亡霊

20代 女性


わたしの人生をめちゃくちゃにした親たちに復讐したい。
そんなきもちが燃え上がる夜があるのです。

父と母は不仲でした。
母はヒステリックで強烈な人で、いつも自分が可愛いという人でした。

目の前の人が、母より幸せではいけない。
だって母が惨めになるから。
目の前の人が、母より不幸ではいけない。
だって母がいちばん辛くて救われるべきだから。
一番頭がいいのは母。
一番働き者なのは母。
一番まじめで、真っ当で報われないのは母。

父は人の気持ちがわからない、バカな男。
わたしはすぐキレて反抗する、社会のことを知らない怠け者な娘。
弟はのらりくらりと生きている、だらしない息子。

父は気の小さい男です。わたしや弟を気にかけていたようですが、母が怖くて、結局助けてはくれませんでした。

父がどんなに頼りないか、母が語るのを聞くのがわたしの役目でした。
なんどもなんども、同じ話を。

愚痴を断ればキレられ、お前はダメだ、お前はダメだ、と言われて育ちました。
母の前では、父も、わたしも弟も、ダメな奴なのです。
(そもそも、人のことお前って言うな)

週に少なくとも2回は
3時間以上怒鳴り合い、罵り合いのケンカ。
心がボロボロになって、とにかく惨めな子供時代でした。

高校卒業の時、専門学校への進学を希望した時のことです。
「そんなお金はないし、うちは、自営業だから奨学金は借りられないよ」

もちろん嘘です。
母はその頃、ギャンブルで作った借金で自己破産。そして「あんな父親の名前の元で、お金を借りさせたくない」とのことで
嘘をついていたようです。
あまりにもひどい。

高卒で働き出してからも、怒鳴り合いの生活が続きました。
せいぜい、行く場所が学校から職場になっただけ。

だけど、4年間頑張って働いて
自分で稼いだお金と、自分で組んだローンとで
専門学校にいくことができました。
あの時は嬉しかった。
行きたかった学校だもん、成績もすごくよくて。
新しいお友達もできて……

だけど、秋を過ぎたころ
母がじわじわと私を新しい言葉で罵りはじめました。
「お前みたいなのを、パラサイトって言うんだよ」とか。
「学校の課題をやるな!」とか。

とにかく、母は一番自分がかわいいのです。
一番かわいい母が、日々に忙殺されて
その娘は夢に向かってガンバル、なんて許されないのです。

でも、学校で自分のやりたいことをするうちに
やりたいことが同じ人と過ごすうちに、
母が一番かわいいのは
母の中の世界だということがわかってきました。

卒業して、しばらくして
実家から2時間以上かかる場所へ
一人で引っ越しました。

家賃3万円の小さなワンルーム。
新しいわたしの城。

一人で暮らしても、母から植え付けられた惨めな気持ちはなかなか薄れていきませんでした。
初めの2年は泣いて過ごして。
次の2年はほぼ、寝たきりで。

そして、さらに1年かけてゆっくりと
努力が実を結び。

惨めな気持ちに向き合って
心の寂しさを受け入れて
自分を大切に、周りにやさしく。
まだまだ拙いけど。

好きな仕事も少しずつ増えてきました。
仕事仲間もいて、いろんな考えの友達も、恋人もいて。

母の世界では「世間ではやっていけない」わたしも
ひとえに、まじめに努力をしてきたことを
他人が評価してくれるようになりました。

それは他人だけではなく……

離れて住む母はたまに電話すると、くどいほど言うのです
「あなたはえらいね、あなたはすごいね、あのときはごめんね」と

母や父に振り回されて、ギャンブル依存になってしまった弟と一緒に住み、
甲斐甲斐しく、時に激昂して弟の世話を焼く母。

離れていれば、わたしと母は、母の世界で競わなくてすむのでしょう。
ごめんねなんて、なんて白々しい。

弟の自立を促しても、母を叱っても。
暖簾に腕押しどころか、逆ギレされることすらあるのです。

そして、またわたしの機嫌がよければ
「ごめんね、ごめんね」と繰り返すのです。

めちゃくちゃになった人生の償いを
母から奪えるならどんなに素晴らしいでしょう。
でも、何もないのです。
母から得られるものはもう何もないのです。

わたしの人生をめちゃくちゃにした親たちに復讐したい。
そんな気持ちが燃え上がる夜に
頭に浮かぶことがふたつ。

わたしがこのまま、とても幸せになって、いっぱい人に認められること。
わたしを惨めにさせた親たちに逆らうように、うんと幸せになってやる!という気持ち。
そして「そんな娘を持つ、誇らしげな母の姿」
なんて、憎たらしいんだろう。

もうひとつは
わたしが自ら命を絶つこと。
「娘が自殺したことを、恥じる母と父の姿」

どうせめちゃくちゃなわたしの人生。
わたしの命一つで、今後の人生、親たちの顔に泥を塗りつけられるなら
なんてすばらしい、スカッとするに違いない!

そう思いながら
まだ死ねずに生きています。
どうせ生きるなら、惨めな人になりたくないとまじめに足掻いています。

まじめすぎて、どうもうまくいかない時もあるけど。

烏滸がましいけども、
今死にたいほど苦しい人たちへ…

死にたいほど苦しいのが、自分のせいだと思えるかもしれないけれど
それは今周りにいる人たちが、あなたの背中の上に乗っかっているからかもしれない。

どんなに素晴らしくて強い人でも、他人をおんぶしたままじゃフルパワーで戦えないから。

自分を変えるのは、環境を変えてからでいい。
環境が変われば、きっと自分も変わっていく。変わる必要があるのかを考えられるようになる。

だから、自分のために生きてほしい。
わたしは死にたいのは自分のせいじゃなかった。
死にたい気持ちからも、周りの人からも、逃げて、逃げて、逃げ切って。

わたしも、心の中の親たち
死にたい亡霊から早く逃げ切れたらいいな。

感想1
文中の家族の描写を読み、投稿者さんはいままでのご自身の経験を理解するために、考えたり意味付けしたりしながら過去の出来事を整理しようとしてきたのかなと思いました。とくに母親さんの「ヒステリックで強烈な人で、いつも自分が可愛いという人」というところからの文章を読んでいると、投稿者さんにとって違和感を感じつつも従わざるを得ない存在であったからこそ、客観的に考える必要があったのかもしれないと想像しています。
母親さんと父親さんはとても余裕がない状況だったのかなと思いました。また、その家庭環境に安定的に関われる第三者(大人)がいなかったのだろうか?と思いました。大人であるからといって気持ちに余裕を持って生活できる状況ばかりではないこの社会で、家族が孤立してしまったり、側から見たら関わりがあっても必要な時に他者が介入できる状況でなかったりすると、子どもも含め、その家族を構成する人たちはみな苦しくなってしまうと思います。
その中で投稿者さんは距離をおくことができたということで、読んでいて少しだけ安心しました。ただ一方で、物理的に距離をおいても気持ちの距離をおくことは簡単ではないことを改めて感じました。
「わたしの人生をめちゃくちゃにした親たちに復讐したい」と最初に書かれているように、その思いが投稿者さんの原動力にもなってきたのかなと思います。
また、「初めの2年は泣いて過ごして」からの文章を読んで、投稿者さんはご自身のしんどさとゆっくり関わることで変化が生まれたのかなと思いました。投稿者さんにとって母親さんのことや家族のことを考えることなく穏やかに過ごせる時間が少しずつ増えていけばいいなと思いました。投稿ありがとうございます。

感想2
復讐したいという気持ちは、親たちから多大な影響を与えられたので、それに見合う影響を親に与えなければ釣り合わない、といった考えがもとにあるのだろうかと想像しました。親たちに影響を与えたいということは、その親たちの子として生きる(生き終える)ことを自分に納得させようとしてのことだろうか、とも考えました。ただ、納得したいというよりも、それを運命のように自分に強いていないといけないように感じるのかなと思いました。一方で、逃げ切りたいという気持ちは、この先は親たちと影響を与えあうことなく暮らしたいということなのかなと思いました。そうして気持ちが行ったり来たりするのも、自然なことのように思います。
母さんは自分の感情やさまざまなものをあなたに背負わせていて、あなたの世界の中に土足で踏み込んでいるように見えたので、人生をめちゃくちゃにされた、と怒りや惨めさを感じるのも無理はないと思います。
専門学校での生活や人との関わりが、親との関係を一歩引いたところから見て相対化するきっかけになったのだなと捉えました。そうした色々な視点があることを知れるような環境に出会うことは、なかなか難しい世の中なのかもしれないと感じます。私たちには見えていないものや知らないことがたくさんあり、それは一人一人違うので、共通の理解に至ることや、理解を土台にしてサポートし合うことは容易ではなさそうです。でも、日々過ごす中で少しずつ分かることが増え、自分も変わっていく過程には楽しさもあると思います。
いろいろな可能性のある中で、あなたが自由に、落ち着いて、毎日を重ねられるようになればと思いました。