20歳から社会人になり11年が経ち、31歳になります。
仕事はIT関係を行ってきましたが続かず、コロナでの会社都合退職やハラスメントでの退職などで短期離職が多いです。不安障害も適応障害も経験しており今後の事を考えると正直、生きていくことが辛いと思うようになりました。
日本は職をあまり変えると印象が悪いとなるので、なるべくIT関係からそれずにやってきましたが仕事も合わないのかもしれません。
綺麗な職歴でない事、将来の事を考えると不安で日々辛く余計に死を考えます。
ですが、なかなか踏み切れず何とか生きている状況です。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
仕事続かない&適応障害
感想2
履歴書の職歴が増えていくたびに、自信をなくし、不安が増していくような想像と、そんな中でも必死に仕事を見つけ働いてきた姿が勝手に浮かびました。
経験談を読んで、仕事に関わらず「長く続いていることを良いことであり、続かないのは悪い」という考え方が社会全体にあるような気がしました。習い事でも恋愛でも。客観的な事実として期間が長いor短いはあっても、それが良いか悪いかは別で、決めなくてもいいし、決めていいのは本人だけなのではないか?と感じたところでした。とは言っても、私自身社会の考え方に毒されているため、頭ではわかっていても、心はついていきません。同じようにあなたもこの11年の間で毒がたくさん溜まっていて、死を考えるほどの不安を発生させているのかもしれないと思いました。死にトリはそうした社会の考え方とは逆の方向にいると思っているので、よければ解毒しにまた使ってもらえたらと思っています。
投稿ありがとうございました。
感想1
色々なことがありつつも真面目に11年間やってこられた投稿者さんに、まずはお疲れ様ですと言いたくなりました。そして「綺麗な職歴」というプレッシャーに押しつぶされそうになっている投稿者さんを想像しながら、やっぱりまだまだ履歴書の綺麗さを重視する社会はあるのだと投稿者さんと共に傷ついた自分がいました。同時に個人の生きてきた上でのエピソードよりも、会社にとって有益かどうかを経歴で判断される現状に私個人としてはついていけない、ついていきたくないと社会に反発したい気持ちにもなりました。とは言え、生活する上で現金収入は必要なので働くということをおざなりにすることはできないと葛藤もわいてきました。
求人情報を見ていると、自分の経歴や能力と睨めっこしながら生き方の選択肢が削れ、自分の価値を社会の基準に乗せ自己評価を無意識のうちにしていっているような気がします。「日本は職をあまり変えると印象が悪いとなるので、なるべくIT関係からそれずにやってきましたが仕事も合わないのかもしれません。」とのことですが、コロナ渦では社会の前提や「かもしれない」がガラリとコロコロ変わる瞬間を様々見てきたように思います。自分の「かもしれない」の思いが微かに聞こえてきた投稿者さん、不安と焦りにさらされている苦しさを重々共感しつつ、その「かもしれない」を探っていくそんな時間や場面があればいいなと願うような気になりました。投稿いただき、ありがとうございました。