経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

学生時代から嫌がらせをうけ、同級生には狭い場所に入れられ閉所恐怖症の私が泣くのを笑われたり、言いがかりをつけられお金を払わされたり、他にもキリがない程の仕打ちを受けました。社会にでても馬鹿にされ罵倒され鬱になり十数年経ちました。今でも嫌な記憶が消えず、なんとも言えない憂鬱な気持ちになり、苦しんでいます。鬱になった頃は希死念慮が強く、死にたくなり、死のうとしても死ぬ度胸がなく止めたりでした。17年経っても希死念慮は残っています。鬱以降仕事にもつけず恋愛も結婚もなく中年になってしまいました。自分の人生何なのだろうと思いながらなんとか生きています。

感想1

投稿読みました。過去に受けた理不尽な扱いや、繰り返される心の傷、それらは年月が経っても決して簡単に癒えるものではないのだと、改めて思い知らされています。学生時代のいじめというのは、たとえ子ども同士の出来事であったとしても、その影響は大人になっても深く残り続けるものだと私自身も経験をして思うことです。
社会に出てからも人間関係において再び理不尽にさらされる経験を重ねてこられたとのことで、人間不信の気持ちや、常に自分が攻撃される立場に置かれているような感覚は、容易には消えないのだろうと推測します。しかもそれが十年以上の長きにわたり、なおかつ病とともに生活する日々であれば、ふとした瞬間に“もう終わりにしたい”と思うこともあるのではないでしょうか。(違っていたらすみません)
「仕事にもつけず恋愛にも結婚もなく中年になってしまいました」という一文には、自責や諦念が込められているように感じますが、本来、仕事も恋愛も、“人生の正解”ではないはずだと私は思います。ですが、社会は「普通」という無言の基準を押し付け、それに当てはまらない人を劣っているかのように扱いがちです。そうした偏った価値観の中で、何もない人生だったと思わされてしまうこと自体が、現代社会の抱える深刻な課題だと私は感じています。あなたの文章からは、心が壊れてしまいそうな瞬間を何度も超えて、確かに生きてきた日々が伝わってきます。それは決して無意味なことではなく、むしろこの生きづらい社会を反映するひとつのかたちとして、意味のあるものだと私は思いました。(そんなこと言われたところでと思わせてしまうかもしれませんが…)
苦しみは、時間が経てば必ずしも癒えるという類のものではないと思います。それでもこうして思いを言葉にするという行為は、きっと心のどこかで「誰かにわかってほしい、自分を知ってほしい」という願いの表れでもあるのではないかと私は思いました。短く綴られた文章ではありましたが、社会の中にある鈍感さや冷たさに目を向け直すきっかけをもらったように感じています。長々と書いてしまいましたが、死にトリがあなたにとって役に立つようでしたらまたいつでも訪れてほしいです。

感想2

あなたの受けてきた嫌がらせを読んで、胸がきゅっと締め付けられるような感覚になります。書かれていることはどれもあなたを一人の人間として軽んじている、目に余る行為だと私は思います。個人的には、表に出した感情すらもあざ笑われてしまう、そういった経験が積み重なることで、投稿者さんはやり場のない思いを強制的に抱えさせられてしまったという側面がある気がしていて、「鬱」という漢字一字のタイトルには、そのやり場のなかった思いが凝縮されているのかなと、勝手ながら想像しています。
嫌な記憶が残り続けている中で、「自分の人生何なのだろう」と感じておられるということに、あなたの切実な思いが込められているような気がしています。実は私も、自分の人生って何だろう?ってちょくちょく考えています。そして、考えた末いつも、この問いには答えがないんだろうな…という結論に至り、なんだか感傷的になるという過程を何度も繰り返してきました。
ただ、この経験談を読ませてもらうことによって気付けたことがあります。それは、「私は人生に意味を欲しているのかもしれない」ということです。自分の中で結論が出ている問いなのに、そのことを何度も考えてしまうわけですから、その結論を受け入れたくない自分がいるのだと思います。それはつまり、私は自分の人生に明確な答えが欲しい気持ちがあるということなんだと気付かされ、ハッとさせられました。
自分の人生が何なのか、その問いに私から答えを出すことはできませんが、答えがあってほしくなる気持ちや、明確な答えの出ない虚しさ、やるせなさみたいな感覚は私も覚えがあるので、あなたの思いに寄り添いたい気持ちに自然となったこと。同時に、疑問を抱きながらも生きているあなたを労いたい気持ちになったことを、最後に伝えさせてください。投稿ありがとうございました。

お返事

世の中には色々な事に追い詰められ、誰にも相談できず、自死を選ばずを得なくなった方沢山おられると思います。私は自死はしませんでしたが誰にも言わず、一人で抱えこみ、耐え続けた後、病気を発症してしまいましたが、今、私のような仕打ちを受け、辛いかたは、学生であっても、社会人であっても、誰かに打ち明けたり、今いる立場から逃げる選択をして、生きていて頂きたく願います。

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