経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

生まれてこなければよかったのに

自分に価値がなく、生き続ける意味を感じません。生まれてこなければよかったのにと毎日思いますが今の所自殺する勇気はありません。病院に行ったら診断がつくんだろうなとは思いますが、生活は問題なくできているし同僚の目が気になり行っていません。生来の気質もあるのでしょうが、家庭環境・学校生活という環境因子も影響していると思っています。
両親は高学歴・高収入で夫婦仲も悪くなく、端から見ると非常に恵まれた環境にあったと思います。一方で偏った教育方針をとっており、幼少期から漫画、アニメ、ドラマ、バラエティ、ゲーム類はほとんど禁止でした。小学生になってからはできの良い弟と比べる、私のほしかったものをくだらないと一蹴する、良い成績をとっても当たり前と言われる、家事をしていても十分でないとため息をつかれるなどほとんど褒められることはありませんでした。特に3人姉弟の長女だった私は矢面に立つことが多かったからでしょうか、幼稚園の頃からすでに「お母さんに怒られる」が口癖で、そのことでも度々叱責されました。大人になったらわかるのです、母も仕事が忙しくそれどころではなかったことは。それでも子どもは親に自分の方を向いてほしいのです。
学校ではアトピーとくせ毛という、容姿にからかわれやすい特徴があったからか、小学生の頃から無視されたりひどいあだ名で呼ばれたりと露骨に避けられていました。また先述した両親の教育方針により会話についていけず、仲間はずれにされることも多々ありました。小中一貫校であったため中学校でもうまくいかず、バイキンゲームの対象にされて男女問わず誰も私自身や私が触った物に触れたがりませんでした。隣の男子の椅子とわざと交換されて、気づかず座った彼を囃し立てる、掃除時間に下げた机が終了後私の列だけ動かされないまま放置されているなど、陰湿でした。担任は気づいていたのかどうかもわかりません。親にばれたくない一心で休まず学校に通いました。しかし、移動教室で私の席に座らなければいけなくなった男子が紙を敷いたことにショックを受け教室を飛び出してしまい、それまでのことが学校で問題となりました。学校からの電話で初めて知った親からは、なぜ言わなかったのか責められました。
高校から地元を出たかったけど家庭の方針で叶わず、結局ほとんど同じメンバーと生活しました。流石に表立ったものは減りましたがすごく苦痛でした。
大学で初めて地元を出て、世界はこんなに楽しいのかと思いました。隣に座っても避けられない環境、喧嘩をしても関係が壊れない友人、何もかもが新鮮でした。親元を離れたことも大きかったと思いますが、少しだけ自由に生きられるようになりました。一方で過去が消化できているわけではなく、隣に人が座らないだけで避けられたと思い込んだり、遠くで笑う人が自分のことを言っていると疑ったりすることはままあります(だいぶマシになりましたが、、、)
現在社会人2年目です。今まで両親が望む生き方をして(進路も両親の方針を反映しました)、自分が傷つかないために、人を傷つけず人に嫌われないような生き方を選んできたせいで、自分での意思決定や感情表現(特に怒り)が苦手です。重要な進路選択も、「〇〇がこう言ってくれたから」「☓☓にこんなことを言われたから」などで決めそうになっています。友人の1人から過去に囚われすぎだよと言われたとおり、消化できたら1歩前に進めるんだろうなとは思いますが、学生時代を思い出しても泣けるわけでも怒りをおぼえるわけでもなく、両親と喧嘩するのも面倒で思うところは何一つ伝えていません。
自分が生きてて良かったと思えないこと、もう誰にも同じ思いをさせたくないことから子どもを作らないことは早くから決めていましたし、30歳が近くなってもその思いは変わることはありません。
ただひたすら空っぽで、死ねないから生きているだけの自分が本当に嫌になります。病気でも事故でもなんでもいいからサクッと死ねたらなと毎日ぼーっと思いながら今日も生きています。

感想1

経験談を読ませていただきました。長女であることや容姿など、自分で選べることではないことを理由に、「生まれてこなければよかった」と思わされるような待遇を受けることが、私はとても悲しいと思いました。親の仕事が忙しいのは、子どものせいではないですし、家事が十分でなければため息をつかれるというのは、あなたの心も人格も踏みにじられているようにさえ感じてしまいます。

幼少期から親に禁止されているものが多くあったということですが、それは教育という名目の命令・束縛なのでは?と思ってしまいました。あなたと親で話し合いをして決めたルールならまだしも、親から一方的に強制されるルールは、力で押さえつけるもののように感じました。

そこで何年も生活してきて、環境が変わればすぐ自由に生きられるというわけではなさそうです。あなたも詳しく分析されていたように、考え方や感じ方、表現の癖に影響を与えそうだと思います。

過去の影響からの不自由さを持ちながら、今生きていることが、まずはすごいことだと言ってもいいのではないかと、私は思いました。あなたの今が、できるだけ安全で、人格を守られるような時間であってほしいです。生きているというメッセージを発信してくれてありがとうございました。

感想2

経験談を投稿いただき、ありがとうございます。

両親から他の兄弟と比べられたり、肯定や支持されることがなく育てば、その家庭にはいづらそうだなと率直に感じました。また、母親さんに怒られる、と常に思いながら過ごしているのは心が休まらなさそうだなと思いました。否定とか叱責が身近にあると、安心感ってないよなあと想像します。安心感があるから外に飛び出し、自分の意思で自由に行動できるようになるのではないか、と……。安心感を得られないことで、その後の人生に影響が出てくることもある、とぼんやり考えてしまいました。

母親さんが忙しいからといって、投稿者さんにあたっていいわけではないだろうと直感的に思います。ただ、そこで母親さんにもその行動の理由があったのではないか、と思考することから、相手の顔色をうかがい、想像しながら生きていらっしゃるのかなと感じました。

小中高での学生生活は、苦しいことが多かったのだと思いました。残酷で陰湿なことが行われていても、学校はことが大きくならないと対応してくれないのか?と思うと悲しくなりました。

さらに、虐められていたことを親に報告しなかったことに対して叱られたとありましたが、個人的な感覚としてはひどいなあと思いました。投稿者さんが親に対してそういったことを言いやすい環境であったかといえば、そうではなかったのだろうと思います。言わないようにしていたし、言えなかったのにそんなこと言われたら、気持ちの行き場がなくなりそうだなと勝手に考えています。

過去の消化は確かに、簡単ではなさそうだと思いますし、他者が何と言おうと、自身を変えるのも難しいことのように感じています。ですが、大学への進学や一人暮らしといった環境の変化もあって、少しずつでも変わっている側面があるのかなとも感じました。

人を傷つけないのと同じように、自分自身も傷つけないように、つらくならないように生きられたらなと常々思っています(「自分が傷つかないために、人を傷つけず人に嫌われないような生き方を選んできた」とありましたが、文章を読んでいると傷つきがあったのではないかなと感じ取りました)。なんだか、自分を大切にすることってあんまり学んだり、教えられたりしないのだろうか、そういえばそんな記憶ないなあと思ってしまいました(ただ忘れているだけかもしれませんが……)。

最後になりますが、たしかに死ぬのも気力体力がいりそうだなという考えが浮かびました。惰性で生きることはできても死ぬことは難しそう……。
だから、今はエネルギーとしては少ない状態にあるのかもしれないと感じました。
エネルギーが足りないのなら無理をしないほうがよさそうと思いつつ、それが簡単ではないんだよなあと知っています。
ただ、個人的には死ねないから生きていることが変とか、悪いという風には感じず、そういうふうに生きるのもひとつかなあと勝手に思いました。

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