経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

暗い未来に絶望しか無い

子どもの頃は、大人になったら幸せになると信じて生きていきました。親が私に興味が無いのは私が悪いから家事をして良い子にさえしとければ、ご飯は食べられる。父はギャンブル、スナック通い、女、借金、生活費は渡さないし帰って来ない。母は、私が8歳から彼氏が居てずっと女の顔をしている、父が生活費を五万しか渡さないぶん、昼夜働いてた母は支えてくれましたが私が18歳で男性の所に。同じ年に同じ立場になったのに母は理解ができません。良い家庭を作りたく20歳で結婚したけど、彼氏の頃からDV、旦那父と弟と同居で家事は全て私で赤ちゃんを育て妊婦でも10キロの米を買わされて、やっと別居できたら末っ子3ヶ月でまだ母乳、悪露があるのに、スナック、コンパニオンをしてお金を稼げと、、。昼のパートに出ても、こんな少ないと馬鹿されて、時間や金額増えても暴力、暴言はずっと変わりませんでした。おじさん達に触れたくなく、犯されそうにもなり、それでも心配しない旦那に苦しくなり病んで29歳でODをしました。母に見つかり気が着いたら病院でした。それからは何年かして昼夜働き過ぎて病気になり働けずお金を稼ぐ価値が無くなったので、先週、47歳で自殺未遂をしました。失敗でした。旦那には、その場を見て死にたかったから、したんやろ。何のアピール??何がしたいん?って言われました。子どももどんどん旦那に似ている、、私の子育ては失敗で、そもそも子どもを産んだらあかん人間なんです。逃げるか死ぬかなんです。子どもの頃も死にたかったけど、大人になっても一緒でした。

感想1

私も、「私は大人になったら幸せになれる」と思っていた一人です。そこに更に言葉を加えるなら、「だから今は耐えなきゃ」だったのですが、もしかしたらあなたもそうだったりしたかなと考えながら、この感想を書いています。
"生きていきました"と冒頭にありましたが、"生き抜いてきた"のように私は感じました。子どもの頃の生活環境、そして結婚してからの環境ともに壮絶さが伝わってきています。でもそうやって、私がそのような言葉だけで表現していいものではない気がしたのと、壮絶という言葉だけでは表せない苦しみがたくさんあったことも、同時に深く考えています。支えてくれていたけれど、「女の顔」をしている母の一文が印象的でした。きっとあなたには忘れられないシーンの一つとして濃く焼き付いている表情だったのだと想像しています。妊娠中の出来事や、無理な状態で仕事をさせられたり、暴力暴言、そして馬鹿にされたこと…読みながら、あなたに対してこのような事をしてきた人達に(子どもの頃のことも含め)とても憤りを感じています。ここには書かれていないような苦しみや、あなたが恐ろしさを感じる場面も幾度となくあったのではないかと考えていますし、その度に死がちらつきながら、やっとの思いでなんとかやり過ごしてきたあなたがそこにいることを感じました。ODという形でも現れた生きづらさに対して、まるでその出来事が無かったかのようにまたつらい日常に戻されてしまったこと、あなたの家族に対してもですが、そうやって、苦しんでいる人をまたその場に戻させる社会への怒りも私は感じています。
この経験談の中には、あなたの過去と今の苦しみが詰まっていて、そしてそれを振り返った時に引っ張られるように連想してしまう未来についても、怯えながら怖がりながら、でもどこか客観視しているあなたもいて、やや諦めもありながら書き出したものに私は感じました。また、今もあなたが心から安心できる環境にいないことを考えています。もしかしたら既に利用されているかもしれませんが、お住まいの地域の女性相談センターや保健所・保健センター・DV相談ナビやネット上でのSNS相談、電話相談の利用も、逃げるか死ぬか以外に今考えられる一つの方法としてあるかもしれない…と私は思いました。でも、いつでもここにきて書き込んだり、またあなたのことを教えてもらいたい気持ちです。投稿ありがとうございます。

感想2

語り尽くせないほどの理不尽な出来事や苦しい感情に反して、事実が淡々と並べられた部分の多いのが印象的な経験談でした。でもその分、しっかりと重みを受け取りたくて、行間に思いを馳せながら読みました。
死を行動に移そうと思ったときの心境はどんなものだったのか、先週未遂をしたところから、経験談を送るまでの心の流れはどういうものだったのか・・・。これまで人生をこのように振り返ったことや、どこかに表現する機会はあったのだろうか。そんなことを、どういうものだったのかの想像は浮かんでいないのですが、聞いてみたいと思いました。
どこがつらさのピークとも言えないようなつらいことの多い人生に、何か私が勝手に解釈するのはおこがましいですが、自分の人生というものを振り返って立ち止まるところには、47年経ってやっとたどり着いたのかもしれない…と私は感じました。これまではとにかく自己犠牲と努力の中を生きてきたかと思いますし、それが出来なくなったからといって、楽になれるとか前に進んだとかいう甘い話だと思っているわけではありません。ただ、この経験談を書いたことは、もしかしたら初めてあなたが自分のためにやった行為なのでは…?と想像すると、これまでのあなたの人生の重みを感じられるような気が、私はしたという感じです。
子育てについて自分を責める言葉がありましたが、私は子育ての責任は、あなたが感じなくてもいいんだよ・・・と言いたくなりました。子育ては社会全体でやるべきことだと私は思いますし、子育ての責任を親に求めるにしても、親(といっても一人の人間です)へのサポートが必要だと思います。少なくともあなたは、ずっと目の前の理不尽に追われながら懸命に生きてきたと私は感じるし、その結果に正解や間違いを求めず、全部全力の積み重ねだった、という点をとにかく労いたい気持ちです。経験談の投稿、ありがとうございました。

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