経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

人間不信

私はどこで人生が狂ったのだろうか
私の家は一回だけ転校したことがあって、転校した後は仲間外れにはされなかったけどいじりの対象になりました。
そこの地域は声が小さくて私はもともと声が大きいので必然といったところでしょうか。
小学3年生に引っ越してきて4年生から声のせいで軽いいじめを受けました。
悪口はもちろんのこと、物を隠されたりまでしました。
先生にも相談しましたがその次の日から先生までいじめてきました。
その頃には心もズタズタになっていて人間不信になってしまいました。
5年生になって収まってきましたが中学に入った途端にいじりが始まりました。
流石に中学生になったので愛想笑いぐらいは上手に出来ましたし、理解してくれる友達も出てきました。
ただ、いじりが辛くて両親に相談したんです。
そしたらお母さんの昔話をしてくれました。
それは想像を絶するほど怖かったですし、自分よりも苦しかったんだろうなとその話を聞いて思いました。
ただ、その話を聞いてもっと苦しくなりました。
自分よりも苦しくて辛い人がいる
それはわかるんです
ただ、じゃあ自分は辛くないかといったら物凄く辛いんです。
SNSにも私と友達の悪口を書かれて怖いんですよ
そして最近、もしかしたら解離症なのではと思っています。
愛想笑いをし過ぎて本当の自分がわかんなくなっちゃって
それを友達に伝えたら優しく聞いてくれました。
凄くいい人なんです。
いい人、なんですが私が信じられないんです。
人間不信のせいで
いつか、裏切るのではないか、またぼっちになるのではないか。
だからもう諦めようかなって考えてます。
もう疲れたし、十分私の役目は全うしたと思うし。
もう、何も考えたくないんです。

感想1

投稿文を読ませてもらいました。
最後にもう何も考えたくないって書いてくれましたね。その言葉を読んで、もしかしたら普段あなたの頭に浮かぶことの多くがいじめや人間不信のことなのかなって想像しました。だとしたら思考を止めたくなるだろうし、疲れてしまうと思いました。
いじめをされた記憶ってなかなか消えませんね。私は兄から小学生の頃に1年くらいいじめられていた時期があって、それは今もはっきり覚えています。先生に容姿のことでみんなの前でいじられたことも覚えています。友人に1度だけ靴を隠されました。そんなちょっとした嫌がらせですら今も覚えています。そう考えてみると、あなたは心がズタズタになったくらいですから、簡単に忘れることもできないし、その後の体調や人間不信に大きく影響したことは無理も無いことだと思います。
人はつい他人の悩みと比べて「自分の悩みなんてそれに比べたら大したことがない」って考えがちです。同時に「こんなことでメンタルを崩す自分が弱い」と自分を責めがちになります。
それはなぜだろうって感想を書きながらぼーっと考えてました。この社会に「“強さや我慢”は大事」という謎の価値感が蔓延しているからなのかなって思ったりします。あなたはお母さんが語ってくれた経験を通して、自分の感じている辛さに動揺したのかもしれません。お母さんの経験とは別に、あなたが感じてきた物凄い辛さはあなたにしかわからないし、本当に辛いんだと思います。それはだれの辛さとも比べられないものです。
いじめやいじりは、自尊心(自分はこれでいいんだっていう感覚)を傷つけられます。人を信じられなくなる、自分が自分のことをわからなくなるんだと思います。でもあなたの人柄もあってだと思いますが、理解してくれる人、優しくしてくれる人がいるんですね。その人があなたの話を聞いてくれる姿勢やあなたにかけてくれる言葉は少しずつ信じる(というか、「そうなんだ…」って理解してみる)のも良いのかなって私は思いました。
人を信じなくても言葉を置いていけるのが死にトリです。よかったらまた利用してみてくださいね。

感想2

投稿ありがとうございます。
声が大きいという理由でいじめられることに、納得がいかないなぁと思いながらも読み進め、先生までいじめてきたというところで思わず唖然として「え…?」と静かに声が出てしまいました。それは人間不信になってしまうと思いましたし、その状況への怖さもあったのではないかと思いました。いじりというのも、"いじり"で済ませていいものなのだろうか…と私は考えてしまいます。私もいじめられていたことがあるのですが、「これはいじり?いじめ?」のように感じるものは確かにありました。でも自分がつらかったことには変わりない、と今改めて思います。愛想笑いぐらいは上手にできたと書かれていましたが、心の中では涙が出そうなのを耐えていたんじゃないか、愛想笑いの度に胸が苦しくなる想いをしていたんじゃないかと無意識に想像してしまいました。これはなんとなくですが、両親に相談することも、相談するかどうかをあなたは深く悩んだのでは?と感じた私がいます。両親が昔話をあなたに話した意図はなんだったのかと疑問に思ったので私なりに考えてみましたが、「こんなにつらかったのだからあなたも大丈夫だよ」という励ましなのか、「私なんてこんなことがあってね」の話で、あなたの今のつらさと当時のお母さんのつらさを一緒に共有したのか……。ついうーんと考えてしまいましたが、本当にこの話はその瞬間のあなたにとって必要だったのだろうか、昔話が聞きたかったわけじゃないのになぁ…とモヤっとなりましたし、これはあなたがもっと苦しくなってしまうと思いました。確かに、自分よりつらい人はいるかもしれないです。でも、「じゃあ自分なんてつらくないか」にはならなくて"私も私で"つらいよ、と思います。勝手にやられる誰かとのつらさ比べで「こっちの人の方がつらいのでもう一人はつらくありません」の判定があるとするなら「それは違います!」と声を大にして言いたい気持ちです。
いい人でも信じられない気持ちには、「なんで信じられないんだ…」と自分を責めてしまうような気持ちや苦しさも伴っているように受け取りました。でも裏切りやひとりぼっちの恐怖を考えながらもここに書き出してくれたのは「どうしたら信じられるようになるのか、信じてみたい」という気持ちもあるように思いました。いじめのことも解離のことも不安だと想像します。あなた自身の気持ちや体験、状態を誰かに聞いてもらうことが必要な気もしたので、もしここに書けそうであればまた利用してみてほしいです。

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