母親が中絶していた事を知った。高校生の頃、父親と行為に及んで妊娠したらしい。
それはやむにやまれぬ事情、だろうか。身勝手な話だ。
その事実を知ったのは、父方の祖母の墓参りに行った時だったと思う。高二の春に両親が離婚して、私は母親と共に家を出たので、かつて父親だった人と二人きりの車内に、少し気まずい空気が流れていたのを覚えている。
父親はアルコール依存症だった。仕事のストレスで酒を飲み、酔うと大きな声を出したり物を投げたりして暴れた。酔っていない時も、口を開けばいつも過激な言葉を使った。どうして必要以上に攻撃的になるのか、私には分からなかった。
幼少期の私にとって彼は脅威だった。家中に響く怒号や破壊音が怖くてたまらず、感情を鈍らせ息を殺してやり過ごすことばかりが得意になった。頻繁に癇癪を起こす姉がいたこともあって、家は安心できる場所ではなかった。姉がゲームをプレイしているところを見せてもらうために、肩叩きをするのが日常だった。
私自身にも自閉の傾向があり、緘黙を拗らせて学校では軽いいじめに遭った。休日は祖父母の家で障がいを持つ親戚の子の面倒をみた。あまりにも自分の希望を口にしないので、祖母からはよく自己主張をしろと言われた。
他でもないあなたたちが私をそうさせているのではないか。私を助けてくれないくせに、要求だけはするじゃないか。
今更のように沸いてくる怒りは尽きない。とろくさいのも、異食症も、手先が異様に不器用なことも、すべて分かっていたのなら、姉だけではなく私も病院に連れて行ってほしかった。大人しくしていたら放置され続けて、大人になった今、ひたすらに死を願いながら苦しんでいる。ようやく感情を得た私が、苦しんで毎日泣いているうちに、母親は陰謀論にはまっていた。薬を悪だというので、私は一人で生きるしかない。もはや誰にも頼れない。あるいは、頼れる存在など、最初から一族の中にはいなかったのかもしれない。
ここで冒頭の話に戻ろう。
墓地で車を降り、柄杓と桶を持って墓の前に行くと、その脇に水子供養の像が建っていた。それが何か分からないほど子どもではなくなっていた私は、しかし、何を言うこともできず、ただ片手を挙げる像を見つめて立ち尽くしていた。
私の様子を見て父親が言った。毎週寺に行っている。その子のために、20年以上欠かさずに。
世界から音が遠くなるというのは、こういうことをいうのだと理解した。
その時から憎しみに歯止めが効かなくなった。この体が穢れていると思うようになった。自分本位に快楽を追求して、命になるはずのものを奪って、それを許してもらおうとする。生まれてこられなかった誰かには、人を許す機能など備わっていないというのに。謝罪を聞く耳さえない。それはあなたたちが奪ったものだ。
何より、そんな話を聞かされてしまったら、死にたいと考えるたびに罪悪感を抱くじゃないか。幸運にも生を受けてしまった私は、代わりに生きなくてはいけないと思うじゃないか!
私は、あの時確かに、あなたの代わりに許しを与える代替品として使われたのだ。そんな人の血が流れている体が憎くて堪らなくなった。
元々、自分の思い通りに動かせない体が嫌いだったが、身体性を嫌う理由が新たに増えた。肌を切り、血を流して安堵することに後ろめたさを覚えなくなった。恋愛や性欲に嫌悪を抱く根拠ができた。頭の中で死ねと私を責め立てる声が、名もない姉さんか兄さんのものではないかと、そんな想像までして、浅ましい自己憐憫に浸り満足を得た。
すべて私の歪んだ思考に正当性を見いだすために利用した。
だから、姉さんまたは兄さん、私の代わりに生きてください。
そう願うことこそが、あの人たちの子どもである証だった。悲しくなるぐらいに、手前勝手なところがよく似ている。
感想1
父親の身勝手さと、生まれる前に奪われた命があったという二つの衝撃が、すでにぎりぎりだったあなたの心身に深く刻まれたようなイメージを抱きました。
水子供養のために毎週寺に行くという行動と、父親の普段の攻撃的な振る舞いが私にはアンバランスに感じられ、父親はどういう世界観や考えをもっているのかまだ想像できていない私がいます。もう許す機能もない相手に供養を行い、目の前を生きる存在(あなた)を追い詰める・・・周りがどう感じているかの想像ができず、自分の理論や感情で動く人物、ということなのでしょうかね…。少なくとも、子どもであるあなたに、自分の身勝手さや未熟さを押しつける行動をしたのは確かで、それはどれだけ傷ついても憎らしく感じてもおかしくないことだと私は感じました。
また、姉がよく癇癪を起こし、障がいをもつ親戚の子の面倒を見たという話から、かなり自己犠牲の多い子ども時代を過ごしてきたのだろうと想像しています。あなたをケアする力のある大人が周りにおらず、逆にケアを求められることが続けば、何かが擦り切れてしまうようなイメージが浮かびました。
そして、反動として、誰かに頼りたい、何かすがれる物語や答えがほしい、という大きな渦のような気持ちが湧いてくるのかもしれない…?なんて、ちょっと想像もしました。名もない姉さんか兄さんの存在を「歪んだ思考に正当性を見いだすために利用した」とあなたは書いていましたが、孤独の中であなたがなんとか生きるバランスを保つためには、歪んだ思考が必要だったのだろうと私は感じましたし、歪めるなら徹底的にパワフルに歪める方が、生きやすかったのではないかとも感じました。
あなたの父親の身勝手さは「自分で中絶の選択をした」相手に許されようとしていることであり、亡くなった存在を自分の想像の中で使うこと自体は、わりと問題ないのでは…?と私は思いました。でもあなたがそう自分を責めるのは、命や自我というものを、不可侵のものとして尊重する感性があるからなのかなとも感じています。(理解がズレていたらすみません)
なんだか理屈っぽく色々書いてしまいましたが、「苦しんで毎日泣いているうちに」という言葉もあったように、あなたの中にはまだたくさんの感情が溜まっているのだろうと思います。だからそんな思考もどんな自責も、ただあなたの悲しみを表しているような気も私はしました。
あまりまとまらない感想ですみません。よかったら、またあなたの話を死にトリに届けてください。