経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

過去に囚われたまま

一年ほど前、人間関係や学業に疲れてアムカやODをしていた。それが僕の中でストレスを解消する一番の方法だった。誰にも迷惑をかけないし、気づかれない。自分の中の痛みが他人に見つからないように、隠すためにしていたのに。親にバレてしまった。「気持ち悪い」「頭おかしいんじゃないの?」「精神科連れて行ったろか?」やめてよ。そんな事言わないでよ。頑張って我慢していたのに。無理やり笑ってたのに。わかってる。全部僕が悪いよ。わかってるけどそんなふうに言われたくなかった。「辛かったね」って言われたかった。ごめんなさい。僕はわがままです。ご飯ももらえたし、愚痴も聞いてくれた。恵まれてるはずなんだ。あなた達が言う通り普通じゃないことなんて自分が一番分かってる。うまく生きられなくてごめんなさい。でも優しく抱きしめられたかった。怒らないでほしかった。言われたことが消えないんだ、もう一年も経ったのに未だに苦しいよ。僕はいつになったら忘れられるの?過去を断ち切れるの?誰か教えてよ。

感想1

自分が生き延びるためにしていた行為を「気持ち悪い」と一刀両断されることの絶望感について考えました。親の反応は、その行為を否定されること以上に、自分の考えや「辛い」という気持ち、頑張って耐えていた自分の存在ごと非難されたように感じられてしまうものだったのではないかと想像しています。そのときに受けた衝撃はそう簡単に消えるものではないだろうと感じますし、この一年で親と関わるたびに、モヤモヤ、ズキズキと痛む傷だったのではと思いました。
しんどい気持ちに自分なりに対処するための行為を、悪いことだと私は思いませんし、そのときのあなたにとって必要なものだったのだと思います(負荷とリスクは伴う行為なので、手放しにおすすめは出来ませんが…)。親は、それが良いか・悪いかという話にせず「どうしてその行為が起きるのか」「どんなことが辛いのか」を知ろうとする関わりをすべきだったと感じますし、生活に適切な環境を整えたり、コミュニケーションを取ったりすることは親や大人の務めで、あなたが自分の辛さを押し殺さなくてはいけない理由にはならないと思います。「受け止めてほしかった」という感情はわがままでも何でもなく、とても自然で真っ当だと感じています。
きれいごとだと思われてしまうかもしれませんが、あなたが感じてきたこと、「本当はこうしてほしかった」という気持ちを、言葉として表現してくれることで、こういった場を通して一緒に考えられることがあります。よければまた訪れてみてください。

感想2

秘めた思いや苦しさを人知れず心に抱え続けることだけでも辛かったかと思いますが、その発露としての解消にハッキリとした否定の言葉を向けられたことはとても投稿者さんを傷つけるものになり得たように感じて、胸が詰まる思いで文章を読ませていただきました。

自傷という行為にはその人の気持ちや思いが詰まっていたり、また、苦しさと向き合い続けるためのある種の生存戦略としての意味合いなどがあったりで、方法もそれによって感じるものなども含め、そこには人の数だけ物語(という言葉が適切かはわからないのですが…)あるように私には思えます。

それは周りの人から見たらもしかしたら驚かせてしまうことだったり、心配させてしまうことになったりするのかもしれませんが、傷跡やそこに至る行為はあくまで「表面的な部分」でしかなく、その奥には目には見えない「本当に触れてほしい意識」が込められているような気がします。

そういった(それを前提に話すのは違うのかもしれませんが)投稿者さんの気持ちが内包されているものに触れてもらえずに、否定的な言葉だけを投げかけられることはあまりにも酷であるように感じられますし、今もなお自分を縛る過去に囚われてしまうのも仕方のないような気がします。

発信する側もそれを受け止める側にも、それがどんな形であれそこにはギャップが生じるものなのかもしれません。ですが、投稿者さんが感じている気持ちや考えが何かしら伝わってほしいなと思いますし、それがたとえ身近な誰かではなかったとしても受け止めてもらえる存在が現れるこれからであってほしいなと勝手ながら願いたくなりました。

投稿ありがとうございました。

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