経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

満たされているのに死にたい

今私はやりたい仕事についていて、それなりに結果を出している。そのことに誇りも持ち、家族との関係も悪くない。親しい友人もいる。
しかし突然死にたくなる。
なぜかというと、自分は厄介者であり、いない方がいい存在だと常々否定し続けるしかないからだ。
自分には発達障害がある。そして色んな人に信じられないような迷惑をかけ、傷つけてきた。一番辛いのは、傷つけていることに無自覚で、距離を取られた後にやっと理解すること。謝罪すらもできないことだ。改善しようと投薬治療を受けたり、メモを取ったり、会話の邪魔をしないように喋らないようにしようと思うものの、それもうまくいかない。
だから死にたい。いや、というより消えてしまいたい。
皆んなに忘れられ、悲しませたくない。これ以上一分一秒たりとも誰かを私の犠牲にしたくない。私が死んでしまえば、当たり前だけどそれ以上被害が増えることはない。
だから早く死にたい。
存在を消して、私のせいで生じるトラブルがなくなればきっと私の周りの人間は楽になる。
周りの人のためにも早く死にたい。
死ぬ手段はもう決めている。いつ実行するかは未定だが、出来うる限り迷惑がかからないように実行する。
そうすれば皆んな笑顔が増えると思う。というか、増えてほしい。
悲しまないでほしい。
あいつが居なくなって清々したよはははとでも笑ってくれたら本当に嬉しい。
とにかく自分がとんでもない役立たずだったからこう思うようになったのだ。
居なくなることがいちばんの恩返しだ。

感想1

やりたい仕事にも就けて結果を出し、周囲との関係性も良好である一方で、自分を「厄介者」だと感じ、消えたいと思うほどの自己否定が強く心に根付いてしまっているように私は読んでいて感じました。自身の特性によって、他者を無意識のうちに傷つけてしまい、気づいた時にはもう遅いことが繰り返されてきたことで、あなたの中に自分ではどうすることもできないやるせない気持ちが蓄積されていっているのではないでしょうか。その苦しみや無力感にどこか押しつぶされてしまいそうなイメージを浮かべました。
改善しようと努力してもうまくいかないというジレンマが、より一層自分を責める材料となってしまい、この無限の自己否定の連鎖が、あなたを「死にたい」「消えてしまいたい」という感情に駆り立てているように思いました。これまでの他者との関わりで生じてきたものを考えると、自分の存在価値が揺らいでしまうのも無理はないことなのかなとも思いますが、あなたが感じている重荷や罪悪感は、あなた自身だけの問題ではなく(というか、むしろあなたの努力不足とか気持ちの問題とかではないと私は思います)、この社会の発達障がいに対しての理解不足や不寛容さが、個人の価値観などにも気づかぬうちに刷り込まれてしまっている(必ずしもそうとは限りませんが…)ことが大きく影響しているように私は感じました。その結果誤解も生じやすく、あなたの自己評価が不当に低くなっている可能性も拭えないなと私は感じました。また、もしかしたら明確なものではなくてもなんとなく自分の中に「こうありたい自分(理想の姿)」があるけれど、そうなれない現実に苦しくなってしまっているところもあるのかもしれないなと感じたりしました。(全然違っていたらすみません)
人は誰もが何かしら誰かに迷惑をかける生き物だと私は思っています。迷惑をかけないで生きるとはどういうことなのか、そもそも迷惑ってどういうことなのか、私自身も人に“迷惑”をかけることに対してだいぶ気にしてしまい、気に病むことも多いのでその答えを出すのは難しいなぁと考えつつ、もしあなたの中にイメージしているものがあるのであればお聞きしてみたいと思いました。
「居なくなることがいちばんの恩返しだ。」という最後の言葉に、周囲のことを考えてこその言葉だとは思うのですが、居なくなるという選択肢以外の恩返しはないものだろうかとどうしても考えてしまっている自分もいます。ただ、こうしてここに綴ってくれた思いや考えは普段表には出せない心の内だったりするのかなと感じたので、そのままの思いや考えをまず私は受け止めたいです。もしあなたにとって、死にトリが何か役に立つようであればまたいつでも参加してください。経験談の投稿ありがとうございました。

感想2

あなたの中で、強い必然性をもって死んでいくストーリーが完成しているように感じました。ただ、客観的に読んだ私の眼には、そのストーリーはちょっと飛躍しているように感じています。これは、あなたの意思や気持ちを否定するものではなく、読んだ私の一つの見解です。そして、誤解を恐れず伝えると、あなたを失うのは世の中としてはもったいないと思う気持ちがしてしまいした。もったいないというのは、あなたが仕事で成功しているとか、家族と関係がよいとか友人がいるということが理由なのではなく、きらりと個性が輝いているように思えたからです。ちょっと飛躍をしていると思えるほど、あなたらしい感性や思考があり、そうした発想の持ち主も私たちの社会にいてほしいと私は個人的に感じたからです。そうした個性が、おそらく、周囲には理解されにくく、すれ違いが起こることもあるのかなと思っています。私の周りには発達障がいを持っている人がけっこうたくさんいるのですが、その多くの人たちは多数派の人たちにはない感性や個性を持っていて、私はそれらの人たちからいろいろなことを学ぶことができます。あなたからも、同じような学びのもとを感じているので、勝手ながらもったいないと表現したのです。
ただし、一方でそうした個性や感性が周囲の人たちにとても理解されずに、逆に誤解されてしまい、結果として人への迷惑や傷づけてしまうような出来事に発展してしまうことがあるのも事実だと感じています。そのことにあなたが責任を感じ、とても心を痛め、こうして死ぬしかないと思っていることに、あなたの誠実で真面目な人柄を感じています。その誠実さもまた私がもったいないと思う所以です。
周囲への迷惑や傷つけてしまうということについて戻ると、私が身近に見ている人たちから私なりに理解しているのは、発達障がいの人が悪いとか、その人のせいというより、周囲とのすれ違いや誤解に双方気付いていないということがあるように思っています。お互いをよく理解できれば、双方ともに学ぶことも多いですし、適切な関係でいることも可能になります。でも、残念なのはあなたも書いている通り、その理由や方法を周囲はあなたに教えてくれないことです。教えてくれないまま、距離を取ってしまったり、後から傷ついたのだと結果だけを告げてくることが多く、それだとお互いのことを知る機会は訪れません。あなたが経験してきたことは、発達障がいのある人たちを含めて多様な個性のある人たちが生きやすくなるための知恵やヒントが隠されているように思いました。
もし、知恵やヒントが思いついたら、またこうして死にトリに書いて送ってもらえるとありがたいと思います。(知恵やヒントではなくても、あなたの書きたいことは何でも歓迎です)お待ちしています。

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