経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

もう頑張れない

小学生の頃、自分は頭が良くないなと自覚しました。だから人一倍努力しなければと思い、勉強に励みました。
その甲斐あって、希望していた大学に入り、国家資格を取得。そこそこの会社に入り、十分な給料を得ていました。
仕事内容も自分に合っていて、仕事ができる方ではないですが、なんとかこなせていました。

1年前に結婚し、夫が住んでいるところへ引っ越しました。遠方だったため仕事は辞めてしまいました。
そこが私の運の尽きだったと思います。

せっかく得た転職の機会だったのでキャリアアップを目指して、未経験の分野に挑戦しました。そこで待っていたのは、無能な自分と周りのパワハラでした。
前職と違い、臨機応変な対応を求められる仕事でした。私は上手くこなせませんでした。自分なりに努力はしましたが、仕事は結果が全てなので認めてもらえることはありませんでした。そのせいで周りとも上手く馴染めず、人生で初めていじめに遭いました。見下され、馬鹿にされ、有る事無い事吹聴されました。
自分が無能なせいだから、仕事ができない人は何を言われても仕方ないと自分を責め続けて辛い日々でした。
結局8ヶ月で転職し、また新たな職場で働き始めました。次の職場は優しい人ばかりでしたが、未経験のことが多く仕事内容になかなか適応できずミスを連発。一緒に入った人は難なくこなせることも私にはできませんでした。もともと無かった自信はどんどん失われ、枯渇しました。仕事の勉強もやらなくちゃと最初は頑張っていましたが、最近は手につきません。頑張っても私にはどうせできない、無能だからと思ってしまいます。以前の自分なら、無能なんだから頑張るしかない!と自分を奮い立たせていけていたのに、今は以前のような前向きな気持ちになれません。前職でいじめにあったことも、今でもまだ思い出してしんどくなります。

同級生たちは、仕事で重要なポストについたり、給料が上がったり、後輩の教育したり活躍しています。私は新卒みたいにわからないことにてんてこ舞いしながら、新卒以下の給料で働いています。私も皆みたいになりたかった。なれるはずだった。
どうしてこうなったのか?結婚しなかったらよかったのかな?ぐるぐる考えてしまいます。
もうすぐ30歳。なにも成し得ない何もできないまま歳だけとっていってると思うと辛いです。自分のような無能な人間、存在する価値ありますか?職場に必要ですか?社会に必要ですか?
もう何も頑張れない。

感想1

経験談への投稿、ありがとうございます。
投稿者さんの心の移り変わりがはっきり感じ取れるほどに、分かりやすく書いてくださっているように感じました。一つ一つを鮮明に思い出せるほどに、これまでの人生に大きな影響を与えた出来事だったんだと、読んでいる私も胸が痛い思いです。

引っ越してからは、新しい環境に慣れるためにたくさんのエネルギーを要したのではないかと思います。新しい職場も新しい内容の仕事も、キャリアアップのために選んだとはいえストレスを感じずにはいられなかっただろうとも感じます。また、「仕事は結果が全てなので認めてもらえることはありませんでした」という言葉の裏に、真剣に仕事に向き合い、力を尽くしている投稿者さんの姿が想像できました。だからこそ私は、投稿者さんが真剣に取り組んできたものが、結果が伴わないという理由だけで無きものにされている事に不満を感じましたし、同じ理由でいじめをするということに対し憤りを感じました。仕事に結果が必要なことは理解できますが、その結果を出すために「社員が肉体的にも精神的にも健康であることが必要」だということが会社の認識から抜け落ちているように感じます。そう感じるからこそ「投稿者さんは決して無能なんかじゃないよ」「投稿者さんのせいじゃないよ」って声を大にして伝えたいです。

引っ越して初めての職場では、周囲の人からの圧力によってつらさを感じているように見える反面、転職後では、前職の体験から、自分を責め続けてしまうことでつらさを感じているように見えました。前職での体験は、投稿者さんの「自分を奮い立たせることができる」という強みを取り去ってしまうほどに心に深い深い傷を負わせたんだということが、読んでいくにつれて痛いほど伝わってきました。

これほどまでにつらい思いをされている時に周りの人と比較してしまう気持ちに、強く共感しました。
「つらい時ほど周りを見て自分を追い詰めてしまうのはなぜなんだろう」
この疑問に対する答えは、私の中ではいまだ見つからないままです。
分からないなりに色々考えてみたのですが、私には投稿者さんの姿が「これまで自分を削りながらも頑張ってこられたんだな」という風に見えたので、その反動のようなものかもしれないなって思いました。反動にしては大きすぎるよなぁ、とも感じる所はありますが…。
またなにか行き場のない気持ちが生まれたときには書きに来てください。
投稿ありがとうございました。

感想2

経験談への投稿ありがとうございます。読ませていただきました。

人一倍努力してきたあなただからこそ、もう頑張れないということの苦しさも人一倍だと感じました。努力することがあなたのアイデンティティの一つのようでもあったのではないかなと考えると、頑張る気持ちさえ奪われてしまうというのはアイデンティティを奪われるような物だと思うからです。そんな状況の中においても、丁寧に綴られた文章からあなたの勉強や社会生活に励んだ時間が感じられるようでした。

わたしが注目したのは「臨機応変な対応を求められたが、できなかった」という文章についてです。人の性質のグラデーションの中には、臨機応変が得意な人もいれば苦手な人がいる、逆も然り、コツコツと物事をこなすことが得意な人もいれば苦手な人もいると考えます。もしかしたらあなたは臨機応変が苦手で、コツコツこなすことの方が体に合っている方なのかなと想像しました。(違っていたらすみません。)

臨機応変が苦手だとすると、引っ越しや新しい環境に慣れるということにも人一倍時間がかかったり、もっと言えば環境が変わるということ自体のストレスも大きく感じられたのかもしれません。家庭や地域に慣れるだけでなく、会社に慣れるということが加わるのですから、仕事に適応するのが難しいのも無理がないように感じました。

自分が今までできていたことができなくなると自分の自信を失ったりしますよね。もしかしたら最初から「できない」のであれば、「できていたのに」というプライドが傷ついたり、自信を失うこともないのかもしれませんから、「できているあなた」がきっと居たのだろうと感じます。これまでできていたことができなくなるというのは、新しい環境になれば当たり前のこと、この先、年をとるなかでどんどんでてくることだと思います。できなくなったなら、また1からできるようになればいいんです。きっとそこには、練習や努力というのがあるのでしょう。

もう一つ、「努力する」ことや「頑張る」というのはわたしはなかなか一人では難しいことだなあと思ったりしています。頑張りを認めてくれる人や、応援してくれる人など、周囲の環境とモチベーションがとても重要なことなんだと思っています。だからこそ、「できたかできないか」ではなく、わたしは「挑戦したあなたや、挑戦しているあなた」というものをしっかり見たいと思いました。今の環境自体が挑戦だらけでしょうから、こんなにすごいことはありません。そんなことを、あなた自身のことも褒めてあげていてほしいというのは、わたしのわがままでしょうか。

だけれど、頑張るためのエネルギーが枯渇している時は、無理しなくていいとも思います。頑張れないなら頑張らなくていい、そんな時はしっかり休んでほしいです。どんなことがあなたにとっての癒しや頑張るためのエネルギーになるのか、一緒に考えてみたい思いです。またいつでも書き込みに来てください。

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