人は必ず困難や悲しい出来事にぶつかると思っています。大きな壁にぶつかって、辛く苦しい思いをした友人もいます。私の「死にたい」とか「消えたい」なんてちっぽけなんだな、と思えるほどに苦労している友人が何人もいます。その人は、苦しみにちゃんと向き合って、自分なりに折り合いをつけているんだ、と関わっていて何となく分かります。
そんな友人がいる中で、私はずっと「死にたい」って気持ちから抜け出せてないんです。小学4年生の頃から変わってなくて、とても馬鹿らしいと思ってしまいます。
小4の頃、この思いが生まれた詳しい理由は朧気だけど、唯一覚えてるのは「今、死んだら役に立てる」と咄嗟に思ったこと。周囲から遅れてて、協調性もなくて、注意散漫で、奇行もよくする「変わった子」。田舎の小学校という小さなコミュニティの中で、グループにも入れず独りぼっち。別にいいやと思えていたのに、ちょっと寂しかったのも朧気に覚えています。みんなも私の相手は苦労するからと、グループ作りの時に余ったのも覚えています(今もよく余ります)。辛くて助けて欲しくても、母からは「アンタは気が強い子でしょ?」と返される。機嫌が悪ければ「ふーん、で?」で終わり。家族に相談しても、自分軸がしっかりしてる人間だから無理、ということしか分かりませんでした。小6に上がってから、助けて欲しくて1人静かにトイレで毛先を切ってみても効果ナシ。助けを求めること=悪だと思い込むのはここから始まっていたのかもしれません。
そのまま中学に上がり、狭いコミュニティから遥かに広いコミュニティに放り込まれました。ウキウキの気持ちのまま「おはよう!」とクラス全員に挨拶していきました。結果は最悪。「何コイツ、キモイんだけど」という顔をされて終わり。そこからクラスに馴染めなくなりました。独りでも行動できる質だったので、一人でウロウロと徘徊するのが趣味でした。
そんな中、中学で一緒になれた昔馴染みの子達とお泊まり会をしました。「メンバー4人の中で一番最初に寝たらLINEに寝顔晒し」というゲームが夜遅くに提案されました。当時の私は眠かったし、明日も予定があるし、そういうことをすると母に怒られると思ったので断ったのですが、結局3人の押しに負けて賛成してしまいました。結果、私が一番最初に寝てしまったのでLINEに顔が晒されました。しかも、学年LINEに。私は友人または学校の生徒が怖くなり、母ではなく、クラス担任に相談してしまいました。「この出来事は怖いけれど、その時寝てしまった私が悪いから、3人には言わないで欲しい」と最後に言いました。その数日後、学年集会に発展。私は昔馴染みとの縁が切れ(今は修復済みだがあまり関わっていない)、完全に周囲から孤立することとなりました。小学校の頃のクラスメイトも助けてくれることはありませんでした。
死から救済してくれた(と思い込んでた)私の好きなキャラは「おじさん」だから、と他の生徒に馬鹿にされる。授業中に私が絵を書けば、クラス全員が徹底して監視して、見つけ次第先生に告げ口する。見られたくなくて、咄嗟に破れば「そこまでしなくてもいいのに」と笑う。好きな人に告白すれば、変なあだ名をつけられ大声で「キモイ」「死ねばいいのに」と笑われる。
結局、中学の3年間で、私は価値のない害悪で、生きてるだけで目障りだから死ぬべき存在なんだ、と学びました。辛かったけれど、推しパワーのおかげで所属していた部活も辞めず、不登校にも保健室登校にもならなかった。自分が虐められてるなんて事を言っても親は助けてくれない。むしろ「そんなこと気にするな」とか何とか言って怒るだろうなと思い込んで、隠し通しました。
高校に入ってからは、絵を書いても監視されない環境に感動しました。そして、共通の趣味や私の好きなキャラを否定しない人が増えて楽しく感じてました。けれど、孤独感や嫌がらせからは逃げられませんでした。高1の頃の部活でも上手く馴染めませんでした。だから様子を伺って「私これしようか?」と作業を引き受けていました。でも、他の部員は全員で談笑してるなんてことがしばしばありました。結局その部活は2年生になってから退部して、親友の所属してる小さな部活に転部からは無くなりました。
そして高2の三学期、友人(親友とは別の子)がいじめっ子の琴線に触れたことで、一緒に嫌がらせを受ける日々が始まりました。友人は俗に言う「気が強い」タイプだったので、一緒にいる時は威嚇するなりしてくれて、変なことを言われることが少なくなっていきました。それと同時に私が一人でいる時に集団で悪口を言うようになっていきました。廊下を歩いているだけで顔の形を揶揄して「中秋の満月みたい」「満月歩いてて草」と後ろから聞こえるようにヒソヒソ話す。「気色悪いよね」「よく学校通ってられるよね」と笑ってる。髪型を変えれば「なんか髪の毛変えてんだけど」と笑う。なんだか鬱陶しくて、イライラしたけれど「この子もきっと苦労してて、発散場所がないんだ。仕方ないね」と思うようにしてました。つい、イライラして悪口の真意を聞けば「可愛いと思ったから」と焦りながら言い訳。その日のうちに私の帰り道をストーカーして、私の趣味を根掘り葉掘り聞こうとしてきました。気味が悪くて、上手く逃げてた後に泣いてしまいました。親友も友人もそのことを話したし、真剣に聞いてくれました。やっぱり寂しいな、と思ってしまいました。他の子は強い。私なんかよりも強い。嫌がらせになんて屈しないし、弱音を言わない。弱音ポロポロ吐いて人の顔伺ってるダメ人間に付き合わせてごめん、と思いながら高校を卒業しました。
私の人生の殆どは、集団からはみ出て、集団に色々言われるものでした。そんな中で「私はただのサンドバック」だとか「死ぬことで価値が証明され」だとか思うことで何とか乗り切ってきました。だから思うんです。いっそ壊れてしまいたかったって。そうしたら、親だって友達だって助けてくれたかもしれない。精神科なり精神病棟なりに入れて、この世から隔離してくれたかもしれない。薬なりなんなりで私の普通じゃないところを消すことを許可してくれたかもしれない。爪を剥ぐ癖の本当の理由を聞いてくれたかもしれない。でも、私より辛い過去を持ってる人が沢山いるから言えない。言ったら、言ってしまったら、きっと後には戻れなくなってしまう。ただの変な子の私に。気が強い私から、ただの病人になってしまう。だから弱音なんて悪だし、嫌がらせは自虐ネタにしておけばいいし、聞いてもらった人の気持ちを害するものだし、他の人からしたら些細なことだし、助けなんて求めたらダメだって思うんです。でも、助けて欲しかったなってどこかで思ってるんです。
私はどうしたら良かったんでしょう。
どう生きたら、変わった子じゃなかったんでしょうか。身体的またら精神的に壊れてしまえたのでしょうか。本当の自分が理解できたのでしょうか。絵や本や音楽にしか逃げられない私が生まれなかったのでしょうか。
私は昔も今も、そしてこの先も、私自身が嫌いだなと思います。
長文を書いてごめんなさい。つらつらと自分語りをしてごめんなさい。
でも、ここに吐き出させて欲しいです。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。耐えきれないような苦しい気持ちを抱え、「死にたい」「壊れてしまいたい」と感じながら、そういう自分自身を責める気持ちや言葉もあり、それがぐるぐるとあなたの中で戦っているような、増幅させ合っているような、そんなつらさを感じました。私は学生時代から死にたいと思うまま、もうだいぶ大人になり、いまだに死にたいと思うことがよくありますが、以前は特に「自分程度の苦しさでそんなことを思うなんて甘えている」という自分への攻撃の気持ちがとても強かったので、同じではないかもしれないですが、わかる気がする、と思いながら読みました。
それから、全体を読ませてもらって、自分の中の学校嫌いの気持ちと記憶がふつふつと蘇ってきました。もちろん、あなたが苦しかったことを、学校が悪い、みたいな一言で片づける意図はないし、嫌いなのはただの私の個人的な感情にすぎません。ただ、学校、とくに義務教育の小中学はかなり特殊な集団構造をしていると、大人になった私としては思います。同じ年齢で区切られていることも、ほかの集団からするとかなり特殊だと思いますし、日本ではわりとみんなが同じように振る舞うことを要求する言語的・非言語的なメッセージが強い環境だとも思います。
私もずっと「変わった子」で、周りとはずれていて、グループを作るときにはよく余っていました。我が強くて、周りに合わせるのは苦手だし、なぜやらなければいけないのかわからない、でも、合わせないとしんどくなることはわかる……。そんな状況だったので、私にとっての学校はなんとなくずっと居心地が悪くて、ずっと疲れる環境だったのだなと思います。(実際不登校になったり、サボったりしながら、どうにか卒業しました)
読んでいると、あなたは本来かなり素直な人なのではないかなぁと思いました。だけど、素直な自分の心を許せなくなったりするときがあるくらい、これまで学校の集団の中でしんどいことがあったのだろうなと思いました。
1人でも自分なりに過ごせるという強みを活かしてきたけれど、それでも、クラスの人たちの視線や、さまざまな言葉の中で、つらい気持ちが積み重なってきたのだろうと思いますし、それはあなたの自然な心の動きだと思いました。
さっき学校集団は特殊と書きましたが、仕事をするようになって10年くらいの間に、私はたくさん転職をしているのですが、職場によっても、人の価値観も、仕事の進め方も、なにが当たり前かも、コミュニケーションスタイルも全然ちがうなぁと思います。その中では個人的にもうどう考えても合わないところもあれば、比較的過ごしやすいところもありました。
また、私の場合は、中学生のころに学生向けの児童館みたいなところでの委員会に参加していて、そこでは学校よりさまざまな年齢の人と関われるので、それぞれの違いが許容される感じがあって気楽だった記憶があります。
そういうことを考えると、10代までの大部分を学校という集団の形だけしか知る機会がないのって、それが合わない人にとっては、すごく絶望的な環境なのではないかと思います。だからどうすればいいかというと、むずかしいですが、そんなことをぐるぐると考えていました。
私は壊れているのか壊れていないのかはわかりませんが、10代からわりとずっと精神科に通っていて、気分障害や発達障害の診断をされています。それだけで状況がすごく変わるかはわからないけれど、自分の理解や、つらさを考えたり、やわらげたりするのに、個人的には必要な要素のひとつに通院があります。
それから、「絵や本や音楽」という逃げ場は、あなたにとってとても大事なものだったのだろうと思います。だからこそ、それを大事にしてもらえないことはつらいですね……。私も小説や漫画やアニメやゲームや音楽や…そういうものが小さいときからずっと大事な逃げ場で、いまでもその世界があるから、この世界でやっているようなところがあり、あなたの言葉にとても共感しました。
全体的に自分語りの多い、散漫な感想になってしまいすみません。こうやって読みながら書き、読みながら書きをしていると、あなたのことをもっと聞いてみたい気持ちになります。あなたにしてみれば、「変わった子」と言われず、そんな自分に悩むこともない自分のほうがずっとよかったという気持ちもあるのかなと想像するのですが……私は今のあなたのこと、たとえば好きな絵や本や音楽のこと、つらかったこと、友達との関わりのことなど、知りたい気持ちになりました。あなたの投稿をじっくり読む機会があってうれしかったです。