経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
読んでくださりありがとうございます。
途中から、何を書きたいのか分からなくなってしまいました。
整理できていない頭では、生きづらさも生き方も分からないけど、怖くて死ねないなら楽しく生きたいのになぁ。何も知らないなぁと。けど、けど、ばかりの言い訳がましい話です。
私は母子家庭でふたり姉妹の長女です。
母はヒステリックな人(今は落ち着きました)で、子どもより仕事、恋人も絶えない人です。私からすると母は理解力が薄く、母である前に女、誰よりも自分が注目されていたい上に、都合の悪いことはぽんぽん記憶から抜け落ち、私だけが幼少期の暴力紛いの行動を覚えています。
私は保育園児の頃から朝から夜まで1人で留守番をすることが多くありました。
話が通じない、いつ激昂するか分からない母なので一人の時間はとても楽でした。
しかし、同時に寂しさもありました。幼心で家族の為に身を粉に働いてくれていることも分かっていましたので、そこに不服はありません。学校行事には必ず参加してくれました。人の子を褒める為に私を卑下し、私の“やめて”も聞いてくれませんでしたが。
悪く言えば、外面が良い人です。けれど、悪い人でもないのです。
当時、周りの親の年齢より、遥かに若い母は必死だった、のだと知っていますが。謝られたり、褒められた記憶はなく、バカし傷つけていい理由にはならないと、学生の時にこの人は不器用な人なんだと気づきましたが、水では流せない思い出のひとつです。
妹は私と違い、容姿に優れ愛嬌があり大人から可愛い可愛いと好かれる子でした。そこに妬みはありましたが、それよりも私は妹が大好きですから、私のような不憫な思いはさせたくないと、自分のことより妹を優先し、家庭を優先して過ごす学生時代。
母と妹が争えば、橋渡しし妹が母を嫌わないように、上手く立ち回っていました。
私は(やりたくはなかったが)習い事をさせてもらったり、新しい用具を買ってもらったり裕福では無いが、不憫さは全く感じません。
母の口から出るのはお金が足りないの言葉ばかりで、今も私の思考に尾を引いています。
母と妹に、妬ましさや憎しみ、劣等感を抱えながら、感謝と大好きの気持ち、知り得た事情があったので、よそ様から見ても仲良しだと言われる家族でしたし、こんなに仲良しな姉妹なかなか見ないと言われていました。
でもやっぱり、私の心は矛盾でいっぱいでしたが、それでいいと言い聞かせてきました。
私の生きづらさは、集団生活が苦手なこと。コミュニケーションが苦手なこと。1人が楽だし、人間関係の構築は難しいのに、友人が欲しいと高望み。欲深いこと。努力、継続ができないこと。精神的に弱いこと。普通でいられないこと。足るを知るができないこと。虐められた記憶やODをし入院した過去が足枷なこと。仕事を続けられないこと。今はほぼニートです。他にも書ききれないほどあります。
理由の根源は、自分に甘いからです。本当に最低な人間です。
苦手なことや出来ないことで私も周囲に迷惑をかけましたし、私よりも酷い虐めにあった方もいる。仕事を続けられないけれど、どうにか生活できているのは病気をし今は休職中の母への手当金のおかげ。
自分の辛さを棚に上げて、結局は私の方が周りに辛さを与えてるんです。私自身が迷惑の化身。
かと言って、行動できるほどの力はありません。変わりたいと口だけです。
妹も大変なことも多かったですが、無事、社会人になりました。アルバイトを掛け持ちしたり、人脈も広げ、一人暮らしをし自立しております。尊敬の一言です。
またけれどになりますが、私が貰えなかった愛情や満たされなかった物は、妹に私が注いできたんです。私のような想いをさせたくない一心で。
だから、私が実家に引きこもり、妹が自立できているのは私のおかげでもあるでしょ?なんて醜い自分が脳内に。
妹の親はお姉ちゃんみたいなものなんて言われ、その言葉に母も同意するほどです。
妹も母の料理より姉のご飯を食べてきたと口にします。余計に妹が普通で居られているのは、当たり前だと。最低なんです。私。お分かりでしょうけど。
母親からの愛情がいいに決まっていて、妹は妥協しながら、自分で努力してきたいい子なんですよ。なのに私は。
妹に苦労をかけたのは私なのに。私は不登校になって、自殺未遂もして、高校中退。その時期が来れば、妹は周囲にお姉ちゃんは進学するの?仕事は決まった?なんて聞かれて、どれだけ心地悪かったか。自殺未遂の現場に居合わせたのも妹です。そうやって、苦労をかけてきたくせに、妹を妬み嫉む気持ちが抑えられない。妹ばかり、真っ当な大人になることに焦ります。でも誰よりも妹の幸せを願ってるんです。一人暮らしで、日用品を買い出しに行ったと連絡が来て、涙ぐむほど感動しました。頑張っていて立派な妹を尊敬する気持ちと、どす黒い気持ちどちらも本心で、辛いです。
母は大きな病気をし、現在仕事はできておりません。親の臑を嚙るどころか、手当金まで齧っている自分が情けないんです。
母とそもそも人間としての相性が悪いんだと思うのですが、一緒にいるのは辛い。けれど、仕事ばかりの母が心身共に弱り、娘として私を扱ってくれることが嬉しいです。子ども扱い?というのでしょうか。
やっと親と子らしい時間が持てているんです。
親戚や母の友人、会社の方々口を揃えて私に言いました。「一人で頑張ってるお母さんの手伝いしてあげてね」「お母さんのために、頑張るのよ」「お母さん頑張ってるんだから、貴方がしっかりするのよ」「お母さんの為に、妹の面倒見るのよ」「妹ちゃん、可愛がるのよ」「妹ちゃんのお世話しっかりね」「あんたが頑張らないと」
洗脳されてたのかな、と今は思うほど。
母は太れない体質で、私より食べるのですが骨と皮のようなガリガリな人で、薬で太った私と対比し嫌味を言う大人もいました。
みんな口裏を合わせたかのように、母と妹を支えろと私に言いました。
貴方がしっかりね。といつしか、
・母には私と祖母と妹と友人や恋人がいる。
・祖母には母と私と妹がいて、祖父がいる。
・妹には母と私と祖母と友人と恋人と父がいる。
じゃあ、私には誰がいてくれるんだろうかと。
鬱になった時に、皆私を責めました。考え過ぎだの、大袈裟だの、自分の甘えだの、母が私に甘やかして育てすぎただの、本当に鬱の人はもっと辛い・こんなこと出来ない、他にも色々(打ちながら涙が出てくるので省略)
現在母が病気になり、鬱症状が出ています。
どうでしょうか?みんな母を心配し、優しい言葉のオンパレード。母は私に心配を求めてきます。なんなの?なんて人の心持たざる悪魔が顔を出して、首振って。
ええ。心から心配ですよ。気持ち分からなくないですから、私は今でも希死念慮に、過去の記憶に、生きづらさに苦しんでいます。優しくしますよ。だってあの辛さは異常ですから。治し方なんてないですから。その場しのぎ、だましだまし付き合っていく方法を探さないといけない様に私は思っているので。
私は貴方にかけられた、酷い言葉一つもかけませんよ。
虚しくなります。私、自分の意思で、周囲に言われた通り家族の為に、頑張ってきました。時には自分のことも犠牲にしました。けど、母も休日を犠牲にして精神科への通院してくれました。
けど、私は何も報われてない。何も認めて貰えてない。何も得られてない。残ってない。
時にはサンドバッグみたいに好き勝手言われて、当てつけられて、私には助けてなんて言わせてくれなかったくせに、周りは私に助けやら優しさやら心配やら色々求めてきて。
分かってるから、みんなにも事情があったことも、私の事自体が負担だったことも。求めてるもの、やれる限りあげるよ。虚しさ、悲しさ、辛さ苦しさが蓄積されていく自分の心は、誰にも言えなくて。醜いから、晒せるはずもなくて。
理想や将来展望を持っても、家族を優先しちゃう。そんな自分が正しいと思っている。
ある人が私に、「でもそれを選択してきたのは自分でしょ?」って言ったんです。
そうです。私が選んできた人生です。その他にどんな選択肢があったのか。教えてください。傷付けられても、治し方も知らないし、それにあった対処法も知らない。怪我して、どこに行ったらいいかも知らない。自分で無理にいじくって、どうにか今日になってるんです。
私は人のせいにしたくない。他力本願な生き方辞めたい。なのに、辞められない。恨みが消えてくれない。そんな自分が許せない。優しく清らかな人でありたいのに、ずっとむせ返るほどのもやが立ち込めて、自分の魂が汚く思える。家庭内に思いを馳せるだけでこんなに泣いてしまうのに、学校のこと、仕事のこと、人間関係と苦しさも悩みも尽きません。カウンセリングの時間で終わるわけが無くて、こんなうじうじ聞かされる、カウンセラーさんが可哀想で。
頭の中自分のことばかり。悲劇のヒロイン面して。
認められたい。愛されたい。必要とされたい。自立したい。お金を稼ぎたい。空っぽなまま歳だけを重ねたくない。優しい人になりたい。貰うだけじゃなくて、あげられる側になりたい。依存じゃなくて、支え合えるような、互いにいい影響をもたらせられるような友人になりたい。私と出会ってよかったと思ってもらえる、姿勢がいい自分になりたい。死ねないなら、自分で幸せになりたいのに。体力も気力も、ありません。焦りだけが毎日毎日募って、何かを削っていきなり、死ぬために準備して、血や脈が苦手な私は一旦冷静になって、どこまでも自分に甘くて、意思の弱い自分に号泣して。生きやすさってなんですか?みなさんどうやって、何を考えて、生きてますか?どうして何かを犠牲にして、仕事や学校に通うことができるんですか?自分が大事じゃないんですか?傷付いて、ああなるの怖くないんですか?責任持って生きていて、すごいです。自分の言葉を紡いで、誰かのせいにせず生きていてすごいです。このサイトを利用している苦しくても毎日、息してる皆さんすごいです。このサイトを作って運営してくださってる、画面の向こう側の皆さんは、優しさの塊です。私も目に涙浮かべている人に寄り添える、人間でありたかったです。やっぱり、死にたい。楽しく生きたい。けど、こわい。めんどうです。なにもかも。何が生きづらいんですかね。私。
匿名ならと、稚拙な文章を打ってみましたが、ただの醜く惨めな恥晒しですね。
まとまりのない文章ですが、ご容赦ください。
感想1
投稿ありがとうございます。
ここに書かれていることは、あなたにとって言葉にするのも難しい、また思い出すのもつらい経験(記憶)であることが伝わってきました。「何を書きたいのか分からなく」なりながらも、ここまで書いてくれたことに敬意を表し、大事に読ませていただいたとお伝えしたいです。
また、誤解を恐れずに書かせていただくと、この文章にはこどもの頃のあなたと、こどもなのに母であったあなた、そして、大人になった今のあなたの三人が(まぜこぜになって)いるように私には感じられました。「こどもの頃にはもうすでに大人・母になり、家族を守る役割を一身に背負わなければならなくて、自分のことを犠牲にしてきたのかなぁ…」と感じながら読んでいたのですが、「親戚や母の友人、会社の方々」があなたに伝えた言葉、それ以降を読んで、私の中でそれが確信に変わったような気がしたのです(違っていたら申し訳ないですが)。そんな風に見ると、「けどばかり」になるのはある意味で当然であり、あなたの「けど」は「言い訳」ではなく、言えなかった言葉を編み出す大事なキーワードなのではないかなと私は感じます。
あなたが生まれ育った環境、特に母親はあなたにとって安全や安心よりも、恐怖や寂しさ、不安や混乱をもたらしてきたのだろうなと感じました。「外面が良い」ことや「悪い人でもない」ことは、母親によってあなたが傷ついていることを周りから理解してもらいづらくし、同時に、あなたが耐えればいい(たとえば、いい子になればいいなど)とあなたに思わせて、より苦しかったのではないかな…と想像しています。
一方で、あなたが「若い母は必死だった」のだろうと見ているように、私としてもあなたの母親は様々な抑圧を受けて育ち、抑圧的な社会でなんとか生きてきたのではないかなとは想像しました。だからといって、そのことがあなたにしてきたことを肯定していいとは決してならない(「バカにし傷つけていい理由にはならない」に心から同意します)ので、あなたが「水では流せない」としていることを支持したい気持ちです。
また、妹さんはあなたにとって「大好き」な存在でありながら(「だけど」)、あなたには与えられなかった母親からの愛情をもらえる「妬み」の対象でもあるのだなと思いました。しかし、あなたはそうした「妬み」「憎しみ」「劣等感」などの気持ちよりも、妹さんと家庭を「優先して」過ごし、日々の不満や苦しみを必死に打ち消してきたのではないかなと想像します。周囲から「仲良し」と言われるほどだったのは、あなたがよっぽど身を削って「上手く立ち回る」ことに力を注いできた証のように私は感じています。そのことへ労いの言葉をかけたいと思いつつ、私としてはなぜ支援の手が差し伸べられず、あなたがそこまでしなければならなかったのだろうか…と歯がゆい気持ちになっています。「習い事」や「新しい用具」を買ってもらったエピソードは、「それでいい」と自身に言い聞かせるためのもののようにも思えたので、こうした表面上何気なく思える出来事・日々に、私は目を凝らせる人になりたいな…と思わされました。
そんな妹さんの今について、あなたが「無事、社会人になりました」や「日用品を買い出しに行ったと連絡が来て涙ぐむほど感動しました」と書いているところからは、こどもなのに母であったあなたの目線を感じました。これまで妹さんをそうした目線で見て、家庭を守ってきたのだろうと思います。しかしその目線にはあなたがこどもの頃の目線も含まれているはずなので、「私が貰えなかった」ものが見えるのも、「妬み嫉む気持ち」が出てくるのも当然だと私は思います。あなたはそれを思ってはいけない気持ちと認識しているように見えますが、私はそれらの気持ちを否定する必要は全くないと思っています。ただ、それらを否定しないといけなくなったのは周囲の言葉によってだろう…と思い、ひとりの大人として申し訳ない気持ちと、非常に歯がゆい気持ちになりました。。周囲からかけられた言葉は、社会にある「女性だから、長女・お姉ちゃんだから(支えないといけない)」といった理不尽な価値観が影響していると考えられ、母親さんの体質も相まってきっと善意から発せられたのだろうと私は感じます(だからこそ余計にやりきれないです…)。それらはあなたの気持ちを封じる言葉であり、私にはなぜあなた”だけ”に「面倒」や「お世話」が押し付けられないといけなかったのか、「じゃあ、あなたには誰がいてくれるんだろうか」と…怒りにも似た感情が湧いてきてしまいます。あなたの「鬱」のつらさが否定されたのも、その価値観が精神疾患に対する偏見や軽視する社会の価値観と掛け合わさって「母は病弱で可哀想な人であり、あなたは若く、長女なのだから鬱などと言わずに親に感謝して支えるべき」といった身勝手なストーリーが作られた結果のように私には見えました。あなたのつらさや気持ちがことごとく大事にされなかったことに、強く胸が締め付けられています。書きながら流れてきたあなたの「涙」は、当時あなたがあらゆる気持ちを無理矢理内側に抑えてきた表れ、正確には、抑えるしかなかった表れのように私には思え、あなたが「選んできた」よりもはるかに“選ばされる”ことが多かったのではないかなと感じます。なので私は「その他にどんな選択肢があったのか。教えてください」という言葉を、その通りだよな…としか思えず、真摯に受け止めたくなりました。
あなたの経験をたどっていくと、私にはつらさの原因を外に求めずにはいられないと感じるのですが、あなたは「人のせいにしたくない」と思っているのですね。あなたがそう思うのには様々な理由があるかと思いますが、勝手な想像をさせていただくと、あなたがあまりにも早く大人にならざるを得なかったために、大人とはこうあるべきという姿を幼い頃から植え付けられたこともあるのではないかなと私は考えました(全然違っていたらすみません)。あなたには俯瞰的に物事を見る力があるように私は感じていて(母親との関係を「人間としての相性が悪い」と考えるところや、周囲の言葉を「洗脳されてたのかと思う」と理解しているところなどから)それは早く大人になろうとしたことで身に着けた、あるいは、身に着けざるを得なかった力なのかな…と私は想像しています。そして「人のせいにしてはいけない」と考えるようになったのも、その過程で身につけざるを得なかった、あるべき大人の姿だったのかと想像を膨らませたのです。もし思い当たるところが少しでもあるならば、あなたが今抱えている「生きづらさの根源」は、あなたが「情けない」からとか、「甘え」「甘やかされ」てきたからといったことでは全くなく、支援のなさ・社会の側にあると私は思います。上記した周囲の言葉かけを含めて考えると、あなたの困難や苦しみの責任は社会にあると言えると思うので、「私(あなた)のせいではない」と、気持ちだけでも責任を社会に返還してもいいのではないかと私は思いました。
最後に、こどもの頃のあなたには、当時言いたかったことや言わせてもらえずにいたことを安全な場でいろいろな形で表現してみてほしいなと思い、こどもなのに母であったあなたには、十分過ぎるほど大人の役割を担ってきた(担わされてきた)と思うので、今からでもそのことにせめて労いの言葉をかけ、湧いてくる率直な思いを否定せずに感じてほしいなと思ったとお伝えしたいです。そして、今のあなたには、改めてここに書きに来てくれたことへのお礼と、私は読んでいて何も「情けない」と思わなかったこと、あなたの「不登校」や「自殺未遂」「高校中退」など、あなたの人生を必死に生きてきたことも聞きたいなと思ったとお伝えしたいなと感じました。またよければ書きに来てもらえたらと思います。
お返事
まとまりがない長文へ、あたたかい寄り添いをいただきまして、誠にありがとうございます。
このような場を提供してくださったことで、誰かが自分を知ってくれたという事実にまず救われました。もう家族以外と会話することが少なく、焦りだけが募る日々でして。
正直、感想を読むことがとても怖かったです。ビクビクしながら、否定・責められていないか自分の傷付く言葉はないか、家族が責められていないかすーるっと目を通すと、思いがけない言葉が並んでいて驚きました。私の書いた文をひとつひとつ受け止め、感じ、感想にしてくださったのだろうと想像し、涙が溢れました。
自分が悪い。けれど、他責にしてしまう自分。
そんな情けないものでしたので。怖かったのです。
感想1の方へ
私の選んだ言葉・表現を取り上げ、同じ言葉を使って感想を書いてくださっていたり、()で私への配慮をしてくださったり、言葉の向こう側を汲み取ろうとしてくださったのかな。そう思いました。そうできたらいいなぁ、そう思いたいな。と感じることが多く、“あなたの「けど」は「言い訳」ではなく、言えなかった言葉を編み出す大事なキーワードなのではないかなと私は感じます。”“「じゃあ、あなたには誰がいてくれるんだろうか」”
この言葉に特にとても救われました。
外と内で抱えていた矛盾を許して貰えたようで、自分に落ちてきたから。私も何度も思ったことだから。母に妹に祖母にあなたには私がいるけど、あなた達は別を見てる。恥ずかしくて嫌悪感すらあり、認めるのは嫌ですが、寂しくて虚しくてたまらなかったんだろうと当時の自分のほっぺに触れたくなりました。
他にも色々お伝えしたいことはありますが、また長文になってしまいそうですので、心苦しいですが心のからの「ありがとうございます」で締めさせていただきます。
今回は感想1様の心とお時間をかけてくださり、本当にありがとうございます。
感想2の方へ
納得が多いものでした。
マズローの五段階欲求を思い出し、土台がぐらぐらであったりスカスカなのかな私(満たされていない私の欲求)。上に積立てる想像もできないなぁ(社会の中で自立し生きていくこと)。安全の上に社会が成り立つイメージも持てない。
そして、他人優先だと何度か周囲の人に言われたことがあります。私にとっては当たり前のこと。むしろ気遣いが届かなかった、気づいても行動に移せなかったと反省する事も多い中、言われた時は納得いきませんでしたが、「この状況でこっちを選ばない自分はだめ」この言葉を噛み砕くと、確かに自分ではなく他を優先し、周囲を尊重し、気づけば自分の存在が軽く扱われているようで虚しくなったのでは?と。
甘えられなかった……どうでしょうか。そう言えてしまえれば楽ですが、楽は逃げのようで、苦しんでいないと許されないようで、結局行動できず金銭的に依存している今の私には空欄で提出です。感想2様の言葉はどこかで誰かに言われた覚えのあるものが多く、どう受け取ればいいのか困惑しています。しかし、責められている訳では無いと思えるので、不思議です。
あんなに長い文を2回も読んでくださりありがとうございます。ただ読むだけではなく、考えて読んでくださったこと、本当にありがとうございます。
おふたりとも、私の視点?が複数あるような似た記載があり、「感情」「思考」「現実/事実」「本音/気持ち」「正しさ/求められていること(正解)」など、分けて考えている自分が文章からバレていて、なんだか表現しづらいのですが、お会いしたわけではなく活字だけのコミュニケーション。しかも私はほぼ、一方通行の自分の思いのまま綴った下手な文章ですが、伝わるんだなと知りました。
当時に、私も伝わりたい、寄り添い受容できる人になりたいとより強く思いました。
月並みな言葉ではありますが、このようなサイトを運営し、文字に優しさを乗せ、ここまで送ってくださり、分かろうと前のめりになってくださり、ありがとうございます。
対話ではなく、文字で、マイペースでいられたからこそ、チャレンジすることができました。
苦しい日々、死にたくなる日々には終わりが見えませんが、不可抗力であって自分だけがダメではないのかもしれないと思えました。続くか分かりませんが。
本日はホットミルクを飲んだような、満足感が得られました。
サイトには何度もお世話になるかと思います。
優しさを配られている、画面の向こう側の皆さまにもご多幸がありますように。
今年も暑くなりそうですね。ご自愛くださいませ。
感想1
投稿ありがとうございます。
ここに書かれていることは、あなたにとって言葉にするのも難しい、また思い出すのもつらい経験(記憶)であることが伝わってきました。「何を書きたいのか分からなく」なりながらも、ここまで書いてくれたことに敬意を表し、大事に読ませていただいたとお伝えしたいです。
また、誤解を恐れずに書かせていただくと、この文章にはこどもの頃のあなたと、こどもなのに母であったあなた、そして、大人になった今のあなたの三人が(まぜこぜになって)いるように私には感じられました。「こどもの頃にはもうすでに大人・母になり、家族を守る役割を一身に背負わなければならなくて、自分のことを犠牲にしてきたのかなぁ…」と感じながら読んでいたのですが、「親戚や母の友人、会社の方々」があなたに伝えた言葉、それ以降を読んで、私の中でそれが確信に変わったような気がしたのです(違っていたら申し訳ないですが)。そんな風に見ると、「けどばかり」になるのはある意味で当然であり、あなたの「けど」は「言い訳」ではなく、言えなかった言葉を編み出す大事なキーワードなのではないかなと私は感じます。
あなたが生まれ育った環境、特に母親はあなたにとって安全や安心よりも、恐怖や寂しさ、不安や混乱をもたらしてきたのだろうなと感じました。「外面が良い」ことや「悪い人でもない」ことは、母親によってあなたが傷ついていることを周りから理解してもらいづらくし、同時に、あなたが耐えればいい(たとえば、いい子になればいいなど)とあなたに思わせて、より苦しかったのではないかな…と想像しています。
一方で、あなたが「若い母は必死だった」のだろうと見ているように、私としてもあなたの母親は様々な抑圧を受けて育ち、抑圧的な社会でなんとか生きてきたのではないかなとは想像しました。だからといって、そのことがあなたにしてきたことを肯定していいとは決してならない(「バカにし傷つけていい理由にはならない」に心から同意します)ので、あなたが「水では流せない」としていることを支持したい気持ちです。
また、妹さんはあなたにとって「大好き」な存在でありながら(「だけど」)、あなたには与えられなかった母親からの愛情をもらえる「妬み」の対象でもあるのだなと思いました。しかし、あなたはそうした「妬み」「憎しみ」「劣等感」などの気持ちよりも、妹さんと家庭を「優先して」過ごし、日々の不満や苦しみを必死に打ち消してきたのではないかなと想像します。周囲から「仲良し」と言われるほどだったのは、あなたがよっぽど身を削って「上手く立ち回る」ことに力を注いできた証のように私は感じています。そのことへ労いの言葉をかけたいと思いつつ、私としてはなぜ支援の手が差し伸べられず、あなたがそこまでしなければならなかったのだろうか…と歯がゆい気持ちになっています。「習い事」や「新しい用具」を買ってもらったエピソードは、「それでいい」と自身に言い聞かせるためのもののようにも思えたので、こうした表面上何気なく思える出来事・日々に、私は目を凝らせる人になりたいな…と思わされました。
そんな妹さんの今について、あなたが「無事、社会人になりました」や「日用品を買い出しに行ったと連絡が来て涙ぐむほど感動しました」と書いているところからは、こどもなのに母であったあなたの目線を感じました。これまで妹さんをそうした目線で見て、家庭を守ってきたのだろうと思います。しかしその目線にはあなたがこどもの頃の目線も含まれているはずなので、「私が貰えなかった」ものが見えるのも、「妬み嫉む気持ち」が出てくるのも当然だと私は思います。あなたはそれを思ってはいけない気持ちと認識しているように見えますが、私はそれらの気持ちを否定する必要は全くないと思っています。ただ、それらを否定しないといけなくなったのは周囲の言葉によってだろう…と思い、ひとりの大人として申し訳ない気持ちと、非常に歯がゆい気持ちになりました。。周囲からかけられた言葉は、社会にある「女性だから、長女・お姉ちゃんだから(支えないといけない)」といった理不尽な価値観が影響していると考えられ、母親さんの体質も相まってきっと善意から発せられたのだろうと私は感じます(だからこそ余計にやりきれないです…)。それらはあなたの気持ちを封じる言葉であり、私にはなぜあなた”だけ”に「面倒」や「お世話」が押し付けられないといけなかったのか、「じゃあ、あなたには誰がいてくれるんだろうか」と…怒りにも似た感情が湧いてきてしまいます。あなたの「鬱」のつらさが否定されたのも、その価値観が精神疾患に対する偏見や軽視する社会の価値観と掛け合わさって「母は病弱で可哀想な人であり、あなたは若く、長女なのだから鬱などと言わずに親に感謝して支えるべき」といった身勝手なストーリーが作られた結果のように私には見えました。あなたのつらさや気持ちがことごとく大事にされなかったことに、強く胸が締め付けられています。書きながら流れてきたあなたの「涙」は、当時あなたがあらゆる気持ちを無理矢理内側に抑えてきた表れ、正確には、抑えるしかなかった表れのように私には思え、あなたが「選んできた」よりもはるかに“選ばされる”ことが多かったのではないかなと感じます。なので私は「その他にどんな選択肢があったのか。教えてください」という言葉を、その通りだよな…としか思えず、真摯に受け止めたくなりました。
あなたの経験をたどっていくと、私にはつらさの原因を外に求めずにはいられないと感じるのですが、あなたは「人のせいにしたくない」と思っているのですね。あなたがそう思うのには様々な理由があるかと思いますが、勝手な想像をさせていただくと、あなたがあまりにも早く大人にならざるを得なかったために、大人とはこうあるべきという姿を幼い頃から植え付けられたこともあるのではないかなと私は考えました(全然違っていたらすみません)。あなたには俯瞰的に物事を見る力があるように私は感じていて(母親との関係を「人間としての相性が悪い」と考えるところや、周囲の言葉を「洗脳されてたのかと思う」と理解しているところなどから)それは早く大人になろうとしたことで身に着けた、あるいは、身に着けざるを得なかった力なのかな…と私は想像しています。そして「人のせいにしてはいけない」と考えるようになったのも、その過程で身につけざるを得なかった、あるべき大人の姿だったのかと想像を膨らませたのです。もし思い当たるところが少しでもあるならば、あなたが今抱えている「生きづらさの根源」は、あなたが「情けない」からとか、「甘え」「甘やかされ」てきたからといったことでは全くなく、支援のなさ・社会の側にあると私は思います。上記した周囲の言葉かけを含めて考えると、あなたの困難や苦しみの責任は社会にあると言えると思うので、「私(あなた)のせいではない」と、気持ちだけでも責任を社会に返還してもいいのではないかと私は思いました。
最後に、こどもの頃のあなたには、当時言いたかったことや言わせてもらえずにいたことを安全な場でいろいろな形で表現してみてほしいなと思い、こどもなのに母であったあなたには、十分過ぎるほど大人の役割を担ってきた(担わされてきた)と思うので、今からでもそのことにせめて労いの言葉をかけ、湧いてくる率直な思いを否定せずに感じてほしいなと思ったとお伝えしたいです。そして、今のあなたには、改めてここに書きに来てくれたことへのお礼と、私は読んでいて何も「情けない」と思わなかったこと、あなたの「不登校」や「自殺未遂」「高校中退」など、あなたの人生を必死に生きてきたことも聞きたいなと思ったとお伝えしたいなと感じました。またよければ書きに来てもらえたらと思います。