経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
仕事をしていると、日々色々なことが起きます。
その度に相手の顔色を伺いビクビクしています。
毎日怖いです。
例えば理不尽なことが起きた時、周りの人はこのように言います。
「そういう人もいるよね」
「あの人はいつも機嫌悪いから仕方ないよ」
「少しは適当にしないとやっていけないよ」
「色々言われすぎて多少のことだと何も感じなくなったかも」
強いなーと思います。
私は、相手の些細な一言や、口調や態度で、泣きそうになったりもう仕事に行きたくなくなったりしています。
家でも思い出して悲しくなり、趣味などをやる気にもなれずぐったりしています。
新入社員でもなく、こんなことでいちいち悩んでるなんて誰にも言えない。
職は数回変えましたがどこにいっても結局同じ。
自分に非がないのに、なぜこんなに追い込まれなければいけないのだろう。自分の弱さと生まれ持った繊細さをとても恨みます。
心療内科は長く通ってますが、結局不安を和らげる薬の処方をしてもらうことしかできません。
生きていることが辛くなります。
自分の繊細さは仕事には活かされているようです。
気配りができる、しっかりしている、若手の面倒見が良い、と評価はされます。
ですがこれは性格的に色々なことに気づいてしまうだけで、心は限界です。
ミスが怖くて強迫性障害のようになったりもします。この前は深夜にふと目が覚め、ミスしたかと不安になりパソコンを開いてしまいました。自分は一体何してるんだろうと悲しくなりました。
この調子で頑張って欲しいと上司に言われた時、笑顔で「はい」と答えることしかできませんでした。
自分は決してそんなんじゃないのに・・・また優等生を演じてしまった。モヤモヤが残るばかりです。
思い出すと昔からそんな感じで完璧主義で、ただただ先生に怒られないように過ごしてきました。
一生このままなのかと思うと、自分の人生何なんだろうと思います。
仕事はどこに行っても人と関わることになり、また転職しても色々な人がいるでしょう。
結局は自分の問題。
ずっとこの悩みに付きまとわれるかと考えると絶望します。
感想1
経験談の投稿、ありがとうございます。
私も周囲の人に対し精神的な面で「強いなぁ」と思う場面が多いため、読み進めていくほどに「分かる…」と勝手ながら共感に近しい何かを感じているところです。
何気ない言葉が心の奥深くに突き刺さり、しかもそれには返しがついていてなかなか外れない。その言葉が抜ける前にまた新たな言葉が突き刺さる。刺さった言葉を無理やり引き抜こうとすると膨大なエネルギーを使う上、返しによって心にさらに傷を負ってしまう。だったらもういっそそのままでいいや(ぐったりしている状態)。という感じなのかな?と私の頭の中に浮かびました。言葉に限らず、対面する様々な要因が投稿者さんにとって凶器となり得るんじゃないかと感じ、もしそうなら心の休まる瞬間なんて想像もできないほどにつらいよな…と感じました。
「気づいてしまう」ことで周囲からの期待度が高まることも、投稿者さんを苦しめる要因になっていたのかなと思いました。周囲の評価からその陰に隠れる期待に気づいてしまい、それに応えまいと頑張りすぎてしまう投稿者さんの姿が頭に浮かびました。また、期待に応えるために失敗できない…という思いから不安や心配が膨れ上がってさらに自分を追い詰めてしまうのかな…と感じ、そういった思いが無意識に先行してしまうことで、投稿者さん自身のことがどんどん後回しになってしまっているようにも見えました。
自分を追い詰めてしまうほどに蓄積されたつらい気持ちを吐き出す場所だったり、周囲の目を気にせず自分の為にできる何かに触れることができる環境だったりが見つかるといいなと影ながら祈っています。
投稿ありがとうございました。
感想2
ひとつひとつ確認するような文章から、あなたの繊細さが感じられるようでした。繊細というのは、あなたの書かれたように良し悪しに紙一重な部分があって、どちらかというとあなたは「気づいてしまう、怒られないように振る舞ってしまう」その辛さをずっと抱えてらっしゃるのだなと感じました。
自分の苦しさが、自分の繊細さからきているということを分かっているのはひとつあなたの力だと思います。きっとそこに気づくまでの道のりというのもあっただろうとも感じますし、むしろよくここまで来た・・!という言葉の方が合っているのではと思うほどです。しかしながら、辛さの原因がわかっていても、解消に向かう道がなかなか見つからず、絶望するしかない状態がもしかしたら長いこと続いているのかな。優等生を演じることで、周りからも優等生の期待をされてしまい、それがどんどん負担になっていく・・そんなあなたの負のループにはまっているような状態も想像しています。
雄弁は銀、沈黙は金という言葉が古くからあるように、本当は言わなくていいことというのはたくさんあると思います。わたしは言う人より、言わない人の方が断然好きだなあと思うのですが、しかしながら現代、言葉や説明を求められると言うか、言ったものがちというか、声の大きさでどうにかなってしまう風潮もあるようで、そうすると、私たちのような言わない人間にはどうも生きづらい時代なのではと思ったりします。一昔前だったら、もう少し生きやすかったのかなあ、なんて。
嘆いても現代で、あなたの言うように自分からは逃れられなくて・・。アサーションという言葉について勉強した時に、言うのも言わないのも自己中心という言葉を聞いた時にはとても驚きました。ええ、自分の気持ちを言わないのが自己中心?とにわかには信じられない言葉でした。
その延長には、怒られないようにする、良くみられるように振る舞う、よくよく考えてみればそれは自分の「見られ方」と言うものが関係していて、そうすると確かに自己中心とも呼べるかもしれません。
相手の気持ちを尊重しながら自分の意見を言う、それができたらどんなにいいだろうと思います。トレーニングという言葉が持ち出されるように、練習の必要なことなのだと今では考えるようになりました。怒られないように振る舞うことを知らず知らずに猛特訓をしてきたと思うので、同じ年数分、怒られる練習、完璧でなくなる練習というのが要なのではないかなと、思っています。(私もまだまだ道のりは長いです・・。)
こんな風にでも、あなたの本当の気持ちを表現することが叶うことを私はうれしく思います。きっと、あなたの本当の気持ちを言う練習の一つだと思うからです。ここから、優等生でないあなたを表現することが、楽しくなればいいな。
感想1
経験談の投稿、ありがとうございます。
私も周囲の人に対し精神的な面で「強いなぁ」と思う場面が多いため、読み進めていくほどに「分かる…」と勝手ながら共感に近しい何かを感じているところです。
何気ない言葉が心の奥深くに突き刺さり、しかもそれには返しがついていてなかなか外れない。その言葉が抜ける前にまた新たな言葉が突き刺さる。刺さった言葉を無理やり引き抜こうとすると膨大なエネルギーを使う上、返しによって心にさらに傷を負ってしまう。だったらもういっそそのままでいいや(ぐったりしている状態)。という感じなのかな?と私の頭の中に浮かびました。言葉に限らず、対面する様々な要因が投稿者さんにとって凶器となり得るんじゃないかと感じ、もしそうなら心の休まる瞬間なんて想像もできないほどにつらいよな…と感じました。
「気づいてしまう」ことで周囲からの期待度が高まることも、投稿者さんを苦しめる要因になっていたのかなと思いました。周囲の評価からその陰に隠れる期待に気づいてしまい、それに応えまいと頑張りすぎてしまう投稿者さんの姿が頭に浮かびました。また、期待に応えるために失敗できない…という思いから不安や心配が膨れ上がってさらに自分を追い詰めてしまうのかな…と感じ、そういった思いが無意識に先行してしまうことで、投稿者さん自身のことがどんどん後回しになってしまっているようにも見えました。
自分を追い詰めてしまうほどに蓄積されたつらい気持ちを吐き出す場所だったり、周囲の目を気にせず自分の為にできる何かに触れることができる環境だったりが見つかるといいなと影ながら祈っています。
投稿ありがとうございました。