経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

代替品で不良品

私は多重人格です。私は、昔の主人格…仮に、Aちゃん、とでもしておきましょうか…が死んだ後に生まれた代替品です。Aちゃんは、13歳まで生きました。
Aちゃんには、幼稚園から仲のいい友達がいました。
「私以外に友達作らないでね」って、ずっと言われてたみたいです。日記にそう書いてありました。Aちゃんも、ずっとその子と一緒にいられると思っていたみたいです。
しかし、中学校が分かれてしまうと、連絡をとらなくなりました。そこまではいいんです。小学校時代はスマホ持ってなかったんですから。家は知ってるけど、連絡先は知りませんでした。
その子と、偶々塾が一緒になりました。連絡先交換して、一緒に行き帰りしてました。最初の二ヶ月ぐらいは。
その子が、塾に来なくなりました。チャットで、一緒に行こう、と誘っても、今日は行かない、と返されるようになりました。そのうち、連絡が返ってこなくなりました。
ずっと一緒、という友情しか知らない、その子としか友達にならなかったAちゃんは、すぐに壊れて死にました。中1の冬辺りらしいです。
そのあとしばらくして、私が生まれたみたいです。なぜ「みたい」なのかと言うと、しばらくは記憶がぼんやりしていて、多分ですが自我がなかったんだと思います。
中2の秋、何回か遊びには行ったけど、あまり話さなかった友達が、自分から話しかけてくれました。記憶がはっきりしたのは、そこが初めてです。おそらく、私は必要とされたかったんでしょう。向こうから話しかけてくれたから、必要とされた、と思い込んでしまったのでしょう。
友達…Yちゃんに「Aちゃんじゃない」とバレたら、友達じゃなくなってしまう、と思いました。多重人格なんて、私の中では普通じゃないからです。だから、私は、Aちゃんの記憶を辿ればいいと思いました。Aちゃんを探って、Aちゃんを模倣すればいい。そうしたら、別人だとばれない。元から「私の自我」なんて存在していないんだから、何も変わらない。

結局、多重人格はバレました。でも、幸い、Yちゃんは口が堅かった。「普通じゃない」ことへの理解があった。だから、Yちゃんとはいまだに親友です。

ですが、なんでYちゃんは、私を一人の人として扱ってくれるのでしょうか。Aちゃんを真似し続ける理由を聞いて、「私はAちゃんの代替品だから模倣してるだけ」とかえされたら、「代替品だったとしても、君は君だしAちゃんはAちゃんでしょ」と返すのでしょうか。
代替品なんだから、元のオリジナルを再現しないとダメなんじゃないんですか
オリジナルの代わりにならないといけないんじゃないんですか

Yちゃんが親友でいてくれる理由がわかりません
だって、代替品なのに、上手く代わりになれてないんですよ 周りにバレてるんです
だから、私は壊れてる不良品なんです
なのに、まだYちゃんは親友でいてくれます
Aちゃんの親友としてじゃなくて、私の親友として隣にいたいみたいです
Aちゃんを真似しなかったら、私はただの空白のお人形です
感情も行動もぜんぶAちゃんならこうしそうだなっていうやつをやってます
こんな不良品の隣にいてくれる優しさ?が、ちょっとだけ辛くて、いつかまた失うんじゃないかって怖いです。
だから、失うまえに死んでしまいたい、といつも思っています。
不良品なんだから、死んだって問題ないはずてすし。

こんな怪文書ですみません。読んでいただきありがとうございます。

感想1

投稿ありがとうございます。経緯を淡々と説明しようとしているような、けれどなんとなくずっと不安なあなたがいるような、そんな印象を受けながら読みました。
ずっと一緒だと思っていた友達と関わらなくなったことが、Aちゃんにとって衝撃的だったことが伝わってきました。友達と居る自分が「Aちゃん」で、それ以外の過ごし方を知る機会や、色んな人と関わる経験がないまま、その友達と別れてしまったのかなと思います。

Aちゃんが壊れてから今のあなたが生まれたようですが、そこで「新たな私」ではなく「Aちゃんの代わり」という感覚になったことを興味深く感じました。もともと「私」という意識が薄く、どこか他人事のような感覚があるのかなと思いました。Aちゃんの行動をするAちゃんではない自分…あなたはどんな気持ちでいるんだろうと考えつつ、私だったらなんだか足元が落ち着かなさそうな気もしました。

あなたの感覚に思いを巡らせているうちに、「友達ってなんだろう」「自我ってなんだろう…」という気持ちになってきました。私は相手の何を見て友達だと感じているのか、相手からどんなふうに思われることが友達なんだろう…少なくとも、片方だけの気持ちでは成り立たなさそうです。そして自分の中にもいろんな「自分」がいて、たとえば私は、Bという面だけを見せている友達もいれば、逆にその面を見せたくない友達もいます。そういう意味では、「自分」も「友達」も絶対にぶれないものはないのかも?と思ったりしました。最後のほうに書かれていた「また友達を失うのでは」という怖さは、まぎれもなくあなたの気持ちなのではと感じました。

感想2

あなたとあなたの友達との関わり、そしてその中でのあなたの思いについて書いてくれた経験談だと思いました。最初に文章を読んで、あなたにとってYちゃんとの関わりはとても大事なのだろうなと思いました。
その上で、Yちゃんに人格のことが知られても大丈夫で、いまも「親友」でいられている状況があって、それでも、あなたにとっては、自分がAちゃんであることが正しくて、そうでないあなたはぜんぶ間違っている…という気持ちが根強くあるからこそ、不安な気持ちなのかなと思いました。

「君は君だしAちゃんはAちゃんでしょ」というYちゃんの言葉を読んで、私も「そうだなぁ」と思いました。でも、あなたからしたら、自分を「一人の人として扱ってくれる」ということ自体が不可解で、わからなすぎて、とても不安なのかなぁと思います。もしかすると、あなたは、これまであなた自身を認められるという経験がとてもすくなかったのではないかと思いました。
自分のこれまでの経験と同じようなことや、経験から考えて予想がつくことなら、たとえそれが悲しいことやつらいことであっても「やっぱりそうだ」と確かめられるけれど、なぜなのか理由や論理がわからないことには、未来を想像することがむずかしくて、怖い気持ちになることがある気がします。

私たちは、一人一人違う人で、同じ人の中にもさまざまな要素が含まれています。それなら、「自分」とか「アイデンティティ」とかいうものって、いったいなんなのだろう?と考えることがあります。
私の中でも答えは出ていないのですが、「私」「僕」「自分」という意識を持っているということが、その人がその人であるということを示すものの一つなのではないかと思うことがあります。とはいっても、じゃあ眠っている間意識がないなら「自分」じゃないの?とか、考え出したらキリがない気もしてくるのですが……。

私は、あなたの経験談から、あなたがそこにいて、不安を感じて、悩みながらも生きていることを感じました。オリジナルかどうか、壊れているかどうか、模倣かどうかに関わらず(そもそも、なにがオリジナルなのかということも曖昧だとは思うのですが)、あなたがあなたなりの言葉を探して書いてくれた文章なのではないかと思ったからです。

私にも友達がいますが、お互いに、その人のすべてがわかるわけではないし、すべてが見えているわけでもないのだと思います。だけど、それだから悪いわけでもなく、自分の関わりの中で見出した相手を、大事にしたいという気持ちがあって、関わりが続いているのかなぁという気もします。
私は記憶力がよくないのと、感情に左右されやすいのとで、私自身の言うこともその場その場ですごく違っていることがあります。しかも言ったことも書いたこともすぐに忘れてしまうので、あとから「あの時、こんなことをあなたが言っていたけど」と言われても「そんなことを言う人がいたんだなぁ」という気持ちになることがほとんどです。
あなたにとっては、確固たるAちゃんの存在やイメージがあるからこそ、あなた自身をどのように取り扱えばいいのか、どのようにYちゃんと関わればいいのかなおのこと考えてしまうのかもしれない…とも思ったりしました。

いろいろと「かもしれない」を並べるばかりですみません。全然的外れだったかもしれませんが、あなたの文章から、あなたのことや、あなたが不安に感じていること、友達のこと、自分のことなど思いを巡らせました。あなたとこうやって言葉をかわせてうれしく思います。投稿ありがとうございました。

一覧へ戻る