7年付き合った彼氏に浮気をされた。
同棲もしていた。
相手は40代。私は27歳。
彼は私のことを「家族としかみれない」と言った。私も家族のように思っていた。けど、彼の言う「家族としか見れない」と言う言葉に納得できなかった。「家族としか見れない」ことと「浮気」がどう繋がるんだと思った。そして、私自身の存在や容姿も否定されたように感じた。実際に見た目のことや服装のことを言われた。今までそんな事を彼は言った事がなかったのに。そして、「また、浮気をしないと言う自信がない」と言った。彼は浮気の経緯を誤魔化し、開き直るような態度をとった。私が泣いているのにも関わらず、スマホやテレビ、ゲーム、カップ麺を食べている。
もう、信じる事ができないと思い、同棲を一時的に解消することにした。彼は「行かないでほしい」「出て行ったら、終わってしまうと思う」と言っていたけど、私が考えを曲げずに出てしまった。浮気発覚から話し合えたのは三日間だけ。今思えば、なぜもっと話し合わなかったのか、どうしても家を出てしまったのか、もっと彼の話を聞くべきだった、と後悔が止まらない。そして、自分のことしか考えられなかった自分自身が恥ずかしい、許せない。一時的に同棲を解消しても、彼がきっと私を思って連絡や会いにきてくれるんじゃないか、そうでもしてくれないと私はもう信じる事ができない、と思っていた。幼稚すぎて、こんな考えで関係を壊してしまった事が本当に許せない。
私は今まで彼に嫌われたくなくて、傷つけたくなくて、我慢してきた事がいくつかある。誰でも、我慢している事があるんだろう、と思いつつ我慢しないでいられたらなぁ、とも思う。
我慢してきたから、余計に浮気をされた事が本当に許せなかった。
同棲解消から2週間くらいたち彼から電話が来る。
同棲解消中にも浮気相手と何度か会ってたそうで、その浮気相手から振られたと。私に戻ってきてほしいと話された。彼は泣いていた。
私は何の話を聞かされているんだと思いつつ、泣いている彼が可哀想とも思うが、本当にどうしようもない人だと思った。
私は、戻れないと伝えてしまった。
ずっと関係の再構築を望んでいたが、
私だけの気持ちでは難しい、お互いに努力しないとできないことと思っていた。
けど、それを彼に伝えてはいなかった。もっと不安な気持ちや正直な気持ちを素直に伝えれば違ったのだろうか。
結局、彼が私との別れの気持ちの整理がついた頃に私はこのまま関係を終わらせたくないと伝えた。きっかけは彼がくれた最後の手紙。
今までの感謝と楽しかった思い出話、今までありがとうと言う気持ちが詰まった手紙だった。
その手紙を読んで、ようやく終わってしまうのだと焦り、気持ちを伝えた。
でも、もう遅かった。
彼はもう心の整理はついていて、振られた浮気相手に気持ちがあると言っていた。
最後に電話で話した時に私も今までの感謝の気持ちを伝えられたことは、悔いが残らず良かったと思う。
あとは、私の気持ちの整理をつけるしかないことはわかる。だけど、できない。私の勝手な行動で同棲を解消して彼に精神的にも経済的にも負担をかけた。彼に酷い事も言った。許せない。
どうすればよかったのか。どうしてもっと冷静に対応できなかったのか。私は自分のことしか考えられなくて、傷ついた事を彼にぶつけて、子供のように泣いていただけ。浮気に至る原因はお互いの関係にあったのだろうとは思う。
私はまたこんなに苦しいのに、彼はもう別の人に心を向けている。私といた7年間は何だったんだろう。けど、私、私と自分のことしか考えられていないところが駄目だと思う。こういうところがいけなかったんだ。
朝起きた時、ふとした瞬間、自分のしたことが許せない気持ち、悲しい気持ち、自分なんていなくなればいい、どうして浮気なんてしたの、どうして傷つけるの、何も考えたくない、色々な事が思い浮かび苦しい毎日。何も考えられなくなれば楽になれるのに。記憶がなくなればいいのに。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。7年間という長い時間を共に過ごし、信頼や愛情を少なくとも築きあげていった相手に裏切られるという出来事は、言葉だけでは到底片づけられないほどの衝撃や痛みを伴うものだと感じます。文章からは、その痛みの深さ、後悔や自責の念、そして今もずっと心の中で複雑に交錯する思いが切実に伝わってきました。
「家族としか見れない」という言葉に、お互いの感覚や認識のズレを突きつけられたのではないかなと想像し、戸惑ってしまうのも自然な感情だと私は思いました。愛情や関係性の形が変化すること自体は避けられない部分はどうしてもあるのだとは思いますが、これまで自分に向いていたはずの感情が違う人に向けられてしまう感覚は、そう簡単に受け入れがたいものだとは感じますし(きっとそこには、相手の考えが“分からない”怖さも含まれているのかなと…)、積み重ねてきた時間が長ければ長いほど、相手に対しての思い入れが強ければ強いほど、そう簡単には割り切れないことの難しさを考えていました。それでもあなたは、相手の心の内側や関係の過程に目を向けようとしていて、その姿勢は、ただ被害者として憤るのではなく、自分の未熟さにも目を向けようとする、誠実さを感じました。もしかしたら、そうでもしないと起こった出来事に自分が耐えられそうにない感覚や、何とか咀嚼して自分の中に落とし込もうとしているところもあるのかなとも思ったりしています。(違っていたらすみません)
ただ、その誠実さが、過剰な自責へと傾いているようにも思えました。確かに、別れやすれ違いには双方の要因があることのほうが多いと私も感じます。でも、「信じてあげられなかった」「もっと冷静にすれば」と自分ばかりを責める必要はないはずだと私は思います。信じることが難しくなるのは、信じた先で裏切られるという不安を抱えていたからこそですし、「正直な気持ちを伝えることができなかった」のは、あなたが相手を大切に思っていたからであり、それが不器用な形で出てしまっただけではないでしょうか。
そして、「子どものように泣いていただけ」と書かれていますが、泣くことは弱さではなく、それだけ心が強く揺さぶられた証でもあると思います。ここまで相手の立場も考えながら自分の振る舞いについても考えていることは、たとえ裏切られた相手であっても、情を捨てきれないほどに深く人を想える側面もあることだと言えますし、それは、決して「自分のことしか考えていない」人にはできないことなのではないかなと私は感じました。
また、「彼の優しさを信じるべきだった」という悔いも滲んでいますが、信じたいと思っていたからこそ、一緒に過ごしてきた年月があったのだと思います。その信頼が壊れた時、心を守るために怒りや疑いの感情が湧くのは何もおかしなことではないです。信じたからこそ、失望もまた大きくなるのではないでしょうかね…。
人と人との関係は、努力や気持ちの強さだけでどうにかなるものではなく、タイミングやお互いへの理解、そして一方的でない誠意が必要なのではないかなと私は考えます。(もちろん、それだけではないのでしょうけど…)なのであなた一人がすべてを抱え込むことはないということをお伝えしたいです。
「記憶がなくなればいい」と願ってしまうほどの痛みが、今あなたの中で続いていること、それをこうして言葉にすることができたこと自体、まだ整理の途中とはいえ、大切な一歩のように私は捉えています。もしかしたらこの先、“なぜこんなに苦しんでまで愛したのか”とふと思う時が来るかもしれません。それでも、それほど誰かを大切にできたという経験は、決して無駄ではないのではないかと綺麗事のように聞こえてしまうかもしれませんが、あなたの文章を読んでそう感じた自分がいました。もしこうして気持ちを言葉にすることが、あなたの中で多少でも何か役に立つようなら、またいつでも等身大の言葉を届けてもらえたらなと思っています。