経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

電池切れ

大学院で院生をしています。コロナ禍の中で大学に進学し、交流もなくただ流れるように過ごしてきた中である学問に興味を持ちました。

個人的に色々学んだり、卒論の合間をぬって院試の勉強をして期待に溢れる中で進学した研究室で起こりました。

元々、容量が悪いのは分かってたんです。
それでも自分でできないところは努力の量で補ってなんとか喰らいつこうと頑張ってきました。でも教授からは「きみのいいたいことは全然分からない。才能ないね。」「このペースだと10年かかっても卒業できない」「実力社会の企業ならもうクビ」などと相手の言い分が正しいことも分かるのですが、パワハラまがいの言葉を文面でも対面でも言われて、実質的な研究指導はされず、気付いたときには自然に涙が流れ、同じ空間にいるだけで頭痛や腹痛に悩まされてきました。頭痛薬を毎日のんでる一方で、このことを知らない教授からは「この薬はいくら飲んでもいい」なんて言われててODも一瞬考えました。研究指導は教授からも先輩からもなく、自分で考えて進めるだけ。ただ分からなくて期限ギリギリに進めてると先輩から「心入れ替えてしっかりやって」などを言われ、同期にはこの悩みを共感してもらえず。毎朝の電車で揺られる中で涙を流し、ラボにいても止まらなくて、帰りの電車でも涙が出て。そんな状況の中、家族に過呼吸になりながら研究を進めている姿をみられ精神科の受診及び休学に至りました。

ラボに行かなくなってから誰からも連絡はなく、人間関係はドライ、教授はパワハラ気質なくせにホームページにはアットホームと宣伝してなんなんだと思ってしまいます。明日になったら死んでないかな、と思いながらただ時間だけが過ぎていきます。本当に死のうと行動を起こせるわけじゃないけど、なんとなく死にたいなと日々思い消えたくなります。休学した関係で留年し、就活やラボ変えなどやることは沢山あるのですが全部が億劫で、もうどうでもいいやという気持ちにもなりつつあります。

何を希望に生きていけばよいでしょうか。何も考えたくないのに頭では色んなことがグルグルして消えたくなります。

感想1

投稿ありがとうございます。

投稿者さんがラボで晒された緊張感や痛み、登下校時に泣いているときの感情を、自分の心に投影するような気持ちで読ませていただきました。読めば読むほど、言葉として消化しきれない悲しみや苦しみが文章から滲んでいるようにも感じます。
休学までの間は、毎日自分を切り詰めていく時間だったのだろうなと思います。自分で考えるしかない時間、自分で考えたことすらも否定・非難される時間、その中で手探りでも成果を提出しなければいけない時間…いくらなんでもキャパオーバーというか、疲れ果ててしまうのも無理はないと感じますし、全部億劫になるのも当然だよなあと(理不尽を投げ出さずに耐え続けた反動なのかなと捉えています)。

先生と言われる立場の人の鋭い言葉は、「指導」や「教育」という文脈でいっしょくたに処理されることが多いですが、投稿者さんが受けたものは全くそれとは異なるものであるように感じられました。研究内容や投稿者さんの考えていることなど含めた「その時点」での成果や現状に対する言及ではなく、「これから先」のその人の努力や姿勢すらも否定するような発言だと受け取れるように思うからです。
そして、教授や先輩の言葉がきついのは言わずもがなですが、同じ立場であるはずの同期にすら共感を得られなかったことが、より一層投稿者さんを追い詰めた部分もあったのかなと感じました。

私が経験談全体を読んで特に感じ取ったことは「悔しさ」「納得がいかない」という感情でした。それが自分の興味と努力が打ち砕かれたことに対してか、教授や先輩の言葉に対してか、それ以外か全部ひっくるめてか分かりませんが、「どうしてこうなったのか」「どうしてあんな思いをしなければいけなかったのか?」という悔しさがすごく強いのかなと想像しました(勝手な想像なので、全然違ったらすみません)。
心は疲れていて休みたいのに休めない、思考だけがぐるぐるとまわってしまうときには、感受性の行き場が失われているというか、理性が感情を押さえつけているときでもあるのかな…と私は感じるときがあります。もしかすると、投稿者さんの中にはたくさんの「どうして」が溜まって吐き出せなくなっているのかもしれない、と思いました。

ぐるぐるとした頭と心の内を、よければまた死にトリに置きに来てもらえたらいいなと感じています。

感想2

投稿ありがとうございます。
コロナ禍での進学と学生生活は不便も多く、とても大変だったのではないだろうかと想像します。まずはその日々を労いたいなと思いました。そして私も大学院に進学したことがあるので、あなたがどんな学問に興味を持ったのか、どんなきっかけでその学問と出会いどのあたりに興味を持ったのかが気になり、いつか聞いてみたい気持ちになりました。

投稿を読んでいると、私が院生だった頃に耳にした言葉が蘇ってきました。
「あの教授は厳しいからね…みんな一度は泣かされるみたいだよ」
「研究室って師弟関係だから、言うことを聞かなきゃいけないところがあるんだよね」
書いていてぞっとしますが、進学当時、当たり前かのようにこう話す人たちがいたなと思い出しています。私はそれらの言葉に違和感を覚えていたのですが、あなたの投稿を読んでその理由がやっとわかった気がしました。というのは、教授と学生の間には明確な権力差があるのに、その力を教授側が乱用しても「厳しいから」「師匠だから」仕方ないとしてしまう・できてしまうこと、そういう「研究」や「教育」の業界(空間)に違和感を抱いていたのだなと思ったのです。今から何年も前の話なのですが、その頃と変わらない、むしろもっとひどい状況(環境)にあなたが立たされていることに私は深く胸を痛め、変わってないことへの怒りの気持ちも湧いてきました。
あなたは教授の言動を「パワハラまがい」と書いていますが、私には「まがい」ではなく明らかな「パワハラ」のように思えます(正確には「アカハラ」と言うそうですね)。そして「先輩」や「同期」の様子から、その「アカハラ」体質は学内にまで浸透してしまっているのかもしれない…とまで思えたので、そんな空間にいてあなたが傷つき涙を流すことはとても自然なことだと感じました。あなたの反応はその体質に浸透されず、まっとうな感覚を持ち続けようと抵抗している証にも思え、休学の選択を勝手ながら支持したい気持ちにもなっています。
今後のことはゆっくり静養しながら考えられたらいいな…と感じますが、私の周りには院生として在籍していられるぎりぎりまで留年していた人などもいて、様々だったと共有させていただきたいなと思いました。あなたが無理のないペースで過ごせるようにと願い、陰ながら応援していることをお伝えして感想としたいと思います。またよければ書きに来てください。

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