トラウマは『生きづらさ』を生む

埼玉県・30代・男性

出会った人が悪かった。今ではそう思えるようになっている。

思えば、学生時代は他の子よりも頑張れる子どもだった。学級委員や代表委員、部活では部長を務めたり、成績も比較的優秀であった。

大きな転機があったのは、高校時代。ダンス部で同級生からいじめにあったのだ。『解離性健忘』のためか、あまり記憶は定かではない。ぼんやりと覚えているのは、「キモい」「クサい」「役立たず」などの暴言。急所を蹴り上げられるなどの暴力。それを携帯電話で撮影し、他の生徒に見せびらかされたこともあった。持ち物への落書き、破壊はよくあることだった。他の生徒も見て見ぬ振り、教員もいじめには1年以上気づかず、気づいた後にも大した対応はしてくれなかった。

これらは正直、あまり精神的にこたえるものではなかった。いじりの延長で、なんとなく周囲が笑っていたからかもしれない。『解離』をうまく使って、感覚を麻痺させていたからかもしれない。それでも強烈に記憶に残っているのは、2つの出来事。トラウマの言語化は難しいので、うまく伝わるかはわからない。

1つは、部活の練習の休憩中、口にカマキリを入れられたこと。今ではめっきり見なくなったが、当時はある芸人が鼻にザリガニをはさませて笑いを取っていたが、その延長である。身体を押さえられ、口にカマキリを近づけられると、唇に鎌状の前足がかかるヒンヤリとした感覚があった。肉食昆虫の本能だろう。ボリボリというグロテスクな音と共に、唇の肉を喰い始めたことがわかった。慌ててカマキリを引き離すと、カマキリのその口元が自分の血で真っ赤に染まっていた。

もう1つは、3年生の頃。自分もダンス部の同級生も、すでに全員部活を引退しており、いじめからはもう解放されていた時期だった。文化祭のアフターパーティーのような舞台で、有志でパフォーマンスをする生徒もいた。自分は国立大学の受験勉強に集中するため、参加は見送り。だが、いじめの加害生徒たちは舞台に立っていた。推薦で受験をする生徒が多かったため、余裕があったのだろう。パフォーマンス自体は正直覚えていない。しかし、それを観ていた生徒が、加害生徒に黄色い声援を飛ばしていたことが、やけに記憶に残っている。いじめの出来事を知っていた元ダンス部の同級生も、浮かれた声援を送っていた。いじめを受けていた自分には、気遣う言葉を送ってくれさえもしなかったのに。世界から自分だけが切り離されたかのような、圧倒的な孤独感が襲ってきたことを覚えている。その日を過ぎて少しして、自分は不登校になった。

これらの記憶は、なぜか最近までほとんど忘れていた。忘れることで困難を乗り越えられるように、脳がそうさせたのだと思う。

不登校のまま卒業してひきこもり、1年間の自宅浪人期間を経て、志望していた国立大学に受かり、その大学も無事卒業した。サークルでは会長も務められた。成人式では卒業した中学校の代表として、新成人の主張を発表できるほどに回復した。いや、回復したと思い込ませていたのだろう。結果、過去に蓋をして生きる方法は失敗に終わった。

いじめのない学級をつくろうと教員を目指し、実際に教職に就いたが、2年目で多忙さと重なるストレスで『抑うつ状態』を発症し、失職した。6年ほど治療を続けたが良くならなかった。診断も『双極性障害』にいつの間にか変わっていた。

最近、それまで通っていた病院への不信感が募り、転院したところで診断名も変わった。『他に特定されない極度のストレス障害』(disorder of extreme stress not otherwise specified : DESNOS)と説明を受けた。やっと自分にあった診断名をもらえたと思った。治療をする内に、良いのか悪いのかわからないが、高校時代の辛い記憶も少しずつ思い出されるようになってきた。

加えて、いじめ以前の小中学生の頃から、6歳離れた姉から日常的に暴言を言われたり、散々な扱いを受けたことも思い出してきている。姉は怒りが強いときはよく大声で怒鳴ったり、壁を殴って穴を開けたりしたこともあった。両親もかなり手を焼くような姉だったので、両親が自分をかばったり助けてくれた記憶はない。動揺や恐怖心、怒りなどの感情を、自分の意識から切り離す『解離』という手段は、思えばこの時に手に入れたものだったのかもしれない。この時期の方が健忘がひどいので、自分のトラウマは、実はここから始まっているのかもしれない。

希望は以前より多少感じているが、生きづらさはまだ変わっていない。人に心は開けず、友人らしい友人もいない。悩みを相談できるような相手もいないので、ストレスは一人で抱え込んでしまう。何気ない出来事が過去のトラウマと重なってしまい、勝手に精神的に追い込まれることもある。たちの悪いことにトラウマは記憶の奥底にあるので、発作のきっかけになった出来事がどのトラウマと紐づいているのかは、かなり後になってから気づくことが大抵である。それどころか、全く気づけないままのことも少なくない。そんな不安定な状態なので、仕事はできてもフリーターが精一杯である。

今はトラウマ関連の本を読み漁っている。今まで精神疾患、精神障害の本はいくつか読んでいたが、なんだかしっくりこないものばかりであった。しかし、トラウマ関連の本を読むと、自分のことが書いてあるという実感がある。なぜこんなにも生きづらく感じるのだろうという、漠然とした疑問に対して、自分にとっての納得のできる回答が、まさにここに載っている。

トラウマから生き延びた人たち自身が中心となって研究を推し進め、心に寄り添いながら治療にあたってきたトラウマの歴史自体が、いつの間にか自分にとっての希望となっていた。トラウマと戦ってきた治療者と患者が確かにそこにいたという歴史が、自分は一人じゃないと感じさせてくれた。

まだ具体的には何も決まっていないが、いつかは自分もトラウマ治療に携われるようになりたいと思い始めている。それが何年、何十年先になるかはわからないが。自分で言うのも何だが、能力は人並み以上にあると思っている。ただ、出会った人が悪かった。人によって人生を滅茶苦茶にされてきた悔しさを胸に、生きづらさを抱える人の力になれる日がいつかきっと来ると信じて、今もまだ耐える生活を送っている。

感想1

このような度が過ぎる暴力・暴言を受けているにもかかわらず、なぜ大人は誰も助けてくれなかったのだろうか…と思いました。どうすれば助けられたのだろう…とも思います。
自分の生きづらさの正体を理解する手掛かりとなる知識が得られ、それは同じように経験してきた人や支えてきた人たちの歴史の上にあったことが分かりました。心身に深く刻み込まれるような大きな危険と恐怖に晒されるような経験は、しないほうが苦しまなくていいので、ないに越したことはないと思いますが、実際には軽減はできても、なくならないのではないかと思っています。だから、事態が起きる前の予防と、起きてしまったときにすぐに助けが来ること、それから長期的に回復できる安全な生活環境があること、どれも必要だろうと考えています。また、身近で理解のある人が多ければ多いほど、しんどさはマシかもしれないと考えました。これからも、あなたの感じる痛みも希望も共有していただけたらと思います。それはたとえ目立たなくても、誰かをそっと支える力になるかもしれないと思います。

感想2

蓋をしてもし切れない、過酷な記憶について教えていただきありがとうございます。

姉からの暴言・暴力、そしていじめから身を守るための対処として解離という状態を無意識に作ってきたのだろうと思いました。

また、読んでいて、とても整理されている文章だと感じました。ここまで整理するには、過去や自分の状況と向き合ったり、内省したりする努力が多く必要だったのではないかと想像しています。

投稿者さんの生々しい記憶のあとで、「希望」についての文章を読み、投稿者さんがどのような経緯で自己理解や認識を深めてきたのだろうかと気になりました。「自分にあった」と感じられる診断名がついたことや、そこからトラウマ関連の本を読み漁っているということで、自分の状態像に名前をつけ、距離を取りながらも触れることができたのだろうかとも思いました。ただ、辛い記憶も思い出されると書かれていることから、距離を取りきることはむずかしいのではないかとも想像しました。

「トラウマと戦ってきた治療者と患者が確かにそこにいたという歴史が、自分は一人じゃないと感じさせてくれた。」という一文にぐっと引き寄せられるような感じがしました。一人ひとりのそれぞれの記憶や状態はそれぞれの唯一のものではありますが、おそらく、生き物として共通していることもあるのでしょう。そのように人は共通することを見つけ出しながら解決策を探し求めてきたのだろうということを感じました。

暴力や暴言などがなくなればいいと思っても、実際問題としてあるときに、私たちはどのようにしたらいいのか、よく考えます。そして、私は経験談を読ませていただくことで、さまざまな困難な状況から生き延びてきた人たちの経験や言葉から、多くのことを考える機会をもらい、力をもらっていると感じています。

投稿者さんが「耐える」だけの生活でなく、そこにあたたかい感覚、落ち着ける時間があることを心から願います。

ー返信ー

〈感想1を読んで〉

感想ありがとうございます。

高校の先生方は、自分が学校を休みがちになったことで、初めていじめの存在を知ったくらいなので、日々の学校生活の中で暴言や暴力があったことには全く気付いていなかったのだと思います。

また、いじめの実態調査など、自分の方には何のヒアリングもなかったことも、自分への心理的な不安を考慮してのことなのかもしれません。

これらには、学校の教員の多忙さの問題も関わってくる内容なので、自分は周りにいた大人たちを特に責めるつもりはありません。

ただ、誰か一人でも、トラウマについて理解のある方がいて、親身に相談してくれたり、対応してくれる人がいてくれたらな、と今では思います。

当時は、強いストレスを受けるその環境さえ乗り越えれば大丈夫だと、自分を含め甘く見ていたところがあります。

適応障害等と違って、トラウマ関連障害はその環境を離れられたとしても、人格や行動に関わる部分への影響は残り続けてしまうため、長く強く苦しめられることが後になってわかりました。

現在ではスクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーなど、教員以外にも対応してくださる方は増えてきていますが、すべての学校に毎日いるわけではないと思います。

いじめもSNS等を使った、より大人の目に届きにくいところで行われるようになってきているので、対応も難しくなっているのではと思っています。

もし、今まさに、いじめなどで苦しんでいる方がおられたら、友達や家族、学校の先生だけでなく、相談員さんのような方に聞いてもらう選択肢もありますので、一人で悩まずに話を聞いてくれる人を見つけてほしいと思います。

正直、周りの人たちは思ったよりも自分のことを見てくれているわけではないので、周りから手を差し伸べられるのを待つのではなく、自分から助けを求めることが重要だと思います。

人は確かに誰かを傷つける存在ですが、その傷を癒やしてくれるのも、確かに人だと思うのです。

人を信じる心だけは、子どものうちから無くしてほしくないと思っています。

〈感想2を読んで〉

感想ありがとうございます。

また、少ない情報の中から分析を深めて下さって、本当にありがとうございます。

おおむね、ご想像の通りかと思います。

自分は人と関わることに疲れを覚えるようになってしまったので、一人で自己分析したり内省したりする時間は、他の方よりもかなり多かったと思います。

自己理解や認識を深めたのは、そういった経緯もあると思いますが、自分が『抑うつ状態』と診断されて間もないタイミングで、とあるドキュメンタリー番組で「いじめを受けた経験が、後のうつ病のリスクを増大させる」という報告を目にしたことから、自分の苦しみの根源はいじめにあったのかもしれないと感じるようになりました。

その後、数年してパーソナリティ障害についての本を読んだときに、『回避性パーソナリティ障害』に当てはまる箇所が多く感じ、やはりなかなか治らない『抑うつ状態』や『双極性障害』は表面にあらわれている症状に過ぎないだけで、根源にはもっと別のものがあるのではないかと、ほとんど確信するようになりました。

以前の病院では、そのことを聞いてもまともに取り合ってもらえず、自分の考えを踏まえて対応してもらえそうな病院を探して転院し、先に述べた通りの診断名になりました。

最初はいじめの体験をトラウマといっていいのか不安なところはありました。

自分の中でのトラウマは生死に関わる体験であって、それによって引き起こされる『PTSD』(Post Traumatic Stress Disorder:心的外傷後ストレス障害)のイメージだったのですが、長期に渡る大きなストレスによっても似たような症状が出るということを知り、受け入れられるようになりました。

いじめがトラウマに含まれるかは、まだ医学的には賛否が分かれるところかもしれませんが、トラウマ関連の本を多く読む中で、やはりあれは自分の中ではトラウマだったのだと思えるようになっています。

トラウマ関連の本を読む中で、『サバイバーミッション』という言葉に出会いました。

トラウマ体験から生き延びた人たちのことをサバイバーと呼ぶこともあるのですが、サバイバー自身が他のトラウマに苦しむ人たちを救おうと、まるで自らに課されたミッションかのように行動してしまうことを言うそうです。

一見、自己犠牲的な、個の幸せを後回しにしているような行動に見えても、ヒトという種の存続のためには必要な行動なのかもしれません。

教員を志したことも、今思えば『サバイバーミッション』だったのかもしれませんが、やはり自分が報われているという感覚がないと、心は簡単に崩れてしまうのだと思います。

あたたかい感覚や、落ち着ける時間が日々のどこかで得られるよう、少しずつ人と関わることに喜びを感じられるように過ごしていきたいと思います。