経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
元来、自分の気持ちを表現することが苦手だった。
自分の核心を、一番深いところを他人に打ち明けるのを避けてきた。
どうせ、言ってもまともに聞いて貰えない。
引かれたくない。
理由は色々あるけど、つまるところ面倒だった。
いつからか、人を信用できなくなった。
きっかけは小学生時代、それはそれは色々な人に騙され裏切られたこと。
守ってくれると信頼していた大人にさえ。
それからと言うもの、「裏切られるくらいなら、最初から期待しない方がマシ」と思う様になった。
今だってそう信じている、それなのに。
「愛されたい」「認められたい」とかいう願いが消えることはなかった。
中途半端に地頭がいいことを恨んだ。
期待されたくなんてないのに、期待させてしまう。
「得意」と「好き」は違うのに、「得意」=「好き」と勝手に思われる。
落ちぶれたくはない。
だけど、努力はしたくない。
どうせ何も変わらないと思ってるから。
人付き合いは基本的に苦手だし、できるだけ一人でいたい。
ずっと部屋に篭ってベッドに潜っていたい。
未来に希望なんて見出せない。
自分が将来社会人になってまともに働いている姿が全く想像できない。
勝手にストレス溜めて、そのはけ口も見つからないまま自殺か過労死するのがオチだとすら思ってる。
死ぬのは怖いけど、生きていたくなんかない。
人生なんてものは最悪だった。
あぁ、明日の朝なんて来なければいいのに。
何回そう思っただろう。
ずっと、ずっと死にたかった。
感想1
読みました。諦めの気持ちを強く感じる文章でしたが、どこか自分を客観的に見ているような印象も私は受けました。色々な人に騙され裏切られた経験があるとあったので、そこから一歩引いて物事を見るようになったのかな…とか、期待させたくないのに期待されるという周りとの温度差があれば、必然的に客観視することになるよな…とか、そんなことを想像しました。
客観的であることは時に長所になりますが、自分の感情を表現するのに時間がかかりやすい、という短所(健康に生きるためには一つのリスク要素)にもなるように私は思っています。経験談からは、本当は何か大声で怒りたいのではないか、何か叫びたいのではないか・・・といった、行き場のない感情の気配を私は勝手ながら感じたりもしました。(的外れだったらごめんなさい)
また、気持ちを表現することの得意・不得意は、聞いてくれるだろう相手がいるか否かの影響が一番大きいような気が私はします。本心を打ち明けるというのは、大きく傷つくかor回復するかのハイリスクハイリターンな賭けのようにも私は感じていて、賭けに出るためにはエネルギーも随分必要に感じます。
だから、あなたの「面倒だった」という表現には確かにそうかもなと思ったとともに、周りの大人があなたにそう思わせてしまったのではないか…とも私は思いました。
その中で、明日の朝なんて来なければいいのに、と思うのは心からの本音だと私は感じました。そして、それは「私は明日が来てほしくないような環境にいるんだ」という事実を訴えてるということだとも私は受け取っています。
またよかったら死にトリに声を届けてください。
感想1
読みました。諦めの気持ちを強く感じる文章でしたが、どこか自分を客観的に見ているような印象も私は受けました。色々な人に騙され裏切られた経験があるとあったので、そこから一歩引いて物事を見るようになったのかな…とか、期待させたくないのに期待されるという周りとの温度差があれば、必然的に客観視することになるよな…とか、そんなことを想像しました。
客観的であることは時に長所になりますが、自分の感情を表現するのに時間がかかりやすい、という短所(健康に生きるためには一つのリスク要素)にもなるように私は思っています。経験談からは、本当は何か大声で怒りたいのではないか、何か叫びたいのではないか・・・といった、行き場のない感情の気配を私は勝手ながら感じたりもしました。(的外れだったらごめんなさい)
また、気持ちを表現することの得意・不得意は、聞いてくれるだろう相手がいるか否かの影響が一番大きいような気が私はします。本心を打ち明けるというのは、大きく傷つくかor回復するかのハイリスクハイリターンな賭けのようにも私は感じていて、賭けに出るためにはエネルギーも随分必要に感じます。
だから、あなたの「面倒だった」という表現には確かにそうかもなと思ったとともに、周りの大人があなたにそう思わせてしまったのではないか…とも私は思いました。
その中で、明日の朝なんて来なければいいのに、と思うのは心からの本音だと私は感じました。そして、それは「私は明日が来てほしくないような環境にいるんだ」という事実を訴えてるということだとも私は受け取っています。
またよかったら死にトリに声を届けてください。