経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

他人の心無い言葉でコミュ障になった

私は小中学校の9年間いじめられていました。初めは一部の同級生グループが中心でしたが、次第に私のいじめに加わる同級生の数が増えて、私の同級生と繋がりのある他学年にもいじめられるようになっていきました。いじめはどんどんとエスカレートしていきました。しかし、敵がとても多かったため相談しているところを私をいじめる誰かが見ているかもしれないという不安から私は先生にいじめのことを話すことができませんでした。また、母子家庭の長女である私は、お母さんに心配をかけてはいけない。という思いがあり、母にもいじめのことを話すことができませんでした。ですが、いじめはエスカレートしていく一方で、私は人と関わることが怖くなっていきました。友達もどんどんと減っていきました。そんな時に学年の先生がいじめに気づきました。先生は学校の授業でいじめが原因で自殺した学生の話をしてくださりました。その授業のお陰で殆どの人がいじめをやめました。中には私に謝罪の言葉を言ってくる人もいました。ですが、一部の人は、先生にいじめのこと言っただろ、だが悪いのはお前だからいじめられるのは仕方ない、と言い更にいじめられました。そんな言葉を言われ続けられ、私はダメな人間なんだ、いじめられるのは私が悪いからだと思うようになりました。そんな生活を送っていると中学卒業の時期がやってきました。高校生になったら世間一般で普通と言われる生活を送りたいと思いました。しかし、高校入学後、私は小中学校時代のいじめの傷が心に残っているため同級生たちに話しかけるのが怖く、なかなか勇気が出ず、友達作りにモタモタしていました。すると気づけば友達のグループが完成しており、私は独りぼっちになってしまいました。ある日、私の独りぼっちな姿をとある同級生グループがネタにして笑っているのを見てしまいました。そのグループは私が現れた途端にハッとしてその話をやめましたが、私は小中学校時代のことがあり、心の傷が深ました。また別の日、授業でのグループ学習を通して仲良くなった人が友達同士の冗談っぽく、キミは馬鹿だよね、といった言葉を言いました。話し方や表情、その人の性格から明らかに冗談でしたが、私はその瞬間にいじめのことを思い出して辛くなりました。ずっと友達がいなかったのでそのような冗談に慣れていなかったというのもあるかもしれませんが。その後も度々冗談で悪口っぽいことを言われました。そして私はそれが辛くてその人とは距離を置くようになりました。それでも、相手はずっと仲良くしてきたからか定期的に近寄ってきました。私はその人が冗談を言わなくてもその人に存在にイライラしてしまいました。もしかすると、私はそのイライラが表情に現れたり、その人に酷い態度を取ったかもしれません。その人は次第に私に近寄らなくなりました。そんな時にふと思ったんです。私は過去にやられた嫌だったことを無意識に他人にやってしまったのではないか、そう思うと辛くなりました。小中学校時代に私をいじめていた人が言った、お前は悪い人間、という言葉を思い出して辛くなりました。その後、私は高校3年生となりました。私は高校卒業後は就職しようと考えました。そして学校推薦を使って就職試験を受けました。推薦を使った人は殆どが合格をしました。ですが、私は不合格。進路指導部の先生は私が不合格になった原因を会社に問い合わせてくれました。会社からは、面接で上手く話せていなかった、と言われたそうです。私は友達作りができず、冗談がわからず、そんなことがあっての面接が原因の不合格。人と関わるのが難しいのかなと思いました。とても落ち込みました。その落ち込みは次第に、私はこの先、社会に出て生きていくのが難しいのかな、という気持ちになっていきました。殆どの人が合格する推薦での試験に不合格になるくらいなんてよっぽど酷いんだと思いました。ずっと人と関わらなかったから喋り方が変なんだろうな、と思いました。これが社会不適合者なんだろうなと思いました。なので今、将来がとても不安になっています。進路指導部の先生は私に就職先が見つかるように頑張ってくれていますが、私は心がボロボロになってしまい、現在、ネガティブな心になってしまっています。
今までのことを、一通りザッと書いたので分かりにくければごめんなさい。

感想1

経験談の投稿ありがとうございます。一通りザッと書いたので…と最後にありましたが、読み終えた私が感じたのは、あなたが今の気持ちやこれまでの感情をそのまま書いてくれた気がして本音が聞けたように思いました。
最初に言いたくなったのですが、あなたはダメな人間ではないと私は思いました。これまでの環境からそう思ってしまっているように感じ、つい先に言わせてもらいました。社会不適合というのも、「そんなことない」と私は感じましたが、でも今のこの生きづらすぎる世の中(私はそう思ってます)に対して自分が不適合なように思えても、それはそれで別に悪くないような気もしました。
いじめの経験で「敵がとても多かったため」と言っていたのが深く印象に残りました。その時の壮絶さを物語っているように感じたり、敵という表現から、あなたが常に警戒して気を張り、学校ではどこにいても落ち着けなかったんじゃないかと想像しています。そして家でもいじめのことを話せず、長い期間1人で抱えて耐えていたこと、先生がいじめに気づいてくれたのも、結構後だったのではと思いました。
心無い言葉を直接言われ続けると嫌でも耳に入ってきてしまうだろうし、避けられず、その言葉にとても混乱して、言われた悪口が本当かのように勘違いしてしまうと思いました。冗談で言われた馬鹿という言葉も、あなたにとっては過去の傷つき体験を即座に思い出し、その当時の苦しさと痛みまでが蘇ってしまうもののように感じました。冗談でも傷つくものは傷つきますし、相手の存在にイライラしてしまうようになったのも、そんなつらさ(ストレス)が蓄積されたことによる自然な結果なように私は思います。
「過去にやられて嫌だったことを無意識に他人にやってしまったのではないかと感じてつらくなった」と書いてくれていました。悪い人間だと以前言われたことを思い出してつらくなった時、ここにはほかにどんな気持ちがあったのかなと気になりました。言われた言葉を思い出した時、まるでそれが当てはまったように感じてしまったのか、どんなふうにつらさを感じたあなたがいたのだろうかと、聞いてみたい気持ちです。
投稿してくれた時はネガティブな心だと書かれていましたが、この感想を読む頃はどんな心の状態でしょうか…。よかったらまた書き込んで教えてください。

感想2

過去のつらい記憶を呼び起こしながらも、今の自分とどうつながっているのか、ある種の覚悟をもって書いた文章のように思いながら読みました。タイトルは「他人の心無い言葉でコミュ障になった」とありましたが、「学校という未熟な集団での人間関係の経験によって、人と関わるのが怖くなってしまった」というニュアンスで私は受け取りました。
今の不安や恐怖、自信のなさなど何が原因かと考えたときに、明確にこれだと特定することはとても難しいと思いますが、中学時代のいじめの経験や高校時代の周囲の対応が大きな影響を与えているのだろうとは思いました。そして、一つだけ明確に言えることとして、今の苦しみは、あなたのせいではない、あなたが悪いのではないということだけは、私としては確信をしています。本来は就活の面接で問われる人との関わり方やコミュニケーションを学校生活の中で学んでいくはずが、正しく学ぶ機会が閉ざされ、逆に不安や恐怖となる経験をしてしまったように思うので、前に進もうとしても立ちすくんでしまっても無理はないと思います。
私は「コミュ障」という表現には今の社会が抱える課題が詰まっているように感じています。一つはコミュニケーションというものをあまりにも重視しすぎている点です。確かに、人との関わりは生きていくうえで大きな存在となりますが、人によってコミュニケーションの得意不得意がありますし、必ずしも言葉などの目に見えることだけがコミュニケーションではないはずなのに、誰とでもうまく話せることだけが正解のように思ってしまいます。産業構造が変化して、今はサービス業の比率がとても大きくなっているので、仕方のないところはあるのかもしれませんが、うまく話せないだけで人の価値を判断されてしまうのは危険だと思います。そして、コミュニケーションというのは一人でするのではなく、複数で協力し合って成立するものだと思います。それが、一人ひとりの能力のように捉えることが多いのも気になります。コミュ力とかコミュ障という言葉が独り歩きをすると、そう思ってしまうのも無理はないようにも思いますが、コミュニケーションの本質からずれてしまうように感じています。
あなたが今ボロボロでネガティブな気持ちでいっぱいになっているのは痛いほど伝わってきました。その背景には私たちが知らないうちに強く信じてしまっている「コミュ力が大事」という価値観や学校という集団の脆さや大人の介入がまだまだ十分ではない現実があると感じています。ただ、私があなたの経験談を読んで率直に思ったのは、これだけ自分の気持ちを素直に書き出し、自分なりに整理をして、こうして死にトリに送ることができるというのはあなたの力であるということです。コミュ力は相手のあることで曖昧な力ですが、自己表現をして誰かに届けるのは確かに自身の力であると私は思います。そして、周りには親身になってくれる人もいるようですし、そういった人たちをしっかり頼ってもいいと私は感じました。人を頼るのも大切な力であると思いますし、経験談からあなたにはその力があると感じています。死にトリも役に立ちそうなら、またいつでも活用してください。

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