私はADHDで障害者手帳2級、鬱と適応障害もある。前職で私に管理者を任せてくれたクライアントから受けたパワハラで気分障害が起こり、精神科を受診した所、発達障害も同時に発覚した。
思えば普通に出来ない事が多い人生だった。簡単な算数も出来ない。思った事をすぐ口走り衝突も起こした。部屋は片付けられず常に汚部屋。小学生の頃から希死念慮があり5年生の時に自殺未遂し失敗、20歳の時も引き留められて失敗した。その頃から既に鬱だったと診断された。
祖母は、強烈に差別が好きな男尊女卑思考の長男教。母も母の弟と比較され虐待されて育ち、一生治らない怪我がある。私も私の兄と差別されて育った。兄は脱毛症でいじめも受けた為、特別に祖母から庇護されていたと思う。それと比べて私は役立たずだと罵られていた。
でも母は、私と兄を祖父母宅に預けて働かざるを得ないシングルマザーだった。父は会社を経営していたが、不倫、倒産、借金、母へのDV、自殺未遂まで起こし、離婚。現在はどこかで生活保護を受けているらしい。そんな状況だったからか、私達を育てる為には祖父母を頼るしか無かった訳だった。
そんな中で健全に育つ訳もなく、私は兄と父に恨みを募らせる一方で、愛して貰えないのは自分が出来損ないの役立たずだから当然だとも思っていた。簡単な勉強すら出来ない、悪い成績では愛されなくて当然だと。
次いで私は、自分が女だから悪いのだとも思い自分の身体性別すら責めた。女で頭が悪いなんて最悪だ、と。物心ついた時にはこの祖母からの差別と、女である事を拒否する心とで、私は性別違和を感じるようにもなった。
男の子のような格好を好むようになった私を、母は責めなかったし、私の好むカッコいい迷彩の少年服を嫌がる事無く買って与えてくれた。しかし、祖母にとって嘲笑の対象になっただけだった。成人以降もメンズに身を包み、髪はワックスでスタイリングし、満足する事はあれど余計に社会は生きづらくなっていった。やっぱりここでも、私は自分を責めた。自由を尊重しない社会が悪いとも思いつつも、結局は社会に適応出来ない私が悪いのだと。
かつて私には声優になりたいという夢があった。母は応援してくれ、専門学校にも養成所にも通わせてくれた。しかし専門学校では、逆に私は贔屓される側となり、クラスメイトから反感を強く買うようになってしまい、非常に肩身が狭い思いをした。
それでも負けじと養成所に通うも、どこかプツンと糸が切れたようになり、折角母に入所金を払って貰ったにも関わらず、私はある日突然養成所に通う事を辞めた。私が贔屓されたのは、演技力があったからでもなんでもない。ただ、ちょっと目立つ格好をした女、だからだった。それをまざまざと、養成所で見せつけられたから。
そこからは派遣バイトで、何の目標も無くただ生きる日々。相変わらずメンズは着ていたが、派遣先の工場勤務の年配の方からは笑顔で馬鹿にされる毎日だった。
年配の方からの攻撃が辛くなり限界を感じて、コールセンターの派遣バイトに変えた頃、一人の男性と出会った。彼が紹介してくれて派遣会社の契約社員となり、私は彼に思いを寄せ、次第に女に戻って行った。彼も乗り気で居てくれたが、恋人になる事も無いまま、次第に関係は金銭の貸し借りという爛れた関係に変化していった。金が無いと嘆く彼に貸す為、必死に働く。そこで冒頭の管理者に抜擢されるのだが、やはり結局私は役立たずの出来損ない。数字を上げるどころか運営する事など到底出来る筈も無く、クライアントから怒号が飛ぶ毎日。それでも彼にお金を貸す為に必死に働いたが、またプツリと糸が切れた。
休職6ヶ月。布団から出られない事が多い日々。彼に貸した借金は、60万を超えていた。
母に申し訳なさ過ぎて、休んでいる事を伝えられず、仕事に行くふりをして漫画喫茶に身を寄せる毎日。そんな中でも生活費は母に渡さなければならない。働いていると嘘をついているから。稼ぎは無いのに出ていく金はある為、私自身も借金に手を出した。返済途中だが利子で返しきれておらず、現在も約100万が残っている。
復職するもやはり私に任せられる仕事は無いに等しく、気がつけば私は会社を辞めていた。彼からかつて、障害者雇用で就職したら良い、というアドバイスを受けたのを思い出し、現在の会社に勤める事となった。彼とは、借金返済の催促をするだけの間柄となった。
今の会社は障害者雇用のアルバイトとして入ったので、時給は当然健常者の同僚の半額以下。それでも必死に働くが、やはり出来ない事が多くて自分にガッカリする連続。誰もがやりたがらない雑用を、ただ言われるがままこなすだけに成り下がり。コールセンターの頃と比較すると、年収は半分以下にガクッと減った。それに対して不満はあれど、私は障害者なのだから仕方ないと、辛いのは自分が悪いからなのだと、やはり自分を責める毎日だった。
希死念慮は、当たり前の感覚になっていた。貰っている薬が効いてるかも分からない。もうどうでもいい。自分の人生に意味など見出せない。片道切符分のお金と死体が見つかった時の為に身分証明書だけを持って、富士の樹海に行き、ODをして死のう。そう決めたものの、死ぬ気力すら無い。線路、ビルの屋上、ロープの引っ掛けられそうな鴨居。無心で見つめて、その後の葬儀代やら母の悲しむ顔やら、事故物件にしてしまった後の代償やら、考えては、生まれてきたくなんかなかったと消滅を願うようになった。
ある日ふと、私はかつての夢を思い出した。声優になりたいという夢。希望も糞も無い今、趣味でくらいは簡単に出来ないのか。
そうして探した趣味の場で、今の想い人の男性と出会った。
その人は明るくサービス精神が旺盛で、沢山私を笑わせてくれた。シングルファザーという境遇で大変な仕事をしているにも関わらず、彼はしばしば落ち込んでは自分を責める私を、優しく支えてくれた。私の障害を理解してくれて、失敗して落ち込んでも傾向や対策を練ってアドバイスもして、常に寄り添ってくれた。連絡を毎日取り合い、寝落ち通話をし。傍から見たら、良い歳をしたおじさんとおばさんが、こんな若い子達がするような恋愛をしている。それが可笑しいけれど、確かに幸せだった。久しぶりに、生きていたいと強く願った。こんな私でも、この人と一緒に生きていきたい、と。
だけど。信用出来る人なんて少なく、自分すら信用出来ていない私は醜い独占欲の塊になり、嫉妬や彼の周囲の女性への敵意を、隠していれば良かったのに彼にさらけ出してしまった。彼を試すような事を言い、酷く深く傷つけてしまった。悲しんだ返信をしたきり、彼から連絡が来る事は無くなってしまった。勇気を振り絞って連絡をしてみるが、2、3回の何の感情も込められていない当たり障りの無い返信があるのみで、彼が既読無視をして終わり。
どこまで。どこまで私は、馬鹿で、屑で、役立たずの出来損ないで。自分を何度裏切り続ければ、他人を何度傷つけ続ければ満足するのだろうと、心底から絶望した。ようやく見つけられた筈の幸せを、彼の優しさを、私は完全に無下にした。幼い頃から何一つ変わらない、本当にゴミでしかない生きる価値の無い人間。ただイタズラに命を無駄に生きているだけの醜い塊。努力したって報われない。自分で居る限り、幸せになんて絶対になれっこない。
また、糸の切れる音がした。
ようやく、自分の人生を諦めた。これまで若干諦めてはいたものの、それでも報われたくて必死に努力もして足掻いたが、結局は役立たずの出来損ない。全部自分が、或いは悪意ある他者が邪魔をする。
こうして書いて自分で読み返してみても、本当にしょうも無く、無意味な人生だったと強く思う。
もう涙すら出ない。
借金を返し終わって自分の葬儀代を稼ぐまでは、せめて。ほんの少しだけでも部屋を片付けて、後腐れ無いようにせめて身辺整理を終えるまでは。最後に、私を産んだ事で時間も労力も感情もお金も全てを無駄にさせてしまった母に。唯一幸せと、キラキラと充実した時間をくれた、心から愛した大切な彼に、謝罪と感謝をして、ケリをつけよう。
それを目標に細々と、また無駄な人生を、無意味な命を消化している。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
役立たずで出来損ないの、無意味な人生
感想2
必死にそしてとても真摯に生きてきたこれまでの人生が強く伝わってきました。見も知らない私が簡単に労うのもおこがましさを感じるのですが、本来なら周囲の大人から守られ、特性なども理解され成長する機会を得るはずの子ども時代に日常的に権利を侵害されてきたことはかなり過酷なことだっただろうと思い、その中でよくここまで生き抜いてきましたと静かに思っています。その過酷な環境の中でも、母があなたを自然に受け入れてくれる様子が出てきて、少しだけホッとしました。そして、経験談に一貫として流れる誠実さや自分を見つめる姿勢はその母との関係が背景にあるのかもしれないと想像しています。
文章の中であなたは自分のことを繰り返し否定する言葉を使っています。心から自分を否定し、何度も自分の存在を消そうとしています。しかし、私はあなたに否定的な印象を抱くことは全くありませんでした。むしろ、豊かな情緒を持ち、他者に対しても仕事に対してもとても一生懸命だと感じました。そして、何度かプツンと糸が切れたような感覚になったときにも、そこからまた歩みを始めています。死のうとしてもその気力もなかったと書いていましたが、あなた自身も分からないような願いがそこにはあったのかもしれませんし、潜在的な力があったのかもしれません。兄や父への恨みを募らせたと書いていましたが、文章や行動から他責の念は伝わってきませんでした。おそらく、子ども時代に心に受けたダメージは自分を責めることで処理してきたのだろうと思います。
そんな中で、想い人とのエピソードが印象的でした。あまりにも哀しくもあるのですが、あなたの生きてきた道を考えると無理もないことだったと私は感じました。心を許した相手だからこそ、それまで心の中に強く押し込めていたダメージが噴き出してしまったと感じたからです。私もこれまで、トラウマを抱えた人たちが信頼できる相手だからこそ過去のつらかった経験の影響が無意識に出てきてしまい、いろいろな意味で対人関係に大きな影響を与える様子をたくさん見てきました。大切な関係なのに壊してしまう、分かっているのにやめることができない…大切な人との関係が壊れることももちろん絶望的なことですが、それに加えて自分への失望も深いだろうと思うと、その苦しさは計り知れなかったと思います。おそらく今もその苦しさはずっと続いているのだろうと思います。
私は、そのエピソードを読みながら、トラウマインフォームドケアについて考えていました。トラウマインフォームドケアは支援者が学ぶことなのですが、トラウマを抱えた人たちと関わる際に支援者が誤解したり、関係が壊れないように「生きづらさや苦しさの背景にトラウマの影響があるのかもしれない」と考えて関わろうとする方法のことです。私はトラウマインフォームドケアは支援者だけではなく、当事者が知っていることもとても大切だと思っています。自分の苦しさの背景にはトラウマの影響があると分かっていれば、もう少し自分を制御することができたかもしれないし、相手にそのことを伝えるすべもあったかもしれないと思いました。ただ、トラウマは本当に強烈な力を発揮するので、分かっていたからと言ってどうにもならなかったのかもしれません。あなたを何度も悲しみや絶望に突き落としたのは、あなた自身ではなく、子ども時代のあなたを守れなかった大人たちや社会だと私は思います。そして、大人になってからもその影響に苦しむ人たちがたくさんいるのに、理解や配慮、支援が不十分で、個人の責任にしてしまうのが現実だと思っていたのですが、あなたの経験談を読み、改めてその現実を嘆き、悔しい気持ちがします。
感想を書いていて自分の気持ちに改めて気づいたのですが、私は悔しい気持ちになっています。本来は子ども時代に得られなかった安心や安全を得られるべきで、努力は報われるべきで、そして幸せになる権利もあるあなたが、こんなにも諦めざるを得ない社会であることが悔しいです。確かに子ども時代に過酷だったし、報われないこともあったけれど、いつからでもやり直すことができることを共有したいのですが、現実はとても厳しいです。ただ、私は諦めていません。こうしてあなたが自分の気持ちを書いて死にトリに送ってくれ、つながってくれたことには大きな意味があると思うからです。あなたの経験は今の社会について考えるためのヒントがたくさん詰まっている切実な声だと思っています。
まだ、細々と生きていくと書いていましたので、もしよかったらまた死にトリに来てください。もう少しあなたの声を聴いてみたいと私は思いました。
お返事
まずは、私の拙い文章をきちんと読んでくださってのお優しい感想を、まことにありがとうございます。
寄り添ってくれるような優しい言葉の数々に、母、そして、かつて彼から受けた優しさと愛情や配慮を思い出すようで、自然と涙が浮かんで来ました。そして、嬉しさと、やはり強い後悔が自分を襲いました。
感想を読んでみて改めて、私は自己の視野でしか物事を考えられない狭い思考を持っていると感じました。そして、こうした寄り添いを主としたお仕事をされている方は、今まで私と関係してきた人の中でも、本当に優しい方々なのだと、深く染み入りました。貴重な存在です。本当にありがとうございます。
文章の冒頭で、私はADHDと適応障害、そして鬱病だと記載しましたが、先日の診断で、実は鬱病ではなく双極性障害だった事が判明しました。自分なりに双極性障害について調べ、感情の起伏が激しく躁と鬱のサイクルが早い事から、重症、つまり子どもの鬱だったとされた時期から治療されていない形で放置された障害だったろうと予想されます。そしてADHDの衝動性と最悪の形で噛み合ってしまって、周囲の人間を振り回し、困らせてきたのだと思い至りました。
結果的に嘘をついてしまった事、本当に申し訳ありません。
趣味の場で知り合った最愛の彼とは、あの後一度会い、帰り際にLINEにて感謝と謝罪と好意を伝えましたが、その後数日経っても連絡はありません。呆れられ、完全に見捨てられたものと想像します。それも、自分が自分である限り致し方の無い事だと思います。
仕事も休職してしまったし、趣味も何もかもを辞め、残りを細々とただ生きるだけで消化する決意を更に固めました。自分で居る限りは、絶対に幸せになれない事を深く自覚しました。
折角寄り添って、優しさを見せていただいたのに、また衝動性や気分障害で振り回すのかと、自分に自分で呆れ果てますが、全てを辞める事が、最低限自分を更なる不幸から守る事、大切な人や優しくしてくれた人を守る事に繋がる行為だと信じています。
健常者であり、スキルがあって初めて認められるこの社会は、やはり私には分不相応です。ただ、また死にトリに来て欲しいと書いてくださったので、また覗かせていただき、他の障害や生きづらさを抱えた方々が幸せになれるよう祈ろうと思います。そして、彼と彼のお子さんの健康と幸せを祈って、ひとりで過ごそうと思います。
優しく寄り添う感想をくださった方々に、心からの感謝を申し上げます。まだまだこの世には、こんなに優しい人が沢山居るのだと思わせてくれた事、とても救われる思いになりました。本当に本当に、ありがとうございます。
感想1
愛してほしい気持ちと、自分は劣っているという感覚の二つが、コントロール不能なものとしてあなたの人生を振り回し、心をきりきりと痛めつけ続けている話だと私は読みとりました。
金銭の貸し借りの関係になってしまったときも、独占欲の塊になってしまったときも、それはあなたの意思や性格などではなく、愛されたいという激しい衝動が引き起こした行動だと私は感じました。その愛されたいは、もっと本質的な表現をすると、認められたい、という叫びのようにも想像しています。
そういった飢餓感のようなものは、あなたの育った環境や経験を考えれば、生まれて当然とさえ言えるものだと私は思います。子ども時代に認められる経験が欠乏していた友人知人が私は多くいますが、試すような行動をしてしまう、自信がない、恋愛がうまくいかないといった話はよく見聞きします。だから要因はあなた個人ではなく心の傷にあり、それはあなた一人の意思で抑えきれるものではなかった、それは逆にいえば回復して自分で自分を徐々にコントロールできるようになっていく可能性もある、と私は感じます。(それがあなたにとって救いなのか、さらに絶望に感じられるかはわかりませんが、私にはそう見えたということを伝えたくて書きました)
また、自分が障がい者と呼ばれる存在であること、そしてそれが自分は劣っているという話に感じることも、診断が降りたときからあなたをずっと苦悩させているのが伝わってきました。
私はASDで、障がい者手帳も取ろうと思えば取れる属性の持ち主です。あなたの気持ちを簡単にわかるなんて言えないですが、子どもの頃から普通にできない自分を突き付けられる経験もしてきたし、自分は劣っているのではないかという不安や焦りはいつもどこかにあります。
と、そんな自分の気持ちを書きたいわけではなくて・・・。私はまず、障がいを社会モデルで捉えています。あなたがメンズの容姿を選ぶことで生きづらくなっていった話で「自由を尊重しない社会が悪いと思いつつも」と表現していましたが、「能力の凸凹や目に見えない違いを理解しない社会のせいで、本来一つの個性であるものが生きる上で障がいとなっている。つまり障がいは私にあるわけではなく社会が生み出している」というのが社会モデルの考え方です。(ちょっと雑な説明なので、もし興味があったら調べてみてもらえると助かります)
でも私はそう捉えている一方で、あなたがメンズの容姿の話で「社会が悪いと思いつつも、結局は社会に適応出来ない私が悪いのだと」と表現していたのと近しい気持ちも抜けず、「結局は私が異端であり劣っているのだ」とネガティブなジャッジを自分にしてしまうこともあります。
そして、社会に出るとか能力とかに重きを置くと、そのネガティブなジャッジを自分で自分に下してしまう場面が増えるから、愛し愛されることに重きを置きたい、そこに居場所を見つけたい、とどうしようもなく思うときがあります。だからあなたが愛されることに強く魅力を感じるのも、育ちの影響だけでなく、障がいというレッテルから逃れたい気持ちも入っているのではないか…?と私は感じました。
あなたは自分を責める言葉をたくさん書いていましたが、安心のない育ちだったこと、能力主義の社会であることがあなたの不安定を生み出したと捉える私としては、子どもが守られず能力でジャッジされる社会であることを責めたくなります。社会の一員としてそれを変えていきたいと感じ、ささやかに活動を続けていますが、この経験談を読んで、改めてその思いを強くしました。
経験談の投稿、ありがとうございました。