私は幼少期から早期教育と言われてくもんやらピアノやらテニスやら水泳やら色々やらされていました。
くもんは国数英の3教科をずっとやっており、毎日終わらなければ友達と外で遊ぶことも許されず、ほとんどずっと家で勉強をしている小学生でした。
小学4年生の頃には高校の勉強まで全て終わっていました。勉強が出来なくてベランダに放り出され1日過ごしたこともあります。椅子を投げられたこともあります。毎日のようにベランダにランドセルや、くもんの用紙を投げられ外に放り出されていました。
ただその早期教育のおかげで小学校はいつも満点で成績は良かったと思います。
中学にあがり小学生の反動で勉強を一切しなくなりました。
毎度テストで12点やら14点やらを取ってくるため何度叱られたか覚えていません。
中3にあがり行きたい高校を見つけ勉強を始めました。元々勉強は好きだったので苦ではありませんでした。ちょうどコロナで閉鎖された時期だったので毎日する教科を決め、朝7時に起き、夜の2時まで勉強をする毎日を過ごしていました。1番充実していたと思います。
高校は結局母が望んだ高校に行きました。被服科です。私の学校は被服と保育に2年生で別れる仕組みで1年生の間は全ての基礎をやるような形でした。手芸の授業やファッションデザイン、勿論洋裁、和裁の授業もありました。それと同時に保育の授業も。
1年生の頃はある程度充実していたと思います。ただ担任の先生には嫌われていました。「お前は向いていない」「何故出来ないのか、おかしい」等散々な言われようでした。
逃げるように2年生では保育に行きました。ですがそこも地獄でした。
子供が喜ぶ様なものを作れという授業があり、自分が楽しまなければ子供が喜ぶような物は作れないと思っているので、まず自分が作っていて楽しいものを作っていました。
しかし、完成して持っていくと「こんなもので子供は喜ばない」などと切り捨てられ、それが日常になっていきました。次第にモチベも無くなっていき、子供が喜ぶものというのが分からなくなっていきました。その後不登校になり単位ギリギリで卒業。クラスメイトや担任には沢山迷惑をかけました。嫌われていたと思います。沢山自己中だとか、きもいだとか陰口を言われていたのをよく覚えています。
大学に進学をし、環境が変わっても私の中にある霧は晴れませんでした。
「どうせこの子も」どうせ、どうせ。
友達が出来てもその子を心の底から信用することが出来なくて、純粋に相手は友達として関わってくれているのに私はその純粋な気持ちに答えてあげることが出来ませんでした。罪悪感と自分に対しての嫌悪の気持ちでいっぱいになるようになり、1年で退学しました。私はとても弱い人間だと思います。
退学後直ぐに就職しました。
高校時代からバイトが唯一の居場所で仕事がとても好きだったのもあり、ワクワクした状態で入社しました。
しかしそんな私が想像していたようなものではありませんでした。教えて頂いた先輩は私が入った月末で辞められる方でやる気なんてものはなく本当に必要最低限教えられもう自由でいいよ〜なんて言われます。
わけもわからず独り立ちさせられ、お客さんとの商談に何度も立ちなんとか話を出来るようにしました。それでも勿論知らないことも沢山あるので何度も怒られました。
勿論数字も求められました。店舗で全体の目標があるだけなので個人のノルマはないからと言われつつ人数が私と先輩の2人で少ないため個人のノルマはとても見やすかったからだと思います。何度もなぜ取れないのかと詰められました。
辛くても勿論相談出来るような人など私にはいませんでした。
その後3ヶ月という短い期間で退職することとなりました。
私が弱いのは分かっています。
私が自堕落でなんの取り柄もない人間であることは分かっています。
何度も何度も死のうとしました。でも死ねなかった。死ねるような勇気も度胸も無かったから。毎日考えました。考えて考えて逃げました。現実から逃げて逃げて、そして今です。
私にはなにも残っていません。誕生日だって祝ってくれるような親や友達も居ません。
私の人生はなんだったのでしょうか。私は何のために生きているのでしょうか。
カウンセラーの方に見て見ぬふりをしてきたことが多すぎる、1つづつ解決していこうと優しく言ってくださいました。でも分からなかったんです。なにを見て見ぬふりをしてきたのか。今まで放置してきたもの一つ一つがなにか分からないから解決するものが分からないからどう話をすればいいのかも分からないんです。だからまた逃げました。どうやって生きてきたのかとカウンセラーの方に聞かれましたが私も分かりません。自分の認知が低すぎるとも言われました。どう生きていけばいいのか私にはもう分かりませんでした。
転職先探しを今もしていますが勿論見つかるわけもなくお先真っ暗です。
私はなんのために生きてきたのでしょうか。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
人生とは。
感想2
課題が終わらないと友達とも遊ばせてもらえない、勉強ができないとベランダに放り出される日々など、心身ともに辛くしんどさはジリジリとあなたの心を傷つけていったことと思います。一方で、小学校4年生で高校までの学習を終え、目標を決め朝7時から夜中2時まで机に向かい勉強は好きだったと言える力は、しんどさの中からつかみ取ったあなたのアイテム(武器や道具)のようにも思いました。
一日20時間以上も勉強しフル回転で頭脳を鍛えてきたあなたが、好きやセンスといった不確かだけどあるものを磨くファッションやデザインなどの授業は、強い興味関心がなければキツイものだったと思います。保育も同じく専門的な知識は学ばなければ得られませんが、1+1=2のような絶対的な数式と回答がありません。自分が楽しまなければ子供が喜ぶような物は作れない、「同感!」と手をあげた私がいます。が、思ったような評価がもらえずモチベが上がらなくなるのは当然のことと思います。母親の希望に沿った進学だったかとは思いますが、胸につかえる何かがあったのではと想像しました。
自堕落でなんの取柄もない私と書かれていましたが、勉強することが好き、働くことが好きと思えていたあなたはいました。霧がかかったような状態の中、奮起してきたあなたもいます。世の中は大勢の人で構成されているので自分が見て見ぬふりをしていても、他の人が見ていればそれでいいこともあるのではと私は思っていたりします。その逆もあって、他の人が見て見ぬふりをしたり、見えていないものを自分が見ていることもあるのかと。補い合うような社会では、自分も他人も世の中に出番ができ居心地さえも良くなると思っています。
お先真っ暗とのことですが休息を取り英気を養えば、きっとあなたのアイテムを使って明るく照らしたり、暗闇に慣れたり、ロープを張ったり、カウンセラーさんという助っ人もいますし何とかなると勝手ながら思ってしまいました。焦らず、そのままのあなたでいいのではないでしょうか。投稿いただき、ありがとうございました。
感想1
読み終えて色々考えていたのですが、「教育とは」その言葉が一番浮かびました。
教育とはこういうものと言えるほどの知識はないのですが、少なくとも学校でやる勉強だけが「教育」ではないと私は思っています。学校での集団生活、放課後にお友達と遊ぶことも社会を勉強する場で、そこでは机に座って鉛筆を持ってやる勉強では学べないこともたくさんありそうです。数学のように「x=5」とキレイに答えが出るものもあれば、(道徳のように?)絶対的な正解がなく、自分なりに考えてみる勉強があるとも思っています。ただ、今の学校そして社会では前者の教育が多く、自分なりに考えていく力はなかなか育ちにくいです。ただ、あなたはそんな中でも、誰に言われるでもなく高校を見つけて勉強したり、「子どもが喜ぶもの」のためには「自分が楽しまなければ」と考えていたり、あなたなりに考えやってみる力は本来備わっていた印象を持ちました。
それでも、教えてもらえなかったことがとても多かったのだとも感じています。書いていたように本当にどうしたらいいかわからなかったのだと思うし、だからこそ逃げることしかできなかった、ひょっとしたらその当時は「逃げている」という自覚すらも持てないままただただ、自分の中でできることをやろうとしていたのではないか?と私は感じました。もしそうだとしたら、カウンセラーさんの言葉で「なにが分からないか分からない」と気づいた今の方が、かえってこの先どう生きていいのかわからなくなっているのかもしれません。苦しいし辛いけれど、それはきっと自分の人生を自分で生きようとした先にある悩みなのだと思います。これまで学べなかったことが多かったのは、今の社会の仕組みの問題だと思います。あなたが弱いからだとは私は全く思いませんでした。(これは人の受け売りですが)何歳からでも学び直しができるみたいです。主体的に経験談を投稿したことも含め、今のあなたはまさに学び直しをしているところのように私は感じました。(想像が多くあるので、全然違っていたらすみません)投稿ありがとうございました。