経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

生きてないといけない

ボクは今年高校生になります。悩みはじめたのは中3の冬で受験直前くらいでした。拙い文章ですが読んでちょっとでもこんな人もいるんだ程度に思ってもらえたら嬉しいです。ボクの持っている悩みは自分の性のことについてです。ボクはXジェンダーの不定性といって時期や時間帯によって心の性の男、女の割合が変わる性別だと自認しています。ボクが自分のことを不定性だと認識して、家族にそのことを話そうとすること、その後のことについて話そうと思います。ボクは受験直前の冬に自分が男じゃないと感じはじめました。きっかけはゲームのキャラクターが自分が女であると思っている友達に自分が男だと告げようとするストーリーを読んだことです。最初はちょっと影響されただけだと自分でも思ってました。でも自分の心は男じゃないと考えると昔から親に内緒で女性ものの服を着てたりしたので本当に自分は心は女なんじゃないかと思いはじめました。でもそんなことは誰にも話せませんでした。友達はむしろ人種や性別、性指向などのマイノリティを話題に出して笑ってるような人ばっかりで言えるわけがなかったんです。親や家族は話そうと思ってもこれをきっかけに何か起こると嫌で言えませんでした。でもまだ友達と一緒にいたり学校に行ったりするのは楽しかったのでまだ気が楽でした。でも、日々自分のことについて調べていく中で自分はXジェンダーの可能性があることがわかりました。サイトの中で説明されていた不定性と自分がピッタリ重なった感じがしました。そう考えると自分がもっと友達や周りの人のような普通の人と違う感じがして、吐き気がしたり、頭が痛くなって未来のことを全部ネガティブに考えて生きてたくないな、とか消えてしまいたいな、とか考えるようになりました。このころから夜更かしが増えてスマホを触って3時まで起きていたり、今自分笑ってるかな、このときは笑わないと、今どう見えてたかな、動揺を隠せてたかな、など思ったりするようになりました。このときに結構限界が来てて担任のY先生と時間を見つけて話すことにしました。先生が卒業が近いこともあって伝えたいことを書いてほしいとプリントを配ってくれたので、「話したいことがあります。でも絶対否定しないでください」と書いて話しました。それで、いざ話すってなったら考えてたこととか、こう話そうって思ってたことが全部パッと言葉にできなくて、ここで初めて人に話すことがどんなに怖いことか、否定されたり、言い広められたりされるかもしれないことがどんなに怖いことか知りました。結局10分もあれば話し終えると思っていたけど、自分が話すだけで休憩時間の20分を使い切りました。でも、それでめちゃくちゃ心が軽くなったのもほんとです。人に話すのは本当に怖いし難しいけど相手がそれを受け入れてくれるとめちゃくちゃ救われます。ボクはちょっと涙も出ました。親にはそのときから次に一緒に服を買いに行くタイミングで言おうと思ってました。でも、結局言えませんでした。理由は母の当日の機嫌が良くなかったことです。でもそれは家族であるボクの問題でもあるし、なんなら自分のことも話せなかった言い訳です、こんなのは。ここまでが家族に話そうとするまでのボクの経験談です。実はこのときに一度、もうしばらくは言わずにこのまま幸せに暮らしていてもいいな、と思ったんです。ですが、最近はまた何もしたくないな、と思ったり、生きてたくないと感じたり、イライラすることご増えたりしてます。いつかは正直に話さないと生きていけないと感じていますしそう思っています。最後はちょっと愚痴っぽくなるけど、世間の言ってる男女平等はボクみたいな人には適用されないんだろうな、と思ってます。今日もとりあえず生きてなくちゃいけない。何のためかわからないけど。

感想1

自分のジェンダーについて立ち止まって捉え直し始めたことをきっかけに、周りの人や社会との距離感、見え方が目まぐるしく変わっていく感覚を想像しながら、読ませていただきました。投稿者さんが今回の悩みを抱く以前から「生きること」について何か思うところがあったのかは分かりませんが、いずれにせよ「生きていないと」という言葉は生き苦しい時のものという気がするので、今、高校に入学した投稿者さんはどんな気持ちでいるのかなと気になりながら、感想を書いています。

今回書いてくださった経験談の中には、言葉の端々から緊張感というか、体がこわばっているような印象を受けました。投稿者さん自身の感情もそこにはあると思いますが、私はそれ以上に、社会のジェンダー観のいびつさが影響しているのかなあと感じながら、自分の価値観含めてあれこれと思いを巡らせました。
私は現状、性自認・身体性が一致していますが、今回の経験談を読ませていただいて改めて考えてみると、自分からその性を自認しにいった覚えも、選んだ覚えも全くないなと思いました。それは「単に一致している」という話ではなく、そもそもグラデーションが存在していることすら何も知らない間に、周りから「どちらなのか」を決めた形で扱われ、それを受動的に受け入れてきただけなのかもしれない、という感覚です。そして(自分から見えるもの=世界だとすると)世界を見渡してみてもその2択しかなさそうに見えると、必然的に「それ以外=異質なもの」という方程式が、自分の中にも、同じ世界を見る他者にも成り立ってしまうのかもしれないなあと…。そういった意味でいえば、「普通」も「選択肢」もとても不確定で流動的なもののはずなのですが、数の多さや周りの人の受け止め方によって、いかようにも「普通」のハードルが変わってしまうのはとても怖いことだなとも感じました。
最後にぽろっと零されていた「男女平等」という言葉にも、個人的にはずっと違和感を抱いています。何かを括ったり主語を定めることは、相対的に「それ以外」を意味づけたり、グラデーションを削ぐことになると感じるからです。勝手な思いではありますが、もっと枠組みを主語にしない話し方とか、「普通」を前提に押し進めない会話とか、そういう本当の意味で普遍的なコミュニケーション、関わり方って、どうしたらいいんだろうか…みたいなことについて、投稿者さんと色々話してみたくなった私がいました。私の価値観がすこし多めになってしまったかもしれませんが、自分と投稿者さんを行き来して感じたことを言葉にする、という行為もまた「感想」かなと思い、そのまま伝えさせていただこうと思います。改めて、投稿ありがとうございました。

感想2

何のためかは分からないけれど、それでも生きていなければならない・・人知れず心の内で起こっている葛藤を、あなたの言葉でもって目の当たりにしたような気持ちでいます。ご自身の性に対する気づきは、これまで掴みどころのなかった違和感が腑に落ちた一方で、苦しみが生まれた瞬間にもなってしまったように感じています。

性別やジェンダーを取り巻く社会の価値観は、長い時間をかけて今も変化の最中にあるように感じていますが、自分を知って理解してほしいと願う気持ちと拒絶されるのではないかという恐れの板挟み、この先自己一致した状態ではいられないかもしれないという不安は、それこそ「生きる」ことの土台が揺らぐような恐怖に繋がると私は感じています。自分の性に違和感や葛藤を抱えることと精神的不調の相関関係を示す統計データもあり、あなたが語ってくれた苦しさは、そうなってもおかしくないことだと思っています。

「マイクロアグレッション」という言葉がありますが、友人の無自覚な偏見や思い込みは言葉や態度になって、静かにあなたを傷つけていたように思います。そんな中で勇気を振り絞って先生に話したことは、こちらにも恐怖と不安、少しの安堵がありありと伝わってくるように読みました。
あなたの状況とは少し違うかもしれませんが、お返事を書いている私自身は、本音を話そうとすると言葉に詰まって、勝手に涙が込み上げてくることがあります。心にある柔らかく傷つきやすい部分を他者にひらいていくことは、そう簡単には言葉にし難いものなのかもしれません。

家族に打ち明けようとした経緯も書かれていましたが、もしやすると一番プレッシャーを感じる相手を目の前にしていたとして、私にはあなたの問題とも、言い訳ともまったく思えませんでした。なので、あまりご自身を責めないでほしいなと思ってしまいます。
(私の思いを押し付けてしまわないようにと思いながら、そう聞こえてしまっていたらすみません)

不安や葛藤を一人で抱え続けることはなかなかにしんどいのではと思いながら、日常の中で孤独感が募ることもあるのではないかと感じています。ジェンダーや性別に関する相談を当事者が受け付けている相談窓口など、あなたの言葉が通じる人たちがいることも伝えたい気持ちでいます。
またよかったらお話を聞かせて下さい。経験談への投稿ありがとうございます。

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