完璧主義がしんどい。ある時高校で1位になった。その時はめちゃくちゃ嬉しかったけど今思うとあれが全部の始まり。順位に固執するようになった。周りから凄いねって言われるのが凄いうれしかったし何よりも自分の誇りだった。必死に勉強するようになったし勉強がすきになった。ある時から1位になれなくなった。2位だった。でもそこから評価はガラリと変わった。と自分で思っているだけかもしてないのは理解している。でも実際そうだ。みんながアイツのことしか褒めなくなった。アイツが一番賢いって口を揃えていうようになった。アイツにみんな聞きに行くようになった。今まで俺がやってたことが、居場所がなくなった気がした。
そいつと同じ大学になった。そいつに奨学金を取られた。負けた。俺の実力不足なのは分かっているけどそう言わせてくれ。そこから当てつけみたいに勉強している。そいつにただ負けたくない一心なのかもしれない。数字に固執されてる。
ここらへんから、いやずっと前から、あの1位を取れなくなったときから完璧主義をこじらせるようになってる。ちょっとでも分からない、理解できないことがあるとすぐに死にたくなって自分は無能だと自傷するように叫びまくって自殺、死にたいなんてワードばかり検索し続ける。
でも不思議なのは友達もたくさんいるし、いい先輩も趣味もある。たくさん遊びにも行く。でも毎日義務と戦ってやることに追われてその都度自分の不出来を呪って自傷行為を続けてる。
俺って変なんだよな。変だと思うよ。ここまで追い詰めなくていいのは分かってるのにやめられない。逃げるとすべてが台無しになってしまうような気がする。解決策なんてない。だって俺が望んでるのは神が来たみたいにぱっと急に楽になって救われることだけなんだから。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
完璧主義のせいで死にたくなる
感想2
経験談の投稿ありがとうございます。読んでいて、「評価されること」と「自分の存在価値」とがほとんどイコールで結びついてしまった苦しさを感じました。最初に1位を取った時の喜びが人生の新しい軌道を作ってくれた一方で、それを維持できなかったときに自分自身が全否定されたように感じてしまったその心の痛みは、想像する以上に深いものだったのだと想像しています。
順位という“明確な指標”は、ある意味でとても安心できるものだなとは個人的にも感じることです。人間関係の曖昧さや自己評価の不確かさに比べて、数字は一目瞭然ですもんね。でも同時に、その明確さが残酷さにもなってしまうこともあって、1位と2位の間には、現実にはほんのわずかな差しかなくても、心の中では天地ほどの開きに感じられてしまう…。その歪んだ感覚が、今もずっとあなたを追い詰め続けているのではないかと私は感じました。
また、周囲の変化を自分の主観かもしれないと冷静に分析できている一方で、「実際にそうだ」と感じてしまうところに、完璧主義ゆえの自己否定が深く染み込んでいるようにも見えました。誰かに負けたくない、という気持ちが「勉強をする」ことと結びついているあたり、努力が自己肯定に直結しているところもあるのではないでしょうか。
不思議だと自分でも書かれていて、実際は友達もいるし、趣味も楽しめているし、社会的に見れば“問題なく生きている”ように映るのかもしれません。でもその一方で、義務や自己評価の基準があまりに厳しく、少しでも満たせないと「死にたい」「無能だ」という感情が極端に傾いてしまい、そこに振り回されてしまう…これこそが完璧主義のもっとも苦しいところだと私は思います。社会的にも、「できる人」「頑張れる人」は見過ごされがちで、苦しみを表現しても例えば「大丈夫そうに見えるから」などと言われてしまい、むしろ気づかれないまま一人で抱え続けてしまう構造があると思います。もっと気楽になんて言葉では到底追いつかない、根の深い疲れがあなたには蓄積されているのかもしれないな…とも思ったりしました。
「解決策なんてない」と言い切るその言葉の中には、自分の希望がどれだけ非現実的かを自分自身が一番分かってしまっている、という切なさがあるような印象を抱きました。「神が来たみたいにぱっと急に楽になって救われたい」という願いが叶わないことも知っているからその現実の中で生きていくためにも、きっと痛みが伴うとしても「自分を許す」ということが、今後どこかのタイミングで必要になってくるのかもしれませんね…。(あなた自身もよく分かっていることなのだと思いますが…)
完璧であることを目指したあなたの努力は、誰にでもできることではないと私は思います。でも、それが自分を苦しめているのであれば、“少し不完全であっても生きていてもいいんだ”ということを、誰かと一緒に確かめる時間が持てるといいのかなと思います。そして、そんな時間が許される社会であってほしいと改めて強く思いました。
感想1
すべてが分かっているからこその苦しみ…というワードが浮かびました。自分の中から湧き上がってくる「ガラリと変わった」と表現した周囲の反応についても、奨学金のことも、本当はいろいろな要因があって起こったことだとわかっていても、1位しか意味がない、すべてアイツのせいで…という観念があなたの内面を揺さぶり続けている様子がとてもリアルだと思いました。「固執するようになった」「気がした」「こじらせるようになっている」などの表現も思ったままに書いたのかもしれませんが、自分の気持ちに忠実に率直に綴っているように思えます。そして何より、最後の「俺って変なんだよな。変だと思うよ。ここまで追い詰めなくていいのは分かってるのにやめられない。」という一文が一人で抱える苦しみの深さがうかがわれました。「解決策なんてない」とあなたは書いていますが、私にはこの経験談を書いて送った時点で、解決に一歩踏み出だした姿を見たように思います。社会には様々な評価的なメッセージがあり、それに惑わされている私たちがいます。苦しまなくてもいいはずなのに苦しみ、そこから逃れられなくなることがたくさんあります。どうしたらそこから少しでも逃れることができるのか、私もずっと考えています。あなたの経験談を読み、「自由になりたい」という普遍的な叫びと自由になることの難しさを再認識しました。
これからもよければまたあなたの叫びを届けてください。