経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

他の人とは違うところ

私は自身が恋愛をするということや異性に対してあまり良い印象をいだけません。むしろ、不快感があります。周りは楽しそうに会話するけれど、好きという感覚も私には分かりません。そのきっかけとなった複数の出来事についてはどうしても悪い意味で忘れることはできず、今でも嫌な気持ちをひきずってしまっています。そのきっかけやそのことによる現在の影響について書きたいと思います。そんな自分を認めて誰かに話すことに抵抗があり、あまり打ち明けられていないのですが、伝えてみるという選択肢をとってみました。
まず一番最初に恋愛に関して否定的なイメージをもった出来事は小学校の高学年のときでした。当時の私にはまだ男女という意識ははっきりとはなく、隣の席の男子と友達として仲良くしていました。そんな様子を見て「夫婦だ」、「好きなんでしょ?」などと言ったりしてよくからかわれました。恋愛という考えが一切なかった私にとっては少しパニックになった覚えがあります。次第にからかいはエスカレートしていき、話す度に何かを言われるようになりました。それが嫌だということを周りに伝えて謝罪をしてもらえましたが、それは無かったかのように言われ続けました。その件については時間が経つにつれて落ち着いてきました。しかし中3のころ、それとは別に違う異性と噂をたてられます。もちろんその人に対して恋愛感情はありませんでした。他の人の方が仲良くしている場面も多かったのに私だけが言われるのは納得がいきませんでした。次第に噂をたてられる異性の数は増えていき、からかいどころか勝手な想像で少しバカにされることもありました。そのからかいという行為は度を越していてとても不快で嫌なものだと思いました。それにも関わらず、からかうのは私を親しく思ってくれているからこそだとも考えられることから注目を浴びられるという点や他の人とは違う特別感が感じられるという点についてのみはどこか楽しんでいる自分があった気がします。そんな自分にひどく嫌気がさしました。そんな中で私に好意を寄せていた人もいました。その人には不快な動画を送りつけられたり、ストーカーまがいな行為をされたり、しつこく言い寄られていて、さらに恋愛や性的な対象とされることが苦手となりました。そうでありながら、高校のときには異性にちやほやされる自身に特別感を抱いたり、たとえ本当の自分でなくても、作っている自分であってもどこかを認めてくれているという事実は嬉しくて、可愛らしい自分を演じて交際をしたことがありました。恋愛感情は無かったのでとても辛かったです。そしてそんなことをしている自分がとても気持ち悪かったです。問題はその人と別れた後にもありました。相手が、別れた後に私の次に付き合った彼女がいました。その子は付き合い始めた後になぜか私の所持品と同じものを持ち始めたり、私の仲の良かった友達と不自然に仲良くし始めました。卒業アルバムの寄せ書きの際には友達が私を含めて仲の良かったグループの人のために空けてくれていたページに本来書くはずではなかった彼女にメッセージを書かれました。そんな経験で私が私である必要性がどこにあるのかわからなくなりました。これらのことから恋愛や異性との関わりに嫌悪をもつようになりました。けれどそんな嫌な思いをもっているのに、自分の存在価値を自分で見いだせないから、またどこかでちやほやしてくれる異性を、気持ちの伴わない恋愛を探そうとしている自分がもはや怖いです。恋愛というものに向き合うことをひどく恐れている状態でもあります。もちろんそんなものがなくても生きてはいけますが、断ち切れない過去への思いがあるため、書かせていただきました。こんな長文を読んでくださってありがとうございました。

感想1

投稿ありがとうございます。
自分の意図しない形で勝手な評価をされたり、噂をたてられたりする中で、人と関わることになかなか安心感を抱けなかったのではないかなと想像しながら読みました。からかいや「いじり」と言われるようなものは、そもそもの言い方や態度も不快な場合が多いですが、さらに言うと「表面だけを見られている感」がすごく嫌だったなあと、自分の経験も振り返りながら感じています。「あなたはこういう人」と決めつけられるような、自分に対して興味を持たれていないような…。からかいはそれ自体の不快さ以上に、受けた側が「孤独」を感じさせられる行為なのかもしれないと思いました。
勝手なイメージですが、そういったひとつひとつの不快感や、周りの人に対するある種の失望感みたいなものが、投稿者さんの思う「自分の存在価値」を揺らがせていったのかなと推測しています。そしてそれが結果的に「自分を特別視されることへの心地よさ」にもどこかで紐づいているのかなあと感じました。

「自分を認めて(見て)ほしい」という気持ち自体は、何も悪いことではないと私は思います。年齢を重ねるにつれて自分で人間関係を多少なりコントロールできるようになってくるからこそ、そこに「作為的な自分」がいることにも気づけてしまうので、「自分が気持ち悪い」という感覚も生まれてくるのかなと思います。考え方や感じ方は自己責任とされがちな気がしますが、「人からどう扱われるか」の影響を大いに受けるものだと思います。
投稿者さんの今の気持ちや過ごし方を否定したくない思いと共に、投稿者さん自身が今の状態を受け入れがたい思いがあるのだとしたら、どうやったら断ち切っていけるのか、一緒に考えてみたいと感じました。

感想2

投稿ありがとうございます。いきなりになってしまいますが、私は1行目に書いてあることとすごく近い感覚をもっています。そのことに対する驚きや、近い感覚を持つ人の存在に対する安堵感を覚えつつ読ませてもらったことをまずもってお伝えしたいです。

「夫婦だ」といういじりに関しては、私も同じことを言われたことが複数回あり、とてもリアルで、根深いものなのかなと感じました。幼少期もそうですが、実は大人と呼ばれる年齢になった今も、同じようなことがあったりします。このいじりについては、される側はすごく不愉快なのに、不愉快に思う理由がいじる側には伝わりづらいという難しさがあるなぁとしみじみ感じます。幼い頃は言語化できませんでしたが、今私が持っている言葉で言うのなら、異性間で仲がいいことを安易に恋愛に結びつけること、そして面白可笑しく括られることに違和感があるのだと思います。もっと簡潔に言うと、自分自身、または自分と誰かの関係性について周囲に評価を下されるような感じが苦しかったのかなと思います(正直まだ漠然としている部分はあります)。私はその不愉快さを誰かに訴えてこなかったこともあり、ご自分の不愉快を伝えた幼少期のあなたを労いたいと率直に思いました。

文中にもあった「気持ちの伴わない恋愛」について私なりに考える中で、私の中に恋愛に対するネガティブな思いと、だからといって一人でいたいわけではなく、誰かとつながっていたいという思いが同居していることに気付かされました。そして、その「一人でいたくない」をどう満たすかとなるとなかなか思いつかず、手段があるとするのならやっぱり恋愛なのかなと思わされたり、、。あなたがそういう葛藤を経て気持ちの伴わない恋愛を探すに至ったのかなと思うと、私はあなたのことを怖いとは思えなかったです。それに、人間関係が画一化されていること(先述した、異性間で仲が良い=恋愛と結びつける感じとか)に疲弊している部分もあるのではないかと感じました。
これはあくまで私の体感に過ぎませんが、恋愛が充実している人の方が、人生が充実している人として見られることがあるような気がします。だから、恋愛について話すのは誰かを値踏みしたりされたりすることのように思えて私は苦手なのだと思います。でも抱えている思いはありますし、あなたの経験談からも積年の思いが伝わってくるようでした。気が向いたら、積もった思いをまた吐き出しに来てもらえればと思います。改めて、投稿ありがとうございました。

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