経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

なんなんだ、お前は?

コスプレイベント 一ヶ月前程
言われて傷ついたこと。
「痩せろデブ」。
なんなんだお前は???
お前は私の何を知っている???
お前は私がどんなコンプレックスを抱え、どれほど考えて、悩んで、どれほど妥協したか知っているのか???
文句を言うなら私の顔やらスタイルやら、すべてを作った神様に言え。私に言ったって私の心がすり減るだけだぞ?
それともお前はその「すり減った心」をご所望ですか?
どれだけコンプレックスに思ってきたかお前は知らんのだろう。
でも知らないから言っていいわけじゃないだろ???
アツミゲシや大麻だって栽培してても「知らなかった」で済まされるものではないだろ?違法だろ!?
人をナイフで刺して、そこで死んでも「刺したら死ぬなんて知らなかった」で悪意はないことにできた。でも、失われた一つの命は戻ってこないわけだ。
違法薬物も人殺しも、「栽培してた」「殺した」って事実が明確に存在しているわけで、「知らなかった」はその事実を無かったことにできるマジカルワードではないんだよ。
私はそういう考えしてるから。
私はお前を許すつもりはない。
だってそこに「事実」があるから。
私の心が傷ついたっていう事実が。
でもいざ私が「コンプレックスだって知らなかった」って言われれば許してしまうのだろう。
「知らなかった」には、完全完璧なマジカルワードで無くとも、二つの効果がある。
一つめは言った方の気持ちが軽くなること。
だって自分は知らなかったから。不可抗力なんだって。
二つめは言われた側が許さざるを得なくなる。
だって許さなかったら心が狭いだの謝ってるのにだの言われてしまうから。
だから、許さないわけにはいかなくて。
自分は自分でいたいのに、自分のことは自分で判断したいのに、その「知らなかった」で私は「いいよ」と答えてしまう。

なんなんだ、私は?

感想1

「なんなんだ、お前は?」に「いや本当にそうだよな、失礼すぎるわ」と頷きながら読み進め、終盤の「なんなんだ、私は?」の流れに、あなたのセンスを感じて唸りました。他のケースも出して、自分の考えをわかりやすく、感情にも訴えつつ伝える力。そしてその他者に向けての主張から、急に現実の自分という自然体なものに戻っていく温度差・・・。それが私としては、うまくいえないですが、あなた独自のセンスが光っているように感じられました。

「痩せろデブ」は、どういう関係性でも文脈でも、私は他人に言っていいことじゃないと私は思います。あなたの言う通り容姿は自分で選べるものではないですし、体形について「痩せている=いいこと」というのも偏った価値観ですし、もし本人が痩せたいと望んでいたとしても、それは自分の意思だけでいつもコントロールできるものではありません。そういった不可抗力の面が存在するものに対して、否定的な言葉を向けるのは、人間関係の基本的なマナーに反していると私は考えます。
だからこの件については、「コンプレックスだって知らなかった」という申し開きの余地なく、マナー違反で講習の必要あり!と呼び出しをしたい気持ちに私はなっています。
知らなかったに限らずどんな理由があろうと、起こしてしまった「結果」「行為」が許されるわけではないと同時に、それをした「人」については断罪されるよりも、学び直す場が与えられるべきだも私は思っています。

などと偉そうに書いてきてしまいましたが、じゃあ私は「知らなかった」ことによる罪を犯していないかというと、間違いなく何十回もやっているでしょうね…と冷や汗が出てきました。
ありがたいことに「それは失礼だよ」「傷ついた」と教えてもらえることもありましたが、傷ついても黙って我慢した人もきっといるのだろうと思うと、無知でごめんなさい…と思います。なるべくそういったことを言ってもらえる関係性を作りたいし、相手が私を許さない権利も私は100%肯定しますが、生きてる限り過ちを犯すことは絶対にあるわけで…。生きるのってなかなか難儀です……。
ただ、「知らなかった」に「いいよ」と答えてしまうにしても、内心で「許さない」と思う自由はあるし、「許さない」に私はわりと賛成派です。(というか私自身が全然許さないタイプなので、許さない仲間がほしいだけかも…)

興味深い内容だったので、つい語りすぎてしまいました。経験談の投稿ありがとうございました。

感想2

あまり本と馴染みがない私が言うのも変なのですが経験談だけれど、どこか作品のような印象を持ちました。怒り、あなたがあなた自身とどれだけ向き合ってきたのか、それ故に整理された言葉…それが作品のように感じたのかもしれません。

私も悪気・悪意のない人ほどたちが悪い、と感じることがあります。どんなに自分が嫌に思い傷ついても「悪気はなかったのだろうな…」と思うと、許さなきゃと思ってしまうからです。(当然、簡単に許せるわけはないのですが)だからこそ、「許すつもりはない」とここでハッキリと表明できていることがすごく素敵だと思いました。でも、だからこそ知らなかったと言われた時に「いいよ」と答えてしまうのは、内心と行動のギャップはとても大きいように感じます。私自身、「いいよ」と答えた時にいろんなもやもや(納得できない気持ちや自己嫌悪など)を抱えるので…。

「許せないことは無理に許さなくていい」と最近聞いて驚いた記憶があります。そういった認識がもっともっと世の中全体に広がっていけば、知らなかった効果が薄れていくのではないかと思いました。その認識を広めたいし、そのためにも自分のためにも私もちゃんと自分の気持ちに正直にいたいなと改めて思いました。投稿ありがとうございました。

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