのかわかりません。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
いじめからの精神疾患
感想2
時間は経っていくのに今でもたしかに頭に残る記憶や、胸の内にある苦しみが生々しく鈍痛のようなものとなって、投稿者さんの中で未だに張り詰めているように文章を読ませていただいて想像していました。
いじめを受けるということは心身ともにその時の自分をとても傷つけるものであろうことは想像に難くありません。加えて、それだけにとどまらず、時間が流れ環境や取り巻く人間関係が変わっても、決して癒えることなくまるで鎖のように今の自分を縛るものになり得る気が私はします。
それは、瞬間的な影響はもちろん、その後に至る自分の根幹や人生までをも左右する大きな力と影響を持ったものであるように私には感じられます。
そういった体験があると(なにかと被害者側が自分で立て直すことを強要されているように感じる今の社会や風潮では)、「なんで自分は当時も今もこんなにつらいのに…」ということを考えてしまうことも当然な気がしますし、加害者との差異に対して憤りを抱くことも至極真っ当なものであるように思えてなりません。
どんなものであれ、傷つきを伴った過去の体験は「時間が解決することもある」という安易なものではないように(私自身の経験としても)感じます。「一体なにが自分や過去の体験癒すものになるのか」というのは簡単にわかったり、そうそう見つかるものではないのかもしれませんが、今よりほんの少しでも投稿者さんの抱える苦しさが軽くなることを勝手ながらに願いたくなりました。投稿ありがとうございました。
感想1
学生のときのいじめのことと、そのあとにもずっとあなたが苦しんできたこと、その理不尽さへの憤りを教えてくれてありがとうございます。私も状況は違いますが、過去の繰り返しの出来事の中でトラウマを抱えて生きています。いじめはその時だけのことのように思われてしまうこともありますが、その後の人生にも続く傷として残ることが多いと思います。
なぜ、学校ではいじめがこんなにもたくさん起きてしまうのだろう、なぜそれを止められないのだろう?と私も長年考えています。
それはまず学校が生徒や教員にとってストレスの多い場所になりやすいということもあるかもしれないし、それぞれが感じている苦しさに寄り添うようなあり方がまだあまりにも不足しているということなのかもしれません。
あなたにとって忘れられない出来事は、あなたにとっては過去になりきらない現在の中にとどまるものでもあるのかなと思いました。だからこそ、あなたの現在にも強い苦しさが続いていることだと思います。私もしんどくなると気持ちが過去の憎しみに向いてしまうことがあります。あなたにとっての現在の暮らしの中に、すこしでもあなたの心身を癒すものがあることを願います。あなたにはそれを享受する権利があると思うからです。