経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
私は、双極症という病気を10代の頃から持っていて、現在40代の精神障害者です
兄弟はなく一人っ子です
3年前に父を難病で亡くし、それ以降、元来情緒が不安定だった母の情緒がさらに不安定になりました
そして2年前の夏、母が一人で外を歩くとって外出して、転倒
骨折などはなかったのですが、突然、外を歩けなくなりました
あわてた私は地域包括支援センターへ連絡
何とか母を地域包括支援センターへつなぎました
そうこうしているうちにコロナの家庭内感染
母の情緒は限界に達して、一線を越えるかと思いました
その後、母の介護認定が何とか下りて、母と地域包括支援センターと3者で話し合い
母に老人ホームに入ってもらうことを決断
幸いにも父が一定のお金を遺してくれました
そして母は老人ホームへ
一人で生活する能力のない私はお世話になっている福祉団体の障害者向けグループホームへ入居しました
これでうまくいっている
と思っていました
元々、私自身も社会との接点が少なくお世話になっている福祉団体も「障害」のことしか分かりません
母の入っている老人ホームの情報があまりにも少なかったのです
言ってしまえば介護保険の点数が施設にすべて使われて身動きが取れない状況になってしまいました
通院も基本的には家族が連れて行くことになってしまいました
また契約をきちんと確認していなかった私も悪いのですが、虐待を感じさせる面もあります
私が言いたいことは障害者(に限らず)が親の介護をする時に社会との接点の少なさから情報が限られる場面があります
高齢福祉、障害福祉などを区別することなく、垣根を越えてほしいです
面会に行くたびにやつれて行く、母を見るのはつらい
感想2
経験談への投稿ありがとうございます。ご兄弟など頼れる人がいない中、ご自身の障害のことに加え、ご両親のサポートはとても負担の大きかったことだろうと思いながら読ませていただきました。
個人的に障害を持ちながら家族の介護をするということは、調子がいい時、悪い時というように自分自身のことですら相当振り回される状況で、疲れてしまうことも多いのではないかと想像したので、ただでさえ、色々手間もかかり、根気を要するだろう父親の葬儀や母の情緒不安定さ、転倒後の地域包括支援センターの連携、老人ホームへの入所手続き等は、一層大変だっただろうと思いました。
そんな中での、母親の老人ホームの入所の決定…。やっとの思いでたどりついたことだったと思うので、投稿者さんにとっても「一線を越えなくて済む、やっと安心できる、これで大丈夫だ」と思われたのではないかなと思いました。(私の立場に置き換えて考えても同じように思うだろうと思います。)
しかし、現実はまだまだ投稿者さんへの負担は大きく、母親も施設で虐待を受けているように感じるし、母親は日に日にやつれていっているように見える…。老人ホームへの入所までかなりの時間と労力を使い果たし、希望をもっていたからこそ、落胆する気持ちや母に対する罪悪感、後悔などの気持ちも大きかったのではないかと思いました。
個人的には、今回の件で投稿者さんも自分を責めておられる部分もありましたが、現実的に考えて、老人ホームへの入所は、投稿者さん的にも、投稿者さんの母親的にも、切羽つまった状況だったと思うので、そんなに詳細を見る余裕はなかったのは当然のように思えました。そして、コロナ禍では特に入所系の施設や病院などは、外部のものが簡単に立ち入ることが出来ず、情報を得る機会はだいぶ制限されていたように思えたので、老人ホームについて情報を得るのも決して簡単ではなかった、それがむしろコロナ禍では特に一般的になってしまっていたのではないかと思いました。その他にも、コロナ禍の弊害として外部のものに見えないからこそ、事業所側のサービスの質が落ち、利用者、または利用者家族に不利益を生じることはあったのではないかと思いました。
とにかくなにが言いたいかというと、今回の老人ホームの入所の件に関しては、投稿者さんがやれる事は十分にやったのではないかと思わずにはいられなかったということでした。
最後になりますが、今ご自身で抱えられている老人ホームの違和感から、母親のことを踏まえると、「今からでも老人ホームを変えた方がいいのか」「母親のためにもっと〇〇したほうがいいのか」「いや、もうそれほどの体力やお金もない」というふうに葛藤され、すぐ母親のために踏み切れない自分に罪悪感を抱いている部分もあるかもしれません…。個人的には、投稿者さんの経験談を読んで、投稿者さんの自身の生活、人生もあるし、今までも最大限に母親と関わってきたのではないかと思ったので、母親のこととはいえ、何かまたアクションを起こすことに対して私自身は安易に勧めたくはないな…という気持ちになりました。
改めて、経験談への投稿ありがとうございました。
お返事
メッセージ、ありがとうございます
やはり母親の人生までは背負えない、自分の人生を大切にしなければいけない、と頭では分かっていても、それができない自分がいます
それはもう少し、時間がかかる作業なのかもしれません
感想1
投稿読ませていただきました。ご自身の病気と向き合いながら、家族の介護という重い責任を担ってきた道のりの苦悩が切実に伝わってきました。誰もが“家族のことだから”と言葉にしがちですが、実際の介護の現場にあるのは、体力的・精神的な負担だけでなく、制度と現実の間にある見えない壁の数々だと感じています。その壁にぶつかりながらも、必死にできることを探し、動かれてきたあなたの姿勢に、私はまず労いの言葉を送りたくなりました。
特に、障がい福祉と高齢福祉の間にある分断に触れられていたことが印象的で、社会は“支援”という言葉を掲げてはいますが、その支援が本当に必要な人の元に届くためには、あまりにも多くの知識と交渉と、そして根気が求められるのが現実です。しかも、その“知識”や“交渉力”は、社会と接点の少ない人には容易に手に入れられるものではありません。情報格差の中に取り残されていく現実が、あなたの経験の中にはっきりと表れていて、それがどれほど理不尽なことかを痛感しました。
お母さんが外出中に転倒し突然歩けなくなった時は、その不意打ちのような出来事にどれほどの衝撃があったか、読みながら胸が詰まる思いでした。きっと“これからどうなるんだろう”と、目の前が一気に見えなくなったのではないでしょうか。それでも、すぐに地域包括支援センターに連絡をとり、支援に繋げたという行動は、本当に迅速で、かつご自身の体調も不安定な中でよくぞ踏み出されたと思います。その中に“家族を守らなければ”という切実な思いと、諦めない強さがあったのではないかなと想像しています。
ただ、お母さんを守りながらも、ご自身の生活や心がどこか置いてきぼりにされているような、そんな印象も残りました。特に、お母さんが入所された老人ホームでの様子に違和感を持ちながらも、簡単には動けないという状況には、制度の冷たさや、契約の複雑さに翻弄される利用者側の立場の弱さが表れているように私は感じました。高齢者施設と精神障がい者支援とでは、制度も担当者も分かれていて、それぞれの「縦割り」の中で利用者本人とその家族が振り回されてしまう…こういった構造そのものが、今の福祉の大きな課題だということも改めて考えさせられました。
面会のたびにやつれていくお母さんの姿を前にする時間は、心を削るような感覚もあるのかもしれません。「つらい」という言葉だけでは足りないものかとも思います。
あなたのように、障がいを抱えながら親の介護を担う人は、きっと表にはそう見えてこないだけで、たくさんいるのだと思います。でも今の社会では、そういった複雑な立場の人たちが声を上げる場がなく、また支援が届きにくい構造になっているのが大きな課題だと思いました。障がいか、高齢か、子育てか、という区切りではなく、“誰が、どんな背景を持っていても支援を受けられる”ような仕組みが、この社会には必要なことなのだと私も思っています。ご自身を責めるような言葉もありましたが、ここまで生き抜いてこられたこと、それだけでもどれほどの葛藤や困難を乗り越えてこられたのかを思うと、敬意の念を抱かずにはいられません。決して簡単な道ではなかったはずなのに、できることをひとつひとつ実行してきた歩みが、しっかりと文章から伝わってきました。
どうか少しでも、あなたが安心できる場や人との繋がりがこの先増えていくようにと、心から願っています。気持ちをこうして言葉にすることで多少でも心が軽くなるようでしたら、いつでも死にトリを活用してほしいです。投稿ありがとうございました。