経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
自分なりに幸せになれたらいいな
今年の2月に31歳になった。でもずっと生きづらい。
この場を借りて私の人生を文字にしてみようと思います。
学生時代は小中高といじめを受け、専門学校では就活に失敗して卒業した。
実家の両親からはパートで働き始めても正社員になれとうるさく言われ、25歳の時に派遣で無理矢理仕事を決めて実家を出た。
ようやく契約社員の仕事に就けて正社員になれるチャンスが来たある日パワハラを受けた。
鬼のような顔、低い声の怒号、ゴミを見るような目。今でも忘れられない。
学生時代に克服したはずのアムカが再発し病んでしまった。
結局病んでしまった事で企業側の罪を隠すような形で私は解雇になった。
心療内科に通い始め鬱病の診断とASDの診断も受けた。私はホッとした。普通の人とは違う特性があったから。
「私は普通の人とは違う特性を持っていたんだ。私は普通じゃない。」
解雇と診断。あれから数年。
まず友人とは全員縁を切った。あいつらは幸せに過ごしていて結婚もしている奴もいる。
そんな奴らと関わりたくなかったからこっちからさようならをした。
仕事は実家の援助を受けながらA型事業所に通っている。周りの人も優しく仕事がしやすい。
もし安定した仕事に就いたらやりたい事。
ジムに通ってダイエット。
推しのFCに入ってライブに行く。
引っ越しをしてもう少し広い家に住む。
これが今の夢。
この意地悪で理不尽で生きづらい世の中を私と一緒に歩んでいるみんな。
一緒に一歩ずつ頑張って幸せになれたらいいな。
感想1
経験談への投稿ありがとうございます。最後の呼びかけに、心の拳を上げながら「えいえいおー」とつぶやいてしまいました。ASDの診断を受け、生きづらさを少しずつ紐解いておられる印象です。
人間関係で辛い経験をされてきたこともあったとのこと。理不尽な怒号や軽蔑的な視線というパワハラと、その責任を取ることもない会社の解雇という対応は、とても辛辣だなと思いました。あなたの代わりに怒れるなら怒りたいくらいです。
もしかしたら、これまで特性も重なり、様々な場面で「理解されないな」あるいは「理解できないな」という経験も内外関係なく、たくさんあったのではないかなと感じました。
診断を受けるまで、それまではどこかで「普通」になろうと必死だった様子も思いますから、振り返ってみて、あの時は無理をしていたなあ、よく頑張ったなあと思えていたらいいなあと思います。
関わりたくない人とは距離を取る、できるだけ生きやすいところにいる、自分の夢をコツコツ叶える、自分なりの小さな幸せを日々積み重ねたいものですね。そしてそこに向かっていけるあなたの力もとても感じます。
世知辛く、生きづらい世の中ですし、生きるのが下手で不器用な私とあなたかもしれないですが、自分の幸せ探しから、一歩ずつ一緒に頑張りたいです。まずは・・そうですね、私は気に入っている服に空いた穴を塞ぎたいです。あの大きな穴が塞がったら幸せだろうなあ。
感想2
投稿ありがとうございます。
学生時代のいじめや就活文化、パワハラといった出来事は、投稿者さんの生きづらさを深め、度々心を傷つけられてきた経験だと思いました。傷を「受けた側」がずっと苦しんだり、もがいたりしなければいけないことの理不尽さにやるせない思いです。冒頭に書いてくださった「ずっと生きづらい」という言葉の中には、投稿者さんが、傷つくたびにぐっと身を固くし耐えたその一瞬一瞬が詰まっているようにも(勝手ながら)感じられました。
解雇と診断を経たあとの投稿者さんの過ごし方を読んでいくと、既存の枠組みや第三者の考え方に振り回されない、「自分なりの歩き方」を選んでいくことにシフトしたような印象を持ちました。それは、自分がもがきながら過ごしてきた社会そのものの在り方や、定型的な「幸せ」の姿から(前向きに)距離を置くような行為でもあるのかなと私は感じました。
私自身、学生時代に念慮を抱え、新卒の会社で挫折したり、特性に苦しんだりする中で、社会のいびつさや余白のなさ、優しくなさに愕然としてきました。そして「この社会が求めてくる”当たり前”や”美しさ”に応じていたら自分が壊れてしまう」と感じてから、意図的に「自分がどう思うか」を守ることを心がけています(安易に同意しない、SNSやニュースやみくもに見ない、人のいう当たり前を一度疑ってかかるなどなど…)。投稿者さんがこの数年で何かを割り切ったような感覚があるとしたら、近からずも遠からずな感覚を経ているような気がして、自分の話をさせてもらいました(全然違ったらすみません)。
自分の幸せを自分なりのやり方で探しながら、なんとなく「自分の道を歩いている誰か」の存在を感じ取る。そんな距離感を想うことが、それぞれの「自分なり」を実現することに繋がるのかなあと思いました。よければまた、死にトリを訪れてみてくださいね。
感想1
経験談への投稿ありがとうございます。最後の呼びかけに、心の拳を上げながら「えいえいおー」とつぶやいてしまいました。ASDの診断を受け、生きづらさを少しずつ紐解いておられる印象です。
人間関係で辛い経験をされてきたこともあったとのこと。理不尽な怒号や軽蔑的な視線というパワハラと、その責任を取ることもない会社の解雇という対応は、とても辛辣だなと思いました。あなたの代わりに怒れるなら怒りたいくらいです。
もしかしたら、これまで特性も重なり、様々な場面で「理解されないな」あるいは「理解できないな」という経験も内外関係なく、たくさんあったのではないかなと感じました。
診断を受けるまで、それまではどこかで「普通」になろうと必死だった様子も思いますから、振り返ってみて、あの時は無理をしていたなあ、よく頑張ったなあと思えていたらいいなあと思います。
関わりたくない人とは距離を取る、できるだけ生きやすいところにいる、自分の夢をコツコツ叶える、自分なりの小さな幸せを日々積み重ねたいものですね。そしてそこに向かっていけるあなたの力もとても感じます。
世知辛く、生きづらい世の中ですし、生きるのが下手で不器用な私とあなたかもしれないですが、自分の幸せ探しから、一歩ずつ一緒に頑張りたいです。まずは・・そうですね、私は気に入っている服に空いた穴を塞ぎたいです。あの大きな穴が塞がったら幸せだろうなあ。