経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

深くに残る傷

幼少期から複合的な虐待を受けてきました。宗教、教育、経済的、身体的、心理的虐待が混ざったものだと思います。

10代後半で寝た切りの鬱から不登校になりましたが、休学など繰り返しながら大学卒業、派遣就労と副業でなんとか働いてきました。
大学は教育虐待親が体面のために選ばせた進路です。

15年ほど持続性気分変調症(なかなか治らない鬱)や双極性障害2型などと診断名が定まらないまま、体調が悪いので虐待親から逃げられない、という負のループから抜けられずいました。

しかしそれでも少し体調が回復した30歳頃、副業で馬車馬のように働いて、かなりの資産を作る事に成功しました。それでやっと実家から脱出する事が出来たんです。

脱出したら人生が好転しました。
結婚して、初めて自分の事を大切にしてくれる家族が出来て、もう大丈夫だと思えました。虐待のフラッシュバックは止まらないけど、日にち薬でいつか消えるから我慢だと思いました。

虐待連鎖するのが怖かったので、妊娠出産にはかなり及び腰でした。ただ、自分で働いて貯めた資産がかなりあるし、パートナーが協力的なので、勇気を出して妊活を始めました。

諸々検査の結果、ホルモンバランスのせいで排卵障害を患っている事がわかりました。身体のことなので100%ではないですが、長年のストレスが下垂体や視床下部に悪い影響を与えている可能性があるみたいでした。

もう大丈夫だと思ったのですが。
身体の奥に刻み込まれた虐待の傷は生々しく、私の人生の選択肢を軽々と潰していきました。

私は結局、虐待親のせいで、私の人生を自分で選べないようです。

虐待からきっと立ち直れると信じていた。勇気を出せば変われると思った。大丈夫だと思えるように必死で働いてお金貯めてきた。
でも身体は何も忘れていない。

虐待の傷は癒やされないのだと知って、絶望の中で今、重度の鬱状態に戻っています。

最初からありもしない希望なら、夢に見たくなかった。頑張っただけ無駄だった。

もう生きていく気力が湧きません。
ただ死ぬのは毒親に負けたみたいで悔しいので、今は死なないことだけが私の仕事です。

感想1

投稿ありがとうございます。
幼少期からの様々な虐待は、投稿者さんをあらゆる面で縛り付けるものだったのだろうと思います。鬱という形が心身にあらわれても尚、大学進学・卒業という親の敷いた道を進まざるを得ないなど、ストレスにストレスを重ね続けながらなんとか生き延びてきたことが伝わってきました。そういった環境から離れることはまさに「脱出」であり、奪われ続けてきた気力や体力、安心安全を少なからず回復することに繋がったのではないかとイメージしました。苦しい思いの中でも、投稿者さんが「自分を信じる力」は守り抜いたから、自分と親との間を線引きしながら脱出のきっかけを掴んだのかなと推測しています。
だからこそ今回の一件は、投稿者さんがこれまで必死に引いてきた線を越えてくるような、「親からの影響」をまざまざと見せつけられるような感覚になっているのかなと想像しました。ホルモンバランスのこと、妊活のことなど、100%ということは確かに無いのでしょうが、今は「親からの虐待が自分の中に残っているのだ」という体感(認識)が、どんな知識や可能性以上に投稿者さんにとっての「リアル」であり、一番の苦痛なのだと捉えました。

虐待や、幼少期の家庭環境でのストレス、親に対する気持ちから「立ち直る」って、いったいどういう状態を指すのだろう…と改めて考えました。これまでに受けた傷が消えることってあるんだろうか、消えないとしたらどうなっていくのか?など、私自身の育ちのことも踏まえつつ、いろんな思いが頭を巡っています。もし傷が消えないとしても、傷つく環境や経験から距離を取ること、その要因に対して自分が取り組んだことが「無駄だった」になってしまうのは悲しいなと私は思うのですが、じゃあどう思えばいいのだろうと…。こういったことを傷ついた側が考え続けなければいけないことが、何よりの理不尽だと感じました。

感想2

改めて子ども時代に受けた心へのダメージの重さを感じながら読みました。もともと、子どもを持つことへの不安がありながらも、妊活があなたの中で意を決して選択した行動だったからこそ、判明した排卵障害という事実が重く理不尽な門のようにそ立ちふさがったようなイメージが浮かんできました。私は子ども時代に様々な虐待を含む、逆境経験をしてきた人たちと関わることがありますが、親と物理的に離れても、年月がかなり経っていても、ある人はすでに親が亡くなった後でも何かしらの負の影響を抱えている様子を目の当たりにしてきました。ようやく手に入れた自分の人生のはずが、逃れられない障壁に直面化したときの絶望は計り知れないものがあると思いました。特に、あなたは何度も逆境を自分の力で跳ね返してきた様子がうかがわれたので、選択肢を潰されたという衝撃はとても強かったのだろうと思います。
今はその衝撃で打ちひしがれてしまったかもしれませんが、私にはあなたがそのままでは終わらない、また次の道を見つけだすように思われました。これまでも、絶望からも何かをつかんできたように思えたこともありますが、何よりもこうして自らの気持ちをストレートに書き記し、誰かに届けるという作業は、自分を信じ肯定したいという願いをなくしてできない行動だと思うからです。
自らの子どもを生み育てるという願いは難しいかもしれませんが、社会には親以外の養育者や大人の存在を必要としている子どもはたくさんいます。(それは、ご自身が虐待を受けた経験から容易に想像できるかと思います)私は子育てという営みが親に一任されてしまう仕組みが子どもを虐待環境に封じ込めてしまう要因だと考えています。里親や養子縁組などの社会的養護やそれ以外にも子どもたちを見守り育む大人がたくさんいる社会が虐待から子どもたちを守ることになると思いますので、社会の子どもたちにとって何かしらの形であなたの力が必要だと感じています。何かを成し遂げることももちろん、今回のように目指していたことが叶わなくても、あなたがこうして自分の意思を持ち、痛みを含めていろいろなことを感じ、迷ったり悩んだりしている存在として親に負けてはいないと私は感じました。

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