この前、クラスで「友達の良いところを見つけよう」ってやったんだけど、そのとき、「1学期より笑顔が増えた」っていうのが私のところにあった。
1学期は確かに分かりやすかったかもしれないけど、今だって苦しいんだよ。誰かにそのことをわかってほしい。学校の中で、今も苦しい、内側で戦っているってことをわかっている人はどれぐらいいるのかな。
きっと、「笑顔が増えた」と書いた人や、それをピックアップした担任は、私の表面しか見てないんだろうな。嫌なことがあって保健室に逃げようにも、「保健室に行くときは担任に言ってから」のルールのせいでちょっと行きにくい。だって、何よりも担任に言うのが一番嫌で、もしかしたら、担任のことを一番信用してないかもしれないくらいだから。
でも、1学期から、苦しい思いをしてきたから、今苦しい人に寄り添おうと思えるし、苦しい人の味方になりたいと思えるようになった。
でも、5年生の、年度末清掃で、総合の学習に使ったものを持ち帰るってことになって、その時に、クラスメイトAが、自分のやつを嫌だって言って捨てたの。その後クラスメートBがそれはおかしくないかって言って、ゴミ箱から出したんだけど、クラスメートBがそのゴミ箱から出したやつを担任に渡して「おかしいんじゃない、少し悲しい」って伝えたら、担任が「いいからゴミ箱にもどしときな。」みたいなこと言って、クラスメートAが「なんでわざわざゴミ箱から出したやつをまたゴミ箱に戻すの」って悲しんでて、私は両方から話を聞いてて、なのに何もできなくて、最終的にクラスメートAもクラスメートBも泣いて、喧嘩して終わったんだよね。その時、私は何をすればよかったのかなって、今もずっと思ってる。
私、自分で抱え込んで、他人を頼れないタイプだから。大人を頼ればよかったかもしれない。けど、それがわかってても多分頼めなかった。
この経験談を読んでくれた、今が辛い人に、私の経験を元に伝えたい。小6の私がこんな事言うのもなんかあれだけど、信頼できないかもだけど、なんでお前がって思われるかもしれないけど、伝えたい。
つらいとき、ただ休める場所があると、なんかホッとする。ただ寄り添ってくれる人。言いたくないことを聞かない人。今近くにそんな人いないかもしれない。そんな場所ないかもしれない。一生見つからないかも入れない。けど、いないとは限らない。どこかにあるかも知れない。そう信じ続けてほしい。あなたはため続ける必要なんて全くない。吐き出せる場所はきっとある。休める場所はきっとある。もう何もかも嫌になったかもしれない。けどないとは限らないから、最後まで諦めず、探し続けてほしい。ないと決めつけないで。あると信じ続けて。日本中、世界中を探し回って、探し終わるまで負けないで。あなたのその苦しみに、勝たなくていいから。負けないで。
この言葉で、誰かが救われますように。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
わかってほしい
感想2
経験談の投稿ありがとうございます。
あなたの「わかってほしい」という声を届けてくださりありがとうございます。誰かに届けたいあなたの声を死にトリに書いてくれたこと、ありがたく思いながら読ませていただきました。
経験談を読ませていただいて、”わかってほしい”という切実な声が伝わってくる文章だと感じたと同時に、なんだか周りを励ましてくれるような、あなたの力強く温かい声も伝わってくる文章だと私は思っていました。文中に「苦しい人の味方でいたい」と書いてくださっていましたが、その思いがそのまま言葉に表れているのだと私は感じています。
クラスの状況を、私なりにイメージしながら読んでいました。
担任の先生は、信頼しきるには難しい方なのですね。なんだか、しんどいことがあったとしても溜め込むしかないような…、そんな状況を想像していました。
保健室は、あなたにとって少し心が安心できる空間だったりするのでしょうか。安心して逃げ込めるような場所があったらなぁと思いつつ、私は「担任の先生に言わずに、こっそり保健室に行けるルールが欲しい…」とつい思ってしまいました。ルールがあって少し行きにくいこと、保健室の先生に話してみるのも、ちょこっとありかもとも私は感じていました。(もちろん話しにくいこともあると思うので、無理せずです。)
また、「両方から話を聞いていて」という言葉を見て、あなたは周りから頼られることが多かったりするのかな、と勝手ながら想像をしていました。苦しい経験をしてきたあなただからこそ、「苦しい人の味方でいたい」という思いが周りにも伝わっていたりするのかな、なんて考えています。
誰かに頼られること、私は嬉しく感じるのですが、自分の力以上に頑張っていると、今度は自分のことを後回しにしてしまっていたり、自分を大切にすることが難しくなってしまうことがあるなぁと、過去の経験を振り返って私は思っていました。
だからこそ「時々はあなた自身の味方にもなってあげてほしいな」と勝手にお伝えしたくなっていました。またいつでも書きに来てくださいね。
感想1
自分の気持ち、クラスでの出来事、どれもすごくわかりやすくて、経験談だけれど人に伝えることを意識して書いたように私は思いました。それと同時に、これだけ言葉にできるのはどうしてだろう?とも考えていました。苦しさと戦い続けてきたからなのかな?となんとなく感じていました。
休める場所、ただ寄り添ってくれる人、言いたくないことを聞かない人、どれもそうだよなぁと思いながら読んでいました。こうやって伝えられるのは、きっとあなたにこういう場所や存在があるからなんじゃないかなと思っています。実感が伴った表現だと私は感じたからです。
人は見えているものが全てだと思ってしまう、見えていないものは「ないもの」として扱ってしまうことがあるなぁと思っています。でも、実際は見えていないものはたくさんあって、見えているのはその人のほんの一部なんだと思います。経験談にはそうした見えていない部分が綴られていることが多いんじゃないかとあなたの経験談を読んで改めて思いました。見えているものだけでわかった気にならない、見えていないものがあることを忘れないその大事さを再確認させてもらいました。投稿ありがとうございました。