経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

わがままな私

人が信じられなくて辛いです。
小学生の時も、中学生の時も、高校生の時も、信頼していた人に裏切られました。この人は安心できるし、いい人だなと思って相談した悩みや秘密がクラス中にバラされたり、濡れ衣を着せられたり、遊び道具になったりして辛い思いをしました。小学生の時にそれはもう辛い思いをして、中学校では絶対に騙されないぞと思って、でも別の人に騙されて、いじめられて。高校でもまた別の人に騙されて、もてあそばれて。もう、この十数年で、人が信じられなくなりました。ひどい時には、私の目に映る人全員が敵だと思ってしまいます。

でも、幸いなことに、私には仲良くしてくれる優しい人がいます。私が1番辛いのは、そういう優しい人のことも疑ってしまうことなのです。昔のことを思い出して沈む私を慰めてくれたり、体調を気遣ってくれたり。その好意の裏には、私を騙して笑いたいという気持ちがあるんじゃないかと、思ってしまうのです。こんなのは最低です。この前も、「私たち友達だよ」と言ってもらえたときに、とっさに「ありがとう」と言えませんでした。そう言っていた人のほとんどは、私を騙して遊んでいた人たちだったのです。この人も、いつか裏切るんだ。そう思ってしまったのです…。

恵まれている私。人の優しさを疑う私。また騙されるかもしれない私。でも、これは、人を信じることも人と関わることを断つこともできない、私のわがままです。私が1人で悩んでいるだけなんです。ただ私が騙されて傷ついているだけなんです。私1人の問題だから、私が消えてしまえばいい話なのに、のうのうと生きています。こんな恵まれた環境で生きづらい、だなんて、わがままです。弱い人間です。でも辛いです。

長々と書いてしまいましたが、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

感想1

経験談を読み、「自分のわがままであり、一人で悩んでいるだけ」と感じていることでも、勇気を出して書いてくれたことが伝わってきました。

何度も裏切られる経験をしても、また別の人を信じてきたところから、あなたには他人を信じようとする気持ちがあったのだろうと思いました。
そして、信じたい気持ちがあるからこそ、信じられないという現状を辛く感じるのだろうなと思います。
他人を信じたい気持ちも、信じられないことが辛いという気持ちも、自然なものだと思います。

また、悩みや秘密をクラスの人に話したことなどから、あなたは(本来は)自分から人と関わる力もあるのだろうなと感じました。

小学生の時に裏切られてとても辛かった経験をしても、ただ苦しみに呑まれ続けるのではなく「中学校では絶対に騙されないぞ」と思ったように、当時のあなたが自分を保っていられたのはどうしてなのか気になりました。
私の想像ですが、あなたは一歩引いたところから、自分と相手の関係性を観察するような視点も持っていたことで、裏切られた辛さから少し距離を置けたのだろうかと思いました。

読んでいてふと気になったのは、もしあなたに今の自分と似たような(人をすぐには信頼しないけど、信頼したいと思っているような)友達がいたとしたら、あなたにはどう映るのだろうか、ということです。
あなたは自分のことを「こんなのは最低」と書いていましたが、もし同じような人がいたら「最低」とは思わないかもしれない、と思ったのです。なぜなら、あなたは似たような経験をしていて、「そう簡単には人を信頼するわけではないけど、基本的には信頼したい」というような状況も理解・想像できるのだろうと思ったからです。

そして、私もあなたの行動や気持ち(人を疑ってしまうことや、「ありがとう」と言わなかったこと)を、「最低」とは思いませんでした。
確かに私も、自分のことを信頼してもらえるのは嬉しいと感じますが、そもそも信頼してもらえるのが当然だとは思っていません。また、相手から好意的な反応をもらえないことがあったとしても、それだけでは「自分は信頼してもらえていないんだ」とは感じないからです。

人を信じられず辛く感じることは、「あなた自身の気持ちである」という意味では、あなたのものだと思います。ただ、人との関係性の悩みであり、社会の中で起きているものである以上、それがあなた一人だけの問題だとは思いません。
あなたがそれを自分一人の問題だと書いているのは、もしかしたら、自分と他人の境界線をよく意識していて、「自分の気持ちは、他人との関係に持ち込んだり、他人に押し付けたりすべきではない」というように思っている気持ちの現れなのだろうかと想像しました。もしそうだとすると、あなたは相手の気持ちを尊重しながら人と関わることが得意なのではないかと思いました。

感想2

経験談を読ませていただきました。
私の頭に浮かんだのは、投稿者さんがかけたくもない・かけなくてよかったはずのメガネをかけさせられているようなイメージでした。小学生の時から繰り返し、身近な人が嘘をついたり、投稿者さんに酷いことをしてきた結果、相手が自分に危害を及ぼそうとしていないか、相手は何を考えていそうか、くまなく見定めようとするメガネです。そしてメガネがうまく機能しない(と感じさせられる)経験を重ねていくと、今度は視界そのものに刷り込んでいく…そんな想像をしました。それは投稿者さんの能力とか心の弱さという話ではなく、自分の心身や尊厳を守るために必要な防衛のように感じました。最近のエピソードとして書かれていた、親しい友人に対しての疑りも、わがままどころか真っ当な感覚だと思いました。相手の気持ちや意図、人間性は読み切れないものだと思うので自己防衛にも限界があり、でも流れに身を任せるのは怖すぎる…というような、本来投稿者さんが背負わなくて良かったはずのものを、たくさんの裏切りによって持たされてしまっているように感じました。
人と関わらなければ傷つかない・悩まなくて済む、というのはたしかにそうなのかもしれないですが、投稿者さんが誰を信じるかということと、相手がその信頼をどう扱うかということは、別の問題だと私は思います。自分の中に渦巻く葛藤も、自分だけの問題だと思うことでも、外に出したり、一緒に考えてみることで、少しだけやわらかいものにできるかもしれません。よければまた死にトリに来てくださいね。投稿ありがとうございました。

一覧へ戻る