私には妹がいます。その妹は親の言うことを聞いて、親にえらいえらいと褒められ、親のお気に入りでした。妹はやることなすことなんでも褒められていた思い出があります。その時は、「妹はたくさん才能を持っててすごいんだ」とだけしか思っていませんでした。
ですが私が中学2年生に上がった時、少し違和感を感じました。私が絵を描いても、勉強で頑張っても親は1回も褒めませんでした。むしろ65点くらいのテストを見て「なんでこんな簡単な問題も解けないんだ」と声を荒げて怒りました。私はただ、妹みたいに褒めてほしかっただけで怒鳴られるなんて全く思っていませんでした。その後、心を病んで学校に行けなくなった時も「いつになったら行けるんだ」と怒られました。妹が行きたくないなと少し呟いたら休む?と優しく聞いていたのに、何が違うんだろうと疑問でいっぱいになりました。
中学2年生の3学期に、ついに学校に行きたくなくて泣きました。その時に初めて「休んでいいよ」と言われました。その優しさが嬉しくて、不平等じゃなかったと喜びました。でもその喜びも束の間で、3日も経てば私は放置されていました。妹が可愛がられて、泣いている私が全く見向きもされない現実を見て、「なんでこの家に生まれてしまったんだろう」と深く後悔しました。こどもは生まれてくる場所選べないとはいえ、なんでこんな場所に生まれちゃったんだろうと後悔するほど姉妹格差は酷いものでした。親からの心配が全くなかった分、担任や友達の心配の一言がとても嬉しくて、でもその分家族の冷たさを知って…となんとも言えない感情がずっと回っていました。
中学3年生に上がり、少し精神も安定してきた時に親に聞きました。「妹の方が大事なの?」、その返答は「どっちも大切」と言われました。とてもモヤモヤしました。こんなにも対応が違うのにどっちも大切?と。親にとってそれは本心かもしれませんが、私にとってはその場で適当な返しをしたようにしか思えませんでした。「とりあえずこう言っておけば納得するだろう」と思われている気がしました。でもこれ以上聞いても愛のある返答は返ってこないだろうなと思ってそれ以上は聞きませんでした。
妹が中学生になってからはさらに格差がひどくなりました。妹には「学校どう?」「楽しい?」と聞く親は、私には何も聞きません。ただご飯を出す、お金を奪っていく邪魔な存在の様に扱われました。一番の格差は「スマホ」でした。妹は親に先にスマホを買い与えられていました。たしか今年の6月くらいには既にもっていました。私がスマホを持ったのは、今週の日曜日です。外に行くのは私のほうが多く、妹は外出しても大抵親と一緒なので必要ないはずです。それでも先に買い与えられていて、なんで?とずっと不満でした。妹が持ったから、と私も親に何度も「スマホがほしい」と言いました。親は「お金がかかるから」と言って断られていました。じゃあなんで妹には買ったんだよという怒りを胸にしまって納得したふりをしました。それからも妹がスマホを触っているのを見ている度に「なんでこいつだけ」と思う日が多くありました。
親に相談しても意味ないのかもしれないと思って、妹に「格差が辛い」と親に言ってくれないかと頼みました。そうしたら妹は「そんな事言わないで、気分が悪くなる」と言って聞く耳も持ちませんでした。そう言われた瞬間、この家に味方はいないんだと言われた気分になりました。誰か1人くらいおかしいと思ってくれている、そう信じていた私は現実の冷たさに直面しました。そして現実を知った瞬間、ふと死にたいと感じました。こんな家であと3年も生きていたら先に心が壊れてしまうと感じました。頑張っても褒め言葉一つ貰えないこんな場所にいても、ただただ辛いだけと思って一度死のうとしました。その現場をみた親は一言、「邪魔だからどっか行って」と言いました。私は一回、その言葉が自分に向けられたとは信じられなくて黙ってしまいました。学校もあったのでその日は死ねませんでした。死のうとする度、親の一言がよぎります。
きっと家族仲は永遠に良くはなりません。自分は正しい事をしてる、これは普通の家族だと思っている家族には一生この気持ちは伝わりません。この気持ちをぶつけてしまえば、きっと親に踏みにじられてしまうので、あと3年必死に心に閉じ込めて生きていくしかないです。でも、誰でもいいから味方してくれないかななんて贅沢を毎日願ってしまいます。こんな格差の中で生きた自分を愛したり肯定してくれる人をこれから一生探すことになるんでしょう。
一生満たされないのに、ずっと必至にならなきゃいけない。投げ出しても誰も拾ってはくれないから。
ひどい文章だと思いますが、最後まで読んでくださりありがとうございました。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
埋まらない差
感想2
投稿ありがとうございます。
家は子ども時代の大部分を過ごすところで、中心になる(なってしまう)人間関係なので、そこで、「格差」をずっと感じる状況はあなたにとって強く負担になるのも当然だと感じています。家族の中で、いつも妹と違う扱いをされていると感じながら、あなたなりに、親に直接聞いてみたり、願いを伝えてみたり、妹に話してみたりして、改善できないか考えてきたことが伝わりました。「一生満たされないのに」「誰も拾ってはくれないから」という言葉は未来への想定ですが、個人的にはそうとも限らないだろうなと思いつつ(なにをもって満たされる、拾われるというのかもむずかしいですが…)、これまでの経験や今の状況からはそうとしか思えない、というのがあなたの実感なのだろうなと思いました。
「家族愛」みたいな言葉が世の中には流通していますが、家族といっても、相性や関係性の良し悪しはあり、必ずしもうまくいくわけではないことは私も痛感しています。私も父親とはとても折り合いが悪く、10代で家を出ました。本当であれば仲良くできるのがいいのかもしれないけれど、数人しかいない人の中では難しいことも多いのでしょうか…。
子どもや学生がもっといろんな大人と関わったり安全に過ごしたりできるといいのかなとも思ったりするのですが、今はそういう機会もあまりなさそうに思います。
学校も行きたくない場所ということなのかなと思うので、あなたにとって、気楽に過ごせる場所がなかなか見つからない状況なのかなと想像しています。
「この気持ちをぶつけてしまえば、きっと親に踏みにじられてしまう」というような文章から、あなたはあなたの軸というか意思が強くある人だと感じました。「心が壊れてしまう」という焦燥感の中で、どうしたらいいのか、という気持ちと、投げ出したくなる気持ちに揺れているのかなと思います。私も家族構成や状況は違うものの、中学生の頃から家を出たくてたまらなくて、賃貸情報を毎日見続けてきたので、すごく共感して読んでいました。「自分にとってしんどい現在の環境から離れる」ということが「家を出る」だとわかっていても、未成年では安全な方法がとても限られていて、それは理不尽なことだと思います。あなたの心や体がのびのび過ごせる場所が見つかるといいなぁと思いつつ、学生では選択肢も限られてしまうのかなとも思っています。
そんな中で死にトリを見つけて投稿してくれたことをありがたく思っています。よかったらまたアクセスして、気が向いた時にはあなたの言葉を寄せてもらえたらうれしいです。またきてください。
感想1
文章を読みながら、終始なぜあなただけがという疑問と、その理不尽さに私自身も悔しさのようなものを感じていました。私の話になって申し訳ないですが、私は一番と言っていいほど、人と比べられる事が嫌いです。だから、それがあなたは日常的にあることに、私なら正直耐えられないという気持ちになったのかもしれません。あなたはその環境に耐えてきた、いや耐えざる得なかったのではないかと考えると、胸が苦しくなります。
そんな中でもあなたは、何度も何度も状況を打破しようと、チャレンジしたのですよね。妹さんにも相談したりして、あなたなりに色々試したのだろうと思いました。結果としては、失望した部分も大きくあるかもしれませんが、実際に親に聞くのも勇気が必要だったのではないかと思います。
お話を読みながら、なんでこんな扱いを受けないといけないのか?と終始感じていましたが、特に私が気になったのは、「邪魔だからどっか言って」という言葉です。もし私だったらと考えると、一生そのフレーズが脳内にこびりつきそうですし、苦しい姿を見せたらいけないのかなと思うかもしれないです。
投稿の中で「家族仲は永遠に良くならない」という言葉もありました。この言葉には、悲しみ、呆れ、怒り、一方で修復できるかも?という期待のようなものが1ミリは含まれているかな?と私は受け取りました。でもあなたが思うように、何度もあなたが傷つき、苦しんだ事実がある以上「家族仲は永遠に良くならない」と感じてしまうのも無理ないかなと私は思います。
そして、こういった状況の中で残り3年間耐えるというのは、とても長い道のりのように思えるかもしれません。長々とお話してしまいましたが、最後に伝えたいことは、担任や友達が味方であるように、死にトリも味方の1つでありたいと私は感じました。ずっとあなたの人生に関わり、支えることはできないのに、簡単に味方だよというのはあまりに無責任に聞こえるかもしれません。
でもせめて、❝自分の気持ちを分かろうとしてくれた存在❝として死にトリが何かの役に立てばいいなと思っています。
改めて、経験談への投稿ありがとうございました。