私は自分の人生を主体的に生きることができず、誰かに判断を任せてしまいます。年金や保険、貯蓄など仕組みをネットで調べても理解できず、このままだと1人で生きていくことができないのではと不安です。いっそ死にたいし人生の責任から逃げたいです。
きっかけは高校生活がうまく行かなかったことです。
クラスに馴染めず良い大学に行ってみんなを見返してやろうと思い、勉強を頑張りましたが第一志望が高すぎて目標点まで届かず、志望校を下げるしかなくなりました。
それなら行く意味がない、行きたい学部も無い興味のある分野なんてわからないと思ってしまい、母に大学には行かず働くとすべてのイライラをぶつけてしまいました。内心では大学に行かないなんて想像もできないし怖い、誰か助けてほしいと思っていました。とにかくお母さんのために良い大学に行かないと存在意義がないと思っていたし、高校受験の時は通っている塾に友達がたくさんいてみんなと頑張れる環境があったのでその環境を求めて個人経営の塾に行ったり大手予備校に行ったり何回も変えてしまい、親にも負担をかけている申し訳なさがありました。
なんとか母にすすめられた女子大へ進学しましたが、高校時代に周りの同級生と仲良くすることができなかった原因がわからず、向き合うことができず、自分は終わりだ周りが悪かったと被害者ぶったり他責したりして、リスカや軽い自殺未遂を繰り返してしまい就職活動も身が入らず大学を卒業する寸前まで内定がない状態でした。
母に土下座までさせて、お願いだから就職してほしいと言わせてしまいました。なのに、当時の私は働かなくてはいけないことなんてわかってるしお願いされても困ると思っていました。周囲からは就職する気がないと思われるくらい怠惰な生活をしていたのに、そのことを自分でわからないふりをして、私はこんなに働きたいと思っているのに自分の長所や短所なんてわからないし自信が無いから、やり方がわからないから内定がもらえないんだと被害者の立場に立つことで自分を守っていたと思います。
結局求人サイトのスカウト機能でスカウトしていただいた企業へ就職が決まりました。
でも、どこかでこんなところで働きたくない、早く貯金をして東京で一人暮らしをしたい、良いところに転職したいという思いが消えませんでした。実際、職場の愚痴を毎晩母に聞かせてしまい、たくさん励ましてもらいましたが理解してもらえていないと感じるばかりで、上から目線に聞こえると指摘も受けました。
現状を変えるには仕事を頑張って能力をつけてそれをアピールして転職するしかないと思いましたが、ミスをしたり残業が続くと、焦り自分に失望し全てを放棄したくなりました。
実家が裕福な友達や恋人がいて幸せそうな話を聞くたびに置いていかないでという気持ちになり、こんな気持ちになる自分が嫌いでいつか周りが常識や思いやりのない自分に愛想を尽かして離れていってしまうのではないかと不安です。
先日これまで仲良くしていた職場の先輩に無視されてから今までの自分の生き方すべてに問題があるように感じ、辛くなり3月末に退職しました。2ヶ月経ち、ずっと転職活動をしなければと思っていますが何をしてもうまくいかない気がして現在も何もできていません。
悲劇のヒロインをやめられず甘えて精神的に自立していない未熟な大人です。私は自分で自分のことをわからないと感じていますが、本当にわからないのかわからないふりをしているだけなのか何を信じればいいのかわかりません。自分に無責任なんだと思います。以前友達にあなたはちょっとおかしいよと言われたことがあり、その時は自分を守るためにおかしいふりをしてるんだよ、おかしくないのに何言ってるんだろうと思ってしまいました。いまだに思い返して今もおかしいのか、どこがおかしいのかなと不安になります。生きていくのが怖いです。
いま、家族としか関わっていないため自分のことを考えすぎているのでしょうか。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
混乱
感想2
これまであなたが生きてきたプロセスにおける心の中の不安や焦り、タイトルにあるような「混乱」が伝わる文章だと思いました。確かに混乱はしているのでしょうが、自己分析はどこか客観的でもあるような部分もありました。読み終わって、真っ先に感じたのは、ここに書いてくれた内面を伝えられる相手がいてほしいという思いです。おそらくあなたはこの混乱を自分で解決しようとして、必死になってきたのだろうと思いました。ただし、あなたの内面の混乱と打って変わって周囲からは別の姿が見えていたのではないかとも思えました。書いてくれた混乱は周囲には見せてはいけないもののように感じていたのかもしれません。しかし、混乱は隠そうと思っても言動ににじみ出てしまうところが多いと思いますし、何よりもあなた自身が不安や混乱を隠し通すことの負担は想像以上に苦しかったのではないかと思いました。また、不本意な行動をしてしまい自己嫌悪に陥ることも多かったようにも感じています(イライラをぶつけたり、周囲の関わりが善意だと思っていても受け止められないなど)。私はそうした自分が陥っていた状況をここまでよく理解して振り返ることができることにあなたの底力を感じています。だからこそ、内面を伝えられる存在の必要性がまず浮かびました。同時に、こうして書いて送ってくれたことにホッとする気持ちがあり、あなたの本当の力を発揮するのはここからだと思う気持ちも抱きます。
こんなにどん底にあるのに、気楽に何を言っているんだ?と思われるかもしれませんが、私は本当にそう感じています。そう思う手掛かりはあなたの文章の中にたくさんありました。例えば、最後の一文「家族としか関わっていないため」という推測もその一つのように思います。人はいろいろな人と関わる中で自分を知ったり、社会の中に位置づけていったりして、自分の持っている力を発揮できると考えます。だから、関わる人が少ないと単純に材料が少なく、チャンスは狭くなる傾向があると思うので、あなたの推測にも同意しました。そして、たとえたくさんの人と出会い関わっていたとしても、本音を出せずに振る舞っていたら、自分をより理解することも周囲に理解されるチャンスが少なくなってしまいます。あなたの経験談からはチャンスをたくさん逃してきたように思いました。それはあなたが悪いわけではありません。かといって周囲が悪いとも言えないと感じました。あえて要因を出すとすれば、多様な生き方や力の発揮の仕方のバリエーションが少ないことではないかと私は思いました。知らないうちに多くの人たちが内在化している「勉強して、いい成績をあげることが重要」とか「いい大学に行かないと人生の質が下がってしまう」とか「とにかく就職して一人前に稼げることが大事」などといったかなり固定化した価値観やそのイメージがあなたを苦しめてきたと同時に、あなたの中にある潜在能力の発揮を妨げてきたように思ったのです。別の生き方や考え方が身近に見えたり、理解できる機会があったりしたら、あなたの選択肢は広がったのではないかと思いました(的外れだったらすみません)。
読めば読むほど、あなたは実は大切なことにずっと気付いていたり、自分の気持ちや行動についても見つめてきたのだろうと感じます。ただ、そうした気づきを受け止められる機会や一緒に考える機会がなく、孤軍奮闘してきたように思えました。この経験談を書いたことで、自分の内面を誰かと共有する機会が開けることを勝手ながら願っています。そうはいっても簡単ではないかもしれませんので、すぐに機会が見つけられないときにはいつでも死にトリに来てください。他にも匿名で相談できるところもわりとありますので、そんな場を活用するのもいいのかもしれないと思いました。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。
思考の混乱が率直に綴られた文章だと感じました。あなたなりの自分の捉え方(被害者ぶっているなど)が繰り返し書かれていましたが、それは「自分には何が起こっているのだろう?」「何か他の捉え方もある気がする…」といった問いのように私は受け取りました。不安だ、もっと自分として生きたい、という切実さも感じていますし、あなたは何者なのか、私なりにこの経験談からなるべく考察したいと思っています。
私がまずポイントに感じた表現は、「良い大学に行ってみんなを見返してやろうと思い」と「お母さんのために良い大学に行かないと存在意義がないと思っていた」の二つです。
これはあなたとしては、主体的に生きることができない、という捉え方になるのかな…?と理解しています。私としては、孤独な中どうにか自分を保って歩き続けるために、反発や貢献に意識を向けるしかなかったのではないか…?と想像しました。
主体性というのは、どんな自分でも認めてもらえると思えるような安全な環境で、多様な他者や経験に触れていくことで、やっと徐々に見つかっていくものだと私は思っています。その安全も経験もあなたには与えられてなかったと私は感じるし、それはあなたの責任などでは一切なく、子どもの置かれている環境がとにかく主体性を育むのに適していない(成績へのプレッシャー、同質性の強い学校)という、社会構造の問題が大きい(つまり私も含め、この社会で生きることのできている大人の責任)と私は捉えています。助けてほしいと言えない、親に負担をかけて申し訳ない、などの考え方も、自己責任という考え方があまりに社会で強いことが影響していると私は感じます。
次に気になったのは「被害者ぶったり他責したりして、リスカや軽い自殺未遂を繰り返して」の部分です。
率直に、いやいや、いくら被害者ぶっても(被害者ぶっているのかも私には判断できていませんが)、よほど大変じゃないと自殺未遂まではできないのでは…?と突っ込みたくなりました。自殺未遂はそこまで簡単なことでもなければ、勿論楽しいことでもないと思います。だから、その行動に至るほど強いストレスや絶望感があった、助けてほしいと思っていてもSOSが出せなかった、というのは確かな事実だと私は思いました。そしてそこには、孤独と悲しみがあったように私は感じました。
まとめると、ずっと助けてほしかったのに一人で頑張るしかなかった時間が続いた高校時代と大学時代だったのかな…と私は想像しました(もしかしたらその前から、多かれ少なかれそうだったかもしれないとも感じています)。
孤独に泳ぎ続けた結果、息継ぎの仕方も、どこに行きたいのかも、よくわからなくなってしまったようなイメージも浮かびました。その中では、わかりやすい社会的成功だけが安全な島のように見えてしまい、その島にたどり着けないなら意味がない、といった視野になっているのかも…?とも想像しました。
それはあなたの精神的なものがどうこうではなく、孤独で疲れてしまったら、誰でもそういった状態になってもおかしくないと私は思っています。
じゃあどうしたらいいのだろう?というところまで話を進めてみると(あなたがそこまで考えたいかはわからないですが、ここまで来たら考察を続けたくなってしまいました)、まさに経験談を書いて送ってくれた行為が、一つの有効な対処だと私は感じました。
自分の内面を開示すること、信頼できる他者から(死にトリがそうなれるかは定かではないですが…)、それについてどう感じたかを教えてもらうこと・・・。少なくとも私は、その経験を積み重ねる中で、徐々に自分を獲得していきました。
母に聞いてもらっていた職場の愚痴は、たぶん本当の意味で内面を開示しているとは違ったかと思うので、その機会はこれまでのあなたにはかなり不足していたものだったのかな…?と私は想像しています。
ここまでちょっと自信ありげな書き口で理屈っぽく述べてしまいましたが、あくまでこの経験談の情報の中で、私という一人の不完全な人間が読み取ったものを書いただけなので、どこまで妥当かは不確かです。そこはあなたが好きに判断してもらえたらと思います。
一人で考えすぎるのは大変なので、またよかったら死にトリを使ってくださいね。