経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

勉強

私の両親はものすごく優秀な人でした。それぞれ有名な大学を出て、現在は職場ですごい役職についています。両親はものすごく努力家で、夜遅くに家に帰った後、家でも仕事をするような人でした。
受験をする前の小学校低学年くらいまでは、そんな両親がすごく誇らしかった。

でも、中学受験が始まった高学年の頃から、徐々に両親が怖くなっていた。
授業のたびに行われる確認テストで、80点以上を取らなかった日は、家に帰るまでの帰り道、暴言を言われながら帰るようになった。

そして、それよりもひどい点数をとった時、塾をやめるかと大きな声で脅されたり、私が解いている問題を見て、どうしてこんな低レベルな問題で手こずっているのと、私の鉛筆を真っ二つに折ったりされました。

そして、小6の夏休み頃に今まで入れていた上位のクラス(特別特訓の)から落ちてしまったのと、ものすごく賢い弟が塾に入ったことで比べられるようになり、塾のクラスでどうして私はこんなに賢い人に紛れて、椅子に座っているのだろう、私なんか死ねばいいのに、と思うようになりました。
それからどんどん成績が悪くなってしまい、両親からのプレッシャーに押しつぶされながら、結局行きたかった中学には合格できましたが、下のコースで通ってしまいました。
塾の友達はみんな上のコースにいて、誰も知っている人がいなくて、そのまま学校を休みがちになり、今中二です。
今はほぼ学校に行けなくなり、週に一回程度しかいけません。

そんな私に父からこんな声をかけられました。
「私ちゃん、塾の時全く勉強したり努力してなかったのに、あの中学に通ったんやから、勉強したらすぐまたら賢くなるよ。ただ今は授業受けてないから何もわからないだけでしょ。」

この言葉を受けて、私はものすごく、悲しくなりました。私の受験時代の家は、小さな弟たちがうるさく、親は仕事ばっかりでまともに勉強を見てくれる環境ではありませんでした。なので、祖母の家や塾の自習室など、集中できる、家以外の環境で勉強をしていました。確かに私の親は私が勉強しているところを全く見てこなかったからしょうがないといえばしょうがないです。
でも、私が今まで努力してきたことを、全く努力していないといわれ、ものすごく心が折れました。まあ、多分ものすごく努力家な二人なので、私の努力など努力じゃないと思うかもしれませんが。

もう受験時代は終わったのに、今でもずっとフラッシュバックしてしまいます。
私ってなんなんでしょうか?

感想1

経験談への投稿、ありがとうございます。
読んでいて、私には「誇り」という感情が「不安」を経由して「恐怖」へと移り変わっているように感じたのですが、両親からの語気の強い指導(ほかにもきっかけはあるかもですが…)によって芽生えてしまったかもしれない恐怖心が根底にあるように私は感じました。何をするにも「怒られたらどうしよう…」という不安、呪縛のようなものがつきまとうなかでは頭も身体も思うように働かず、そんな状況では何事もうまくいかないよなぁ…と思います。上位のクラスから落ちてしまったこと、弟さんが塾に通うようになったことも投稿者さんのつらさを助長する出来事だったのかなと感じました。
弟さんが塾に入られたあたりから比べられるようになったのも、投稿者さんにとっていろいろなつらい思いがあったんじゃないかと思います。塾も学校も、成績という形で順位が決まる仕組みである以上、どうしても比較される場面はやってくると思います。ただ、私はその結果よりも、その結果に至るまでの過程が大切だと思うし、結果が実らないことが悪いことではないと思っています。気にしないのは難しいと思いますが、少なくとも私は投稿者さんが毎日少しづつ積み上げてきたものを文字づてではありますが知ることができたし、私以外にもそういった投稿者さんの姿を見ている方もいるかもしれないよってことを伝えたいなと思いました。

父からの言葉、文字としてみると落ち込んでいる投稿者さんを励まそうとしているようにも私には読み取れましたが、文頭の言い回しから、両親に気を遣って両親の目の届かないところでコツコツと積み重ねてきたものを真っ向から否定されたように感じるのも無理ないというか、むしろそう感じてしまうよなと思いました。
家庭を気遣って家以外の環境で勉強していることが両親に伝わっていないのかな?と感じる部分もありました。また、見えてないという理由だけで投稿者さんの努力を無きもののように扱うこと、その人の思う努力を他人に強要するという行為に対しいささか不満を感じているところです。

この投稿を読ませていただいている私も「私が何なのか」が分からずにこれまで過ごしてきました。同時に「周囲の人はその人自身のことをなんだと思っているんだろう」と考えることも時々。人によって考えていることや感じることを含め大体のことは違うんだろうなぁと思いつつ、人と違っていいんだって思えはするものの結局自分自身が何なのかははっきりしないままです。考えるほどに自分を追い詰めてしまうかもしれない究極の難題だと感じますが、その答え探しの旅路を辿るうえでまたつらくなってしまったり、吐き出す場所が見つからないときにはぜひまた書きに来てください。
投稿ありがとうございました。

感想2

親の期待や要求に応えようと必死に勉強をしてきたからこそ、限界が来てしまったのかなと感じました。あなたにとって勉強は楽しい面もあったのか辛かっただけなのかはわからないけれど、小学生から塾に通い受験勉強をするのは健康的ではない…思ってしまいました。(自主的にやっているのならまだしも、自分の意思じゃないならなおのこと)小学生なんて外で走り回ったり、友達と遊んだり、そういう遊びの時間もとっても大事な気がしているからです。

お父さんからの言葉はあなたの努力に気づいていなかっただけでなく、今もなお賢くいることを求められていることを痛感する言葉だと私は感じました。一見優しさに見えそうで、パッと見て暴言ではないと思われるのかもしれないけれど、でも実際はとても暴力的な言葉だと思いました。私だったらああ、伝わらないんだなと無力感や諦めも感じてしまいます。

優秀であることは時に危ないこともあるとなんとなく感じてきたのですが、あなたの経験談を読んで「優秀」が前よりももっと嫌になりました。自主的に頑張って優秀になるのは構わないけれど、それを誰かに強制したり、要求してはいけない…と強く思いました。子どもの優秀は「勉強ができることではなくて、色んなものに触れて、感じて、たくさん遊ぶこと」だったら、世の中も変わってくれるのかな?そもそも「優秀」であってもなくてもその人の価値は全く変わらないという認識を普及させていかないとダメ?など、色々勝手に考える時間でした。投稿ありがとうございました。

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