経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

つらチェック診断結果の変遷と自己分析

先日、約一年振りにつらチェックを受けてみました。
すると、点数に大きな変動があり、さらに4つのモードも変化していたので驚きました。
つらチェックは数年前から何度か受けており、その度に人生ハードモードだったのですが、今回は初めて人生マイペースモードと判定されました。
どうしてそのような結果が出たのか気になったので、自分なりにここ一年での変化を振り返ってみました。

プライベート充実願望について、マイナス点から0点に変化していました。
質問を見返したところ、『気遣いができない人はあまり好きではない』について、以前とは違う意見を持っていました。
自分が好きではない人とは、別に気遣いができない人ではなく、むしろその気遣いも含めて、内面を見せてくれない人では? と今は考えていて、いいえを選択しました。
他人の裏表を推し量ることが苦手なので、たとえ気遣いが無くとも、内心と行動が直結した結果なのであればむしろほっとするように思います。

『ラブソングや恋愛小説に自分の経験を重ねる』についても、以前とは違う回答をしました。
数年前、人と恋愛をしていたときの自分は、今振り返ってもなんかちょっとおかしかったです。
少なくとも、自分が知る範囲のラブソングや恋愛小説には描画されなさそうな考えをしていました。
あのときの経験を踏まえると、自分とは違う世界だな、と思うことの方が今は強くなりました。

愛嬌ポイントは相変わらずのマイナス点でしたが、その程度がやや小さくなっていました。
最近、嫌なことを断る練習(真似事?)をしているので、その辺の質問で差が出たのかなと思います。
また、以前は自分は甘え上手ではないと思っていたのですが、よく考えると、自分の大変さを話して助けを求めるようなことは昔からよくしていました。
そのため、案外甘え上手と言えるのかも、と最近は思っていたりします。

仕事成功願望は高得点のままでした。
「~ねばならない」と思いがちなところは今も昔も変わっていないです。というよりも、「~ねばならない」以外の思考のまとめ方が思いつかないというのが正直なところです。
これも今後年齢を重ねていくにつれて変化が見られるのでしょうか? 未だ半信半疑です。

世渡りポイントは大きくマイナスで、むしろ点数が増えました。これは興味深かったです。
昨年に前職を辞めたのですが、そこでは専門職として勤めていました。そのため、仕事は上手くいかないながらも、自尊心を保てていたのかもしれません。
今は人づてにいろいろな仕事やボランティアをしています。その生活の中で、自分ができることの少なさにショックを受けることが何度もありました。
そのため、退職直後よりも今の方が、自分に対する自信はなくなっているように思います。
むしろ最近は、自分にできる仕事って何があるんだ?と途方に暮れることの方が多いです。

ユートピア願望ですが、これが最も大きく変動しました。環境によって点数が変わることが明確に表れていておもしろかったです。
最初につらチェックを受けたころ、つまり学生だったころは小さくプラスでした。
以前の職場にいたとき、働いていた頃は大きくプラスで、今は逆です。マイナスに大きく振れています。
今いるところは生活こそ成り立ちませんが、ボランティアの内容、関わる人共にとても穏やかです。
これが大変ありがたく、特に、自分の本心に近いことを言っても笑われることがないので、これまでより気楽に過ごすことができています。
また、自分の苦手に対する配慮にも助けられています。無理して苦手なことに向き合うストレスって大きかったんだなと気付きました。
貯金を犠牲にしているのでときどき苦々しい気持ちになりますが、手放したくない想いも強いです。

鈍感ポイントは大きくマイナスで変動しませんでした。
他人の何気ない一言でダメージをいつも受けているのでは、と診断結果のコメントにありましたが、実際にその通りなので耳が痛いです。
例をひとつあげるとすれば、職場での他の人の話す愚痴が苦手です。
別の人の話題と分かっていても、自分も似たようなものだよなと考えて勝手に刺さります。そのため、そのような場面からはできるだけ逃げるか、遮断するようにしています。
思想も強く頑固なので、SNSなども含めて、他人の価値観とよくごつごつぶつかっているイメージがあります。

以前はユートピア願望と鈍感ポイントのギャップが大きかったですが、今はちょうど相殺するかたちになっていました。
翻すと、今いる環境でも精いっぱいと言えるのかなと思いました。自分事ですが、社会復帰したくない気持ちも分かります。鈍感ポイントを上げないと(上げられるのか?)どうにもならなさそうです。

傷つき体験から抜けたい願望は、少し下がりましたがこれが最も高いです。
そして、自覚と最も差のある項目でもあります。結果を見るたびに少し不思議に思います。
コメントにて、アディクションの問題があるかもとアドバイスを貰いました。しかし、少なくともそこで挙げられていた具体例には当てはまらなかったです。
強いて言うのであれば砂糖かな?と思います。成人になった頃から始まった、ジュースを水のように飲む癖が直らず、自分でも困っています。

自分を理解してくれる人を見つけることについても、若干諦めている節があります。
先ほど、自分の本心に近いことを言っても笑われないと書きましたが、それでも発する言葉の多くは他所向けに調整した上で発されています。
(大抵の人もそうなのか? よく分からないポイントです)
油断して調整前の本心を口にしてしまうと、大抵の場合相手を困惑させてしまうので、改変は必須という感じです。それでようやく社会と交流できます。
こんな調子なので、理解者については、いやあ、まあ、無理だろうなあという気持ちでいます。

セルフケアポイントはほとんど変動せず、ほぼ0のままでした。
他人に対しての姿勢は「傷つき体験から抜けたい願望」の話で書いた通りなので、頼りになる大人や仲間はいなかったという認識でいます。
もしかしたらいたのかもしれませんが、その場合は気付いていないか忘れているため、やはり認識は変わらないです。
自分なりのストレス解消法というものもこれといって思いつかず、ストレスに対してどのように対処しているのか自分でも謎です。

常識への強迫性はある程度プラスでしたが、以前よりは下がりました。
今の居場所には様々な特性や背景を持った人がいて、そういった人々は前職を辞めるまで自分の人生にほとんど登場しませんでした。
今、そういった人たちと言葉を交わすことによって、自分の常識に対する考え方は少し変化したように思います。
根幹の考え方は依然として強固なままなので、これ以上下がることはなかなかなさそう、と思っています。
しかし、ぐるぐると同じことを考える自分をもっと遠いところから見てみるという試みは、できれば今後もやってみたいなと思います。

以上のことから、判定は人生マイーペースモード、生きづらいけれどあまり気にしないタイプという結果となりました。
また、生きづらさの元として大きいカテゴリ(ギャップが大きいカテゴリ)はカテゴリ2と4でした。
以前は全てのカテゴリで大きなギャップが出ていましたが、今回はこの二つのカテゴリが他二つに比べて突出して高くなりました。
自分でもこの結果にはある程度納得しています。この文章を書いている間にも解釈が進んだ点がいくつかありました。

また一年後にでも、今度はつらチェック+で自己診断できたらなと思います。
長文を失礼しました。読んでいただきありがとうございました。

感想1

つらチェックを活用した自分の生活や感じていることの分析を送ってくれてありがとうございます。「自分をもっと遠いところから見てみるという試み」の一つの地点として、つらチェックを使っているのだなと思います。私も数年前からちょくちょくつらチェックを試して定点観測としているので、同じく人生ハードモードから人生マイペースモードに変化した私自身の結果と比較しつつ、興味深く読みました。

あなたの生活環境や過ごし方の変化の中で、あなた自身が感じていることが変化していることが伝わってきました。また、その中で自分はこういう人なのかもしれない、というような自己理解が進んだ面もあったのかな?と文章から思いました。
私も「鈍感ポイント」が大きくマイナスなタイプで、むしろ、無理をしなくなる中でマイナスは増えました。でもそれは個人的には、自分の感じていることに目を瞑らなくなった、ともいえるのかなぁと思っています。

仕事成功願望が高得点なんですね。あらためて質問項目を読んでいたのですが、このパートで「はい」と答えるような思考が生活の中で役に立つこともあれば、たしかに制約になることもあるのだろうなぁと思いました。というか、どの項目にしても、環境の要請のギャップと自分自身とのギャップの両面があるものなのだろうなという気がします。

「「~ねばならない」以外の思考のまとめ方が思いつかない」という表現がとても興味深かったです。私自身も私に対して強く求めることはいろいろあるのですが、あまりmustの感覚を持っていなくて、未来を決めるのが嫌いなタイプなので、もうすこしあなたの思考を聞いてみたい感じがしました。

また私も糖質にかなり依存してきて、糖質に影響を受けているなぁと最近気づいたので、わかるなぁと思いました。血糖値の上下が大きいと、依存のループにハマってしまうこともあるみたいなので、近頃は低GIの食品を調べたりしながら生活してみていますが、習慣を変えるのはとても難しいなぁと思います。

「発する言葉の多くは他所向けに調整した上で発されています」ということについては、言葉を介したコミュニケーションというものにはある程度他者向けの調整の要素はあるのかな?と思いつつ、いつも翻訳しているような感覚だと疲れてしまいそうだなぁと感じました。ちなみにこの経験談は、あなたの本心からの調整や翻訳具合はどのくらいなんだろうと気になりました。
また、あなたの中に具体的に、理解してほしい(だけどだれかにしてもらえるとは到底思えない)事柄があるのか、それとも、あなたの気質や過去の経験や考え方などを全体的に理解する人、という意味で「理解者」という表現を使っているのか、それともまた別なのか……聞いてみたいなぁと思いました。

私もこれまでの人生で、かなり同質の人とばかり関わってきて、その後数年間、さまざまな特性や背景をもつ人がいる場所で生活したことで、自分の視野を少しは広げてくれた気がしているので、あなたの記述に共感しました。
死にトリやつらチェックを活用してくれてありがとうございました。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。
つらチェックという変わらぬ一つの指標(設問・回答の文章)があることで、自分の変化がわかりやすく見えてくる構図に興味深さを感じながら読みました。私は好きな小説を数年あけて読み返すときに、そういう感覚を抱くことがあるな…と思います。あなたの『気遣い』の話のように、言葉の読み取り方が違っていって、そこから思うことも変化していて・・・。自己理解・世界への理解の解像度が徐々に上がっていくことを感じながら、でもまだこの後も変わっていくんだろうなあと思うと、自分が主観という不思議な世界でしか生きていないことを感じて不思議な気持ちになります。

この一年間の変化は、あなたにとって概ね前向きなものだったのですかね。分析の内容だけでなく、語り口に落ち着きや余裕があるように私は感じました。
あなたの自己分析の表現で「思想も強く頑固なので、SNSなども含めて、他人の価値観とよくごつごつぶつかっているイメージがあります」がよいと私は思いました。他人の価値観とぶつかる、というネガティブに捉えてしまいがちな出来事を、まあまあ自分もみんなも個性があるからしょうがないね、と柔らかく受け止めているように私は感じたのだと思います。(私自身が、自分の頑固さにネガティブな評価を捨てられないので、余計に羨ましく思っているのもありそうです)

自分を理解してくれる人の話で出てきた、「発する言葉の多くは他所向けに調整した上で発されています」という表現は、とても自分と重なりました。私の場合は困惑よりは、傷つけてしまう恐れの方が大きいので、調整のために気を張っています。(ところで、困惑を呼ぶ表現とは一体どんなものなのでしょうか…。好奇心が湧いてきています)
理解してくれる人は実際どんなものなのか、ちょっと考えてみたい気持ちにもなっています。どんな人でも、100%理解し合うことは不可能ですし、ぴったり息が合う・意思疎通できていると感じていても、本当のところはわからないわけですし…。あなたの「理解」というのがどんなイメージなのか、つらチェックで書かれている「理解してくれる人」はどのような思いで書かれたものなのか、、私にとっての「理解」はどんなもので、どんな「理解してくれる人」がほしいのか、そんなことを語り合ってみると、また色々と発見があるのかな…なんて想像をしています。
つらチェックという一人で完結するコンテンツを介して、ここまで対話というものを考えるに至ったことも、世の中は不思議だとふと思いました。

今後もあなたが人生マイペースモードでいられる環境で生きられたらいいな、と勝手ながら願っています。

お返事1

感想1さんへ

「自分をもっと遠いところから見てみるという試み」はマイブームになっているみたいです。
今も心理の本が手元にあります。順調に読めているかは微妙ですが……。

鈍感ポイントが大きくマイナスなことについて、自分の感じていることに目を瞑らなくなったというのは新しい視点でした。
たしかに、以前は「本来はこんな感じ方をしちゃいけない」みたいに考えて感性に蓋をするという場面もあったように思うので、点数に影響しているかもです。

「「~ねばならない」以外の思考のまとめ方が思いつかない」という表現について、体験談を送った後にも考えていたのですが、もしかすると?という推測がひとつ思いつきました。
思考というより原因分析なのですが、「~ねばならない」思考は、自分の中の高い能力と低い能力の差によって生じている部分があるかもです。
自分は以前に知能検査を受けていて、ある能力だけが突出して高いことが分かっています。
他の能力は平均より低いのですが、これまでの人生は、この高い能力を駆使しながらこなしてきた感覚があります。
仕事や日常生活での理想、他人からの第一印象は高い能力の方に引っ張られるのですが、低い能力の方は頑張ってもなかなかついてきてくれません。
この時の歯痒い感じが「~ねばならない」思考に加担しているのかも……と思いました。

糖質以外にも依存しているものはいくつか思いつくのですが、どれも抜け出せる気がしません。
心身によくないだろう類の依存ってほんとに楽なので、すぐに手を出しては抜け出せなくなってしまいます。
どこかで抜け出せるループに入ればいいですが、自分に自信がないと難しそうですね。

この体験談の本心からの調整具合は、今読み返して1割から2割だと思います。あまり調整の必要のなかった文章でした。
少し説明が難しいのですが、ここでいう他所向けの調整というのは、例えば相手の高い能力に合わせようとしているときに行われます。
自分では相当難しいし時間もかかるだろうなと思うものを、すぐに終わるよねと言われたときなどです。
自分はけっこうな頻度でこの相違が起こります。そして、素直に難しそうと答えると相手がえ?となって会話が止まるんですよね……。
このような相手の反応がトラウマになっているのかなと思います。会話は相手の想定を下回らないように調整を繰り返すゲームです。

今は、この自分の極端な能力差によって発生する苦しさを理解してほしいという意味での理解者を求めているんじゃないかということにしてます。
もちろん、過去の経験や考え方にも理解を求める気持ちは及んでいると思いますが、そこまで触れると話が散らかりそうなので一度畳んでおきます。

体験談への感想を書いてくださりありがとうございました。

感想2さんへ

好きな小説を数年あけて読み返すことは、自分もやってみたことがあります。昔と今とで読み取り方や印象がこうも違ってくるのかと驚いた思い出です。
また、体験談を含む何かしらの文章を書くときも、たぶんこの文のいくつかは将来の自分が読み返したときにぜんぜん共感できなくなっているんだろうな、と思うことがよくあります。
そういう思考がよぎったときには、当時の自分の思想の指標にしよう、と言い聞かせて手が止まらないようにしています。

今回の体験談では、事実に対する感情をできるだけ無くしてみようとしています。
「他人の価値観とごつごつぶつかる」という表現は、その試み故のもののように思います。
自分の中にも、自分の思想の強さや頑固さに対するネガティブな思いがあったりします。
それをあえて要らない情報として省くと、自分にとって一風変わった表現に仕上がってくれるのかもしれません。

ただ、これは今まさに救われたいという状況からある程度離れているからこそできる試みだとは思います。
自分の心が苦しいときに、感情を省くという、助けてというメッセージをあえて載せないようなことをするのはとても難しそうです(実際、今回の体験談でもいくつか感情が漏れ出ている箇所がありますね)
翻せば、例えば自分が数年後に今回の体験談のような文章を書くとき、より感情が表に出てきているなら、少なくとも今よりは苦しい状況と言えるのかもしれません。

困惑を呼ぶ表現のひとつは、感想1さんへの返信の後半部分で具体例を挙げているので、ここでは省こうかなと思います。
自分も体験談では何気なく理解という言葉を使いましたが、返信を考えている間にだんだん分からなくなってきたかもです。
自分が他人と同化したい(他人を自分と同化させたい)という欲求を理解と言っているのか、以前の体験談で語った相談員のようなものなのか、それらの理想がひとかたまりになっているのか……。
そういった自分でも分からない自分を分かりたくて、分かれば少しは生きやすくなると思うから、自分の客観視に熱心なのかなと思いました。

人生マイペースモード、長続きさせたいですね。何かの間違いで人生イージーモードになってもいいよと、しょうもないことを考えました。
体験談への感想を書いてくださりありがとうございました。

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