経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

漠然とした生き辛さ

漠然と生きていくのがつらいと感じている、
生まれてから定期的に私は何をやっているんだろうと人と比べて劣等感を感じ、
恋愛も友達もいない孤独な日々を過ごしている。
1人でも恵まれている、趣味もあって仕事もあって食べるものには困っていない。
問題はプライベートや人間関係、当たり前のように恋人がいて、当たり前のように遊ぶ友達がいる。
そんな日々に憧れがあったけど私はどんなに努力しても何故か人が離れていく、これは私の問題なことは
自覚しているが、何をどうすればいいかもう分からなくなってきた
自分が生きてても死んでも何も意味はないんじゃないかと考えてしまい、元気がなくなる。
そして世間はもっと努力しろと言われている気がする、努力して努力して何度も1人で辛い思いをしてきた。

1人で自立しないといけなかった、だって誰も助けてくれないことを知っているから。
いじめも不登校も自己破産も躁鬱も経験した、もう無理だと何度も言いたくなる、
逃げたい逃げたい、今もそんな気持ち、辛い思いすら劣等感を感じる。

これと言って夢もない、お金が欲しいと思った時もあるけど、
お金を得ても欲しいものがない、こうなっていたら幸せという理想像が思い浮かばない
死にたいと思う事すらできない、どうしたらいいのか分からない

感想1

あなたが今まで一人で耐え続け、必死に生き抜いてきたこと、それでも漠然とした孤独感や劣等感などを拭うことができず苦しさと日々戦っているような、切実な思いが伝わってきました。周囲に目をやると自分にはないものが当たり前に手に入れられているようになぜか見えてしまうものだなぁと思いながら、それらが積み重なっていき自分には築けないと感じてしまうことで「自分が生きてても死んでも何も意味はないんじゃないか」と思ってしまうのは無理もないことだと私は思いました。
「もっと努力しろ」という社会の無言のプレッシャーに押しつぶされながらもあなたは努力してきて、それでもいくら頑張っても認められることがないだけではなく、むしろたくさん傷つくことを経験してきて、そりゃ逃げたいし辛いと思って当然だよ…と伝えたい気持ちになっています。大きな劣等感を抱いてしまうのはあなた自身に問題があるのではなく、まだまだ残念ながら自己責任で全てを乗り越え、努力で道を切り開くべきという考え方が根付いている、この社会の在り方に問題があるように私は思います。「自己責任」という考えが、無理に「自分を強くしなくては」とどんどん自分を追い込んでしまう人を増やしている要因だと思います。それが当たり前になることで、誰かに頼ったり、他者の力を借りて生きるということができなくなると思いますし個人レベルの問題で考えるのではなく社会全体でもっと考えていく必要があると改めて感じています。
幸せや理想が思い浮かばないのは、それだけあなたがこれまでの人生を精一杯に頑張って生きてきたことによる結果(見えてきたもの・気づいたものの影響が大きいのではないかな…と)なのだと私は思いました。無力だからとかではなく、心が深く疲れきってしまっているのかもしれないと思っています。どっちつかずな状態はなんとも不快感が続いてしまうものだと思いますが、実際心の安らぎがない状況でプラスの方向に自分のビジョンを思い描くことは困難なことだと自分も経験して思うことです。まずは今まで努力してきた自分をちょっとでもいいので労わってほしいなと伝えたい気持ちにもなっています。
そう簡単に抱えているモヤモヤが晴れることはないかもしれないですし、社会の期待に押しつぶされそうになることがあるとは思いますが、せめてあなたにとって少しでも心が休まったり、心の重荷を下ろせる場所として死にトリがあれたらな…と思いました。また死にトリが必要に感じられたらいつでも参加してください。

感想2

タイトルの「漠然とした」という表現にある通り、何か具体的なことがあるわけではないけれど、でも明確に生きることへの辛さを抱えていることが伝わってきました。そして、それはとても重く深いところに隠れているように思えました。今は仕事もあり、趣味もあって、生活に困っているわけではなくても、これまでにたくさんの苦労や我慢を一人で耐えてきたことが書かれていました。詳しくは書いていませんが、そうしたこれまでの蓄積が漠然とした塊となって、あなたの中に重くのしかかっているようにも感じました。一般的に「孤独」や「寂しさ」と言われるものをリアルなあなたの言葉で表現していると強く感じました。
そのこととつながっているのかもしれませんが、定期的にやってくる劣等感が印象的でした。実は比べる必要がないことでも、私たちは比べてしまうことが多いですし、優劣をつけてしまうことも多いように思います。それによって苦しくなることもある(というのか苦しくなることの方が多いかもしれません)のに、やっぱり比べたり優劣をつけてしまうのはなぜなのか、考えています。
そう考えてみると、あなたが書いてくれた内容に真実があるのかもしれないと思いました。あなたが表現してくれた「プライベートの人間関係」「恋人」「友達」といった、日常の人とのつながりがあれば、日々のちょっとした辛いことや悩みや苦しみがあっても、分け合うことができるので、一人で抱えなくても済みますし、優劣をつけてしまう機会から遠ざけてくれるのかもしれません。あなたの言う通り、一般的には「恋人」や「友達」という存在が代表的なものかもしれませんが、私はそれ以外にも分かち合えるつながりのバリエーションが実はあるのではないかと思っています。そして、一般的な「恋人」や「友達」がすなわち万能なのではなく、むしろ人間関係を苦しめる要因にもなるように思っています。これまでの人が離れていく経験はあなた自身は「自分の問題」と書いていましたが、見方を変えると、無意識に自分を守っているのかもしれないとも感じました。
ただ、そんな孤立感の中で、わざわざこうして死にトリに気持ちを書いて送ってくれたことをありがたく思います。本当にささやかですが、死にトリも一人で抱えてきた人が安心して荷物をおいていける場所としてあり続けたいと思っていますし、いろいろな人たちと対話を通じて、新たな人のつながりや生き方を考え続けたいと思っています。

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